第12話 青い花

「疲れたわ……!」


 中庭に設置されたベンチに座り、盛大な溜息を吐く。

 身体が重くて、今は部屋に戻る気力もない。


 夜遅くから仕込んだ料理は大好評で、いつもより多くの魔物たちが食べにきてくれた。

 それに関しては大成功だ。

 ただ……。


「どうすればいいのかしら?」


 ルークに言われた言葉がずっと頭の中にあって、結局昨晩は一睡もできなかった。肉の仕込みを終わらせて部屋に帰ったものの、ずっと考えていたのだ。

 そのまま朝になり、昼食の用意をし、疲れきって今に至る……というわけである。


「力があるものにとっても、ないものにとっても生きやすい社会、か……」


 どうすれば、そんな理想郷を実現することができるのだろう?

 どうすれば、ルークのような強者もフェリックスに力を貸してくれるのだろう?


 考えても分からないわ。とりあえず、いったん部屋に帰って休もうかしら。


 なんとか気力を振り絞って立ち上がろうとした瞬間、足から力が抜けた。ふわ、と身体が浮くような感覚に陥る。


 まずい……!


 転ぶ、と思った瞬間、身体が持ち上げられた。


「大丈夫かい、マチルダ?」

「フェリックス様……!」


 顔と顔の距離が近い。マチルダが少しでも動けば、唇同士が触れてしまいそうだ。


 これっていわゆる、お姫様抱っこってやつよね?


「ずいぶん顔色が悪いみたいだけど、休めてないの?」

「実はいろいろと考えてしまって……」

「いろいろ?」

「はい」

「僕に話してみて」


 きらきらとした瞳で見つめられ、ぐい、と顔を覗き込まれる。

 一気に距離が近くなって、マチルダは全身を硬くした。


「あ、あの、一度下ろしていただけないかしら?」


 このままでは心臓に悪い。

 しかしフェリックスは首を横に振ると、そのまま歩き始めた。マチルダが揺れてしまわないように、ゆっくりと慎重に。


「だめだよ。僕が部屋まで運んであげるから、話はそこで聞く」

「そんな……! わたくし、歩けますわ」

「立ち上がれもしなかったのに?」


 そう言われると否定できない。身体が限界を迎えようとしているのは事実だ。

 無言になったマチルダを見てフェリックスは満足そうに頷き、そのまま歩き始めた。




 ベッドに下ろされると、急激に眠気が襲ってくる。なんとか意識を保とうと、マチルダは瞬きを繰り返した。

 フェリックスはベッド横の椅子に座り、心配そうな視線をマチルダへ向けている。


「それで、何を考えてたの?」

「実は……」


 マチルダは、昨晩食堂でルークに言われたことを全て伝えた。

 それから、自分なりにいろいろと考えてみたものの、答えが出せずにいることも。


「ルークにとってのメリット、か」

「ええ。それさえあれば、協力も得られそうな気がしましたわ」


 魔王城で最も魔力があると聞いて怯えていたが、話が通じないような相手ではなかった。

 こちらがきちんと話をすれば、しっかりと向き合ってくれそうだ。


「確かにルークが手を貸してくれれば、かなり助かるな」

「はい。ですから、どうにかできないものかと考えていたんですの」

「話してくれてありがとう、マチルダ」


 そう言うと、フェリックスはマチルダの頭を優しく撫でた。宝物に触るような優しい手つきに、マチルダの心臓が飛び跳ねる。


「まずは、ルークの欲しいものを知らないとな」

「ルーク様の欲しいもの?」

「ああ。それが分かれば、ルークにとってのメリットを考えやすくなる」


 確かに、フェリックスの言う通りだ。何をメリットと感じるかは人それぞれである。


「そのためにはまず、ルーク様のことをもっと知らないといけませんわね」

「そうだね。僕も、あまり彼のことは分からないから」

「でしたら、やはり積極的に交流をとりませんと。今からさっそく……っ!」


 立ち上がりかけたマチルダの肩を、フェリックスがそっと押した。

 マチルダの瞳を真っ直ぐに見つめて首を横に振る。


「今はゆっくり休んで」

「ですが……」

「マチルダが心配なんだ。だからお願い。今は休んで」


 真剣な眼差しを向けられたら、頷くしかない。マチルダがベッドに体を横たえると、フェリックスは満足そうに笑った。


「おやすみ、マチルダ」

「……おやすみなさいませ、フェリックス様」


 瞼を閉じると、すぐに睡魔が襲ってくる。あまりの眠気に、頭もほとんど動いていない。

 しかし眠りに落ちる直前、優しく手を握られたことだけは、はっきりと分かった。




「マチルダ、起きたかい?」


 目を開くと、そこにはフェリックスがいた。慌てて飛び起きると、窓の外は既に暗い。


 わたくし、どれくらい眠っていたのかしら……?


「しっかり休めたようで安心したよ」

「フェリックス様はずっとここにいてくださったの?」

「ああ。これをとりに、少しだけ部屋へ戻ったけれど」


 柔らかく微笑むと、フェリックスはマチルダに向かって花束を差し出した。


「え……?」


 真っ青な花束だ。いろんな種類の花があるけれど、色はどれも青。

 そして、一つ一つはマチルダも見たことがあるものだった。


 毒々しい色だと思っていたけれど、こんなに美しい花束になるなんて……!


 中庭や裏庭に生えていたものだ。黒や赤、紫の植物と一緒に生えていたから、毒々しくて不気味だと感じた花ばかりである。

 けれど今は、綺麗な花束にしか見えない。


「マチルダへ渡そうと思って」

「……わたくしに?」

「マチルダを喜ばせたくて、ノアに相談したんだ。そうしたら、これがいいと言われたから」


 ノアさんが……?

 いや、それより、フェリックス様がわたくしを喜ばせようとしてくれていたの?


 目が合うと、フェリックスは恥ずかしそうに視線を逸らした。白い頬が、ほんのりと赤く染まっている。


「日頃の礼になればと」

「十分すぎますわ!」


 フェリックスの手から花束を受け取る。鼻をつく匂いはなかなかに強烈だけれど、そんなことはどうでもよくなる。


 だって、フェリックス様がわたくしのために用意してくれたんですもの……!


「人間は不思議だな。そんなものが嬉しいなんて。花なんて、いつも見ているだろうに」

「わたくしのために用意してくれた、というのが嬉しいんですわ。きっとわたくし、フェリックス様からいただくものなら、石ころだって家宝にするもの」


 マチルダの言葉に、フェリックスは軽く噴き出した。


「マチルダは面白いね」


 わたくし、なにか変なことでも言ったかしら?


「マチルダが喜んでくれて、本当に良かった」


 そう言ったフェリックスの笑顔があまりにも甘くて、マチルダは言葉を失ってしまう。


「マチルダが笑ってくれると、僕はすごく嬉しいよ。いつも笑顔でいてほしいし、笑顔にさせたいと思う。疲れていたり悲しんでいたら、僕もつらくなる」

「フェリックス様……」

「この花も、マチルダみたいだと思ったから選んだんだ。最近は青い物を見かけるたびに、君を思い出す」


 青は、マチルダの髪の色だ。


 どくん、どくんと心臓がうるさい。フェリックスのくれた言葉が、優しくマチルダの心臓を締めつける。

 だってそれは、あまりにも真っ直ぐな愛の言葉に思えたから。


「フェリックス様、わたくし……」


 わたくしだって、フェリックス様と同じ気持ちだわ。

 だからこそフェリックス様を支えたいと思うんだもの。


 それに、こうして見つめ合う時間が大好きだ。


 きっとこの感情には、ぴったりの言葉がある。そして今が、それを口にする時かもしれない。

 すう、とマチルダは大きく息を吸い込んだ。


 その時。


 バアンッ! と音を立てて扉が開き、真っ青な顔のハンナが入ってきた。


「た、大変です、お二人とも……! の、ノア様が、倒れました……っ!

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