第10話 理想の君主
ぐつ、ぐつと大きい鍋で色とりどりの植物を煮込む。見た目は毒々しいが、だんだんといい匂いがしてきた。
「塩をちょっとだけ入れて、と……」
ぎゅるる、とお腹が鳴ったけれど、今は我慢するしかない。
とりあえず今は、この野菜スープを完成させることだけを考えなくては。
悩みに悩んだ結果、今日は昼の時間に野菜スープを提供することにしたのだ。
大量に作りやすいし、素材の味をいかす分、そこまで手間がかかるわけでもない。
まあ、これだけの量を作ろうと思ったら、時間は大量にかかるけれど。
大きなあくびをしつつ、スープを混ぜる。朝早くから厨房にきているが、外はもうかなり明るい。
「みんな、食べにきてくれるかしら……」
朝食をとりにきた魔物たちに、昼になったら野菜スープを提供すると伝えてある。
ろくに話を聞いてくれないものも、興味津々に鍋の中身を覗いていたものもいた。
「姉御!」
厨房の扉が開き、ハンナが勢いよく入ってくる。
「やっぱりここにいたんですね! あたし、手伝います!」
「ありがとう、ハンナ」
正直、ほとんどもうスープは完成している。けれどこうして、ハンナが手伝いにきてくれたことが嬉しい。
「あたし、たくさん宣伝しましたから。きっとみんな、姉御の料理を食べにきますよ」
「そうだといいのだけれど」
それにしても、姉御、という呼び方はなかなかに照れくさい。
けれど、奥方様だとか、お嬢様なんて呼称より、ずっといい気もする。属性ではなく、マチルダ自身のことを見てくれているようで。
「もしこなかったら、あたしが全部食べてあげます」
「それは頼もしいわね」
「はい、任せてください!」
小皿でスープを少しすくい、口の中へ入れる。少し味が薄い気もするが、心がほっとするような、温かい味だ。
薄味で癖がない分、大勢に提供するのに向いているはず。
「じゃあ、そろそろ始めようかしら」
「はい。もうすぐお昼ですし!」
ハンナが頷いた瞬間、再び厨房の扉が開いた。
そして、眠そうな目をこすりながらノアが入ってくる。
「配膳くらいなら、手伝いますよ」
「ノアさん……!」
「ルーク様が寝てしまって、暇なので」
あくびをしながら、ノアはスープ用の食器を棚からとりだす。
素直じゃないことを言っているけれど、きっと気になって様子を見にきてくれたのだろう。
だってたぶん、ノアさんは主人に付き合って今まで起きていたのよね。
それなら、ものすごく眠いはずだわ。
それなのにノアは、わざわざ厨房まできてくれた。
「あ、見て、姉御!」
ハンナが窓の外を示す。そこには、多くの魔物をつれたモーリスがいた。目が合うと、ひらり、と手を振ってくれる。
「モーリスが連れてきてくれたみたいですよ!」
「ええ」
じわ、と瞳が涙でいっぱいになる。慌てて瞬きを繰り返し、涙があふれるのをなんとか堪えた。
胸の奥にあった、ちょっとした不安が消えていく。
こんな風に手を貸してくれるものたちがいるなら、きっと大丈夫だ。
「焦らなくていいわ! ちゃんと大量に作ってあるから!」
大声を上げても、倍の声でかき消されてしまう。マチルダは厨房と食堂を何往復もし、ひたすらスープを運び続けた。
予想に反し、食堂には大量の魔物が押し寄せてきたのである。
きっと、モーリスがつれてきてくれた魔物たちが話を広めてくれたのだ。
「姉御、おかわりってどうします?」
「今日はおかわりはなし! なくなっちゃいそうだから!」
「分かりました!」
ハンナも素早く動きまわって、次々にスープを提供している。
魔物たちがおとなしく順番を待ってくれているのは、たぶんノアのおかげだろう。
「おい」
厨房に戻ろうとしたところで、不意に声をかけられる。慌てて振り向くと、そこに立っていたのは上半身が人間、下半身が馬の姿の魔物だった。
確か、最初の方にきてくれた魔物だ。
「なにかしら?」
「明日もやってるのか?」
「ええ」
そうか、とだけ言うと、魔物はそのまま立ち去っていった。たぶん、明日もきてくれるのだろう。彼はすごく美味しそうにスープを食べてくれたから。
マチルダに対し、丁重に接してくれるものばかりではなかった。
それでも指輪やノアのおかげで、手荒な真似をしてくるものはいない。
「それに、みんな満足そうに帰っていくんだもの」
失礼な態度をとられたことに対する怒りも、それで帳消しになる。
作ったものを美味しく食べてもらえるのはやっぱり嬉しいから。
「スープ、まだ残ってるかな?」
「はい、まだありま……フェリックス様!」
いつの間にか、フェリックスが目の前にいた。
「賑わってるね」
フェリックスは食堂の長机へ視線を向けた。魔物たちがぎゅうぎゅうになって座っていて、空席がない状態だ。
「はい、なんとか」
「僕にも一杯、もらえるかな」
「もちろんですわ!」
近くに座っていた魔物が立ち上がり、フェリックスへ席を譲った。
礼すらしないものもいるけれど、慌てて跪いているものもいる。
急いで厨房に戻り、フェリックスの分のスープを用意した。
「どうぞ、フェリックス様」
「ありがとう」
どくん、どくんと心臓がうるさい。フェリックスの感想が気になって、マチルダはその場から動けなくなってしまった。
「……美味しい」
フェリックスは目を大きく見開くと、そのまま残りのスープも飲み干してしまった。空になった皿を見て、寂しそうな顔をしたのが可愛らしい。
「こんなに美味しいもの、生まれて初めて食べた」
「大袈裟ですわ。……でも、ありがとうございます」
「本当のことだからね。これなら、あと百杯は食べられそうだ」
あまりにも真剣な表情で言うものだから、マチルダは少し笑ってしまった。そんなマチルダを見て、ふっ、とフェリックスも微笑む。
「それに、皆で食事をするというのは、いいものだね」
「フェリックス様……」
「ずっと一人で食べていたから、知らなかったよ」
フェリックスは愛おしそうな顔で食堂全体を見回した。
「こういうことが大切だったのかもしれない。僕はいつも理想ばかりを考えていて、足元が見えていなかったのかな」
そんなことない、と即座に否定できるほど、マチルダはフェリックスのことを知らない。
けれど、これからの話をすることはできる。
「でしたらこれから、たくさん皆さんと接すればいいんですわ。きっと、皆さんも喜ぶもの」
フェリックスに関心がなさそうな魔物も多いが、遠巻きにちらちらと眺めているものもいる。
いくら支配力が弱かろうと、フェリックスはこの城の主なのだ。
「一つ偉そうなことを言ってもいいかしら?」
「ああ。いくらでも」
「わたくし、最も素晴らしい君主は、皆に愛される君主だと思っているの」
歴史を振り返れば、名君と呼ばれる王は数多く存在する。
優れた頭脳や武力を有する王は、華々しく歴史に名を刻んでいる。けれど、名君と呼ばれるのは派手な才能を持ったものだけではない。
「だって、君主一人の能力には限界があるもの。だったら、皆に愛されて、たくさんの人が支えたくなる王が一番だわ」
「マチルダ……」
「わたくし、フェリックス様なら、そんな王になれると思いますわ。だってわたくしも、フェリックス様の役に立ちたいと思うもの」
フェリックスの顔が、どんどん赤く染まっていく。それを見て、マチルダはふと我に返った。
もしかしてわたくし、かなり恥ずかしいことを言ってしまった……?
「し、失礼しますわ。わたくし、まだやるべきことがありますので……!」
慌てて厨房へ戻り、その場にしゃがみ込む。両手で頬をおさえると、火傷しそうなほど熱かった。
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