第11話 吸血鬼

「よし、やるわよ……!」


 誰もいない深夜の厨房で一人、マチルダは袖をまくった。

 目の前には、巨大な肉の塊がある。そしてその横には、色とりどりの葉。


 昼食を提供するようになって、七日が過ぎた。日ごとに食堂を訪れる魔物の数が増え、城内の空気も少しずつ変わっている気がする。

 

 フェリックスも毎日食堂を訪れ、皆と交流をはかっている。それ以外の時間も、たくさんの魔物と話しているところを見かけるようになった。

 それだけじゃなく、フェリックスは皆が喜ぶような行事や企画を考え始めたのだ。


 このままどんどん、城内がまとまっていけるといいのだけれど。


 こんな時間に厨房へきたのは、仕込みのためだ。夜の間に肉を特製ダレにつけておき、明日の朝から昼にかけて焼く予定である。


「まずはタレを作らないとよね。えっと、ベースになるのはこれで……」


 もうかなり、魔界の植物には詳しくなった。その結果、調理スピードも速くなっている。

 このままいけば、二品以上を提供できる日もくるかもしれない。


 マチルダがそんなことを想像しながら葉をすりつぶしていると、大きな音を立てて厨房の扉が開いた。


「誰?」


 振り向いた先にいたのは、見覚えのない青年だった。

 燃え盛る炎のように赤い髪に、血の色をした瞳。くっきりとした顔立ちは彫刻めいていて、その美貌には圧を感じる。


「お前がマチルダか?」


 開いた口の隙間から、鋭い二本の牙が見えた。


「え、ええ……」


 本能的な恐怖から、マチルダの声は震えた。

 魔力の過多など、マチルダには分からない。しかし彼からは圧倒的な力を感じる。


「そうか、やっぱりお前がマチルダか!」


 急に青年が大声で笑い出し、マチルダは拍子抜けしてしまった。


「今は何をしているんだ?」

「え、えっと、タレを作って、肉をつけようかと」

「タレか! なるほどなあ」


 明るい声で呟きながら、青年がどんどん近づいてくる。マチルダがとっさに後ろへ下がっても、全く気にした様子はない。

 じろじろと作りかけのタレを眺めた後、急に落ち着いた声で青年は言った。


「これを手伝っているから、最近ノアは疲れてるんだな」

「え……?」

「あいつから俺の話は聞いてないか? 俺はルーク、あいつの主だ」


 にかっ、と歯を見せてルークは笑ったが、その瞳は冷ややかだ。


 この人がノアさんの主で、ここで最も強い魔力を持つ人……!


「今日はお前に、一つ聞きたいことがあってな」


 壁に背中を預け、ルークは胸の前で両腕を組んだ。


「人間界に未練はあるか?」

「えっ……?」


 深紅の瞳が、真っ直ぐにマチルダを見つめている。誤魔化しや嘘偽りを許さない、強い眼差しだ。

 適当なことを言えば、すぐに本心を見抜かれてしまうに違いない。


「……未練はありませんわ。懐かしく思うことは、たまにありますけれど」


 慣れ親しんだ味や、目に優しい花が恋しくなる時はある。しかし、戻りたいと思ったことは一度もない。

 戻ったところで、マチルダの居場所はないのだから。


「そうかそうか、それはよかった!」


 あはは、とルークは大声で笑い出した。ころころと変わる表情についていけなくて戸惑ってしまう。


「もしお前が脱走でも企んでいたら、殺そうと思ってたんだ」

「……え?」


 明るい笑顔と、ルークが口にした言葉が上手く結びつかない。


「そうじゃなくてよかった。お前がきてから、ノアは楽しそうだしな」

「ノアさんが……」

「ああ。感謝するぞ、マチルダ」


 だめだ、混乱する。

 殺そうと思っていた、と言ったのと同じ口で感謝を伝えられても、素直に受け止めることはできない。


「俺もたまには食堂の様子を見たいんだが、昼は苦手でな」


 吸血鬼が夜型なことは、ノアから聞いて知っている。だからノアも、夜遅くまで起きているのだと言っていた。

 しかし今ルークが一人でいるということは、ノアはもう眠っているのだろうか。


「じゃあ、またな」


 ルークが立ち去ろうとした瞬間、待ってください、とマチルダはとっさに叫んでいた。


「なんだ?」

「わ、わたくしも一つ、ルーク様にお伺いしたいことがありますの」


 情けないくらい、声が震えてしまった。けれどルークはそんなマチルダを見ても、にこにこと笑っているだけだ。


 ルーク様は、この城で一番の実力者。そして、みんなから一番恐れられている人……。


「ルーク様は、フェリックス様を……フェリックス様の目指す社会を、どう思っていますの……?」


 フェリックスは魔物たちとの交流をだんだんと深めている。しかし、魔力がないせいで、どこか軽んじられているのも事実だ。


 魔王、という称号や身分はあるけれど、具体的な権力があるわけではない。

 お飾り魔王、と誰かが馬鹿にしているところに遭遇したこともある。


 けれどもし、ルークがフェリックスの味方についてくれたら、状況は大きく変わるのではないだろうか。


「弱いものでも安心して暮らせる社会、か?」

「……そうですわ」

「いいんじゃないか?」

「えっ?」


 ルークの返事があまりにも軽くて、マチルダは何も言えなくなってしまう。


「反対はしない。まあ別に、力を貸そうとも思わないけどな」

「そ、それはどうしてですの?」

「だって、力を貸して、俺に何のメリットがあるんだ?」


 ルークの問いかけに、とっさに答えることができなかった。

 そんなマチルダを気にもせず、ルークは厨房を出ていく。


「……メリット」


 ルークの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。

 考えてみれば当たり前のことなのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう?


 弱いものでも、安心して暮らせる社会。

 素晴らしい社会だ。ルークだって、それを否定したわけじゃない。


「でもルーク様は今も、安心して暮らしているんだものね」


 弱いものにとって、フェリックスが目指す社会は理想的だ。しかし、強いものにとってはどうだろう。

 わざわざ労力を割いてまで、目指す価値があるものだろうか。


「……これって、すごく大切な視点よね」


 強いものに対し、一方的な献身や思いやりを望んではいけない。そうすれば、彼らの不満はいずれ大きくなってしまう。

 社会を維持していくためには、それじゃだめだ。


 全ての人にとってメリットがある制度でなければ、全員の賛同は得られない。

 そして現実的に考えた時、社会を変えるためにより必要なのは、力を持つものたちの賛同だ。


「どうしたらいいのかしら?」


 頭を抱えながら、マチルダはとりあえず料理を再開した。

 今できることは、それだけなのだから。

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