第7話 厨房にて
「やっぱり、ほとんど何もないわね」
食堂奥にある厨房には、調味料はほとんどおいていない。食材も、生肉と干し肉がおいてあるだけだ。
包丁とフライパン、そして鍋はある。しかし、その他の調理器具はない。
「焼いただけの料理になるのも、これを見れば納得だわ」
みんなで食事を共にする時間を作る、というのはいい案だと思うのよね。
でも、そのためにはまず、美味しい料理を作る必要があるわ。
どうしたものかと悩んでいると、厨房の扉が開いた。
「奥方様!」
ハンナが勢いよく飛び込んできて、後ろからモーリスがゆっくり入ってくる。
「あら、どうしたの?」
「近くを通りかかったら、奥方様の匂いがしましたので!」
「そんなに分かるものなのね」
「はい。それで、奥方様は何を?」
マチルダが引っ張り出した調理器具を不思議そうに眺め、ハンナが尋ねてきた。
生肉ばかりを食べている彼女にとっては、調理器具自体が珍しいのだろう。
「美味しい食事が作れないかと思って。……ハンナたちは、生肉が好きなの?」
「好きっていうか、あたしたちはずっとこれを食べてきたので、他が分からないんですよね」
ちら、とモーリスを見ると、彼も頷いていた。
どうやら、生肉以外食べられない、ということはなさそうだ。
「ねえ、ここって調味料とか、肉以外の食料はないの?」
「肉以外……」
ハンナは困った顔でモーリスを見つめた。モーリスもたっぷり二十秒くらい頭を抱えた後に、あ! と勢いよく両手を叩く。
「裏庭にいろいろ、植物が生えてたはずです! そこなら、食べられるものもあるかも」
モーリスの言葉に、今朝食べた赤色の葉を思い出す。見た目は毒々しかったけれど、味は確かにキャベツとほぼ同じだった。
野菜と同じようなものがあれば、料理の幅はかなり広がるはずだ。
「案内してくれないかしら?」
「いいですよ。こっちです」
厨房を出て、マチルダたちは裏庭へ向かった。
「……これは、その、何とも言えないわね」
裏庭には、所狭しと様々な植物が生い茂っている。背の高いものも、低いものもあるし、果実をつけているものもある。
ただマチルダの感覚で、美味しそう、と言えるような色合いのものはない。
「どれが食べられるの?」
マチルダの問いかけに、二人は気まずそうに目を逸らした。
そしてハンナが、分かりません、とぼそりと呟く。
「あたしたち、全然植物には詳しくないんです。魔界では料理なんてしないし、薬の材料にしたりはするらしいんですけど、あたしたちはエルフじゃないし……」
「エルフ?」
「薬とか、植物にすごく詳しいんです。まあ、山奥で暮らしているので、魔王城にはいないんですけど」
改めて、植物を見回す。やはり、どれが食べられてどれか食べられないのかなんて、見ただけで分かるはずもない。
「俺、毒見係しましょうか?」
「えっ?」
モーリスはそう言うと、近くにあった紫色の果実をちぎった。そしてそのまま、何の躊躇いもなくかぶりつく。
じわ……と、果実から薄緑色の汁が流れ出した。
「これ、たぶんだめです。なんか、毒っぽいので」
「毒? え? だ、大丈夫なの……?」
「はい。俺たちの種族って、かなり胃が強くて。たいがいの毒は効きません。なので、毒見ができますよ」
正直、毒見係をしてくれたらかなり助かる。
けれど、いいのだろうか。
「お礼に、美味しい料理をくれたら、それで十分です。俺、生肉以外のものって食べたことないので、料理ってものに興味があるんですよ」
「あたしもあたしも! いつもと違う味のお肉、食べてみたいです!」
二人の瞳はきらきらと輝いている。どうやら、食欲はかなり強いらしい。
そんなに期待されると、ちょっと不安になるわね。
料理は苦手じゃないけれど、ここにあるものでどれだけできるかは分からないもの。
でも、やるしかない。マチルダは深呼吸をしてから、二人に向き直った。
「じゃあ、お願い。ここにある植物で、使えそうなものは一通り把握しておきたいの」
マチルダがそう言うと、ハンナとモーリスは勢いよく収穫を始めた。
「結構、いろいろと集まったわね」
厨房の調理台には、様々なものが並んでいる。果実や葉はどれも、モーリスが毒見をしてくれたものだ。
ありがたいことに、植物の種類は豊富だった。
棘の生えた赤紫色の果実はかなり甘くて、それだけでもデザートになりそう。
ぶよぶよとした新緑色の果実は旨味が凝縮されていて、肉と混ぜると美味しそうだ。
その他にも、野菜として使える葉や茎もいくつかあった。
「これなら、味付けもいろいろとできそうね」
水分量の多い果実をベースにソースを作ることもできるだろうし、スープだって作れるだろう。
焼いただけの味気ない食事とは、なんとかおさらばできそうだ。
「とりあえず、昼食を作ってしまいましょう。ハンナ、モーリス、手伝ってくれるかしら?」
もちろん! と二人は同時に頷いた。
その瞬間、マチルダの腹が大きく鳴った。今度は、モーリスも大口を開けて笑う。
「これでいいのよ、空腹が一番のスパイスだもの」
恥ずかしくないのは、二人に心を許し始めているからだろう。そう思うと嬉しくなって、マチルダも笑った。
人間界にいた頃は、あれほど周りからどう見えるかを気にしていたのに、今ではそれが嘘みたいだわ。
淑女らしく振る舞わなくては、父の評価を下げないようにしなくては。
そんな気持ちが強くて、いつもどこか気を張っていた気がする。
けれどここでは、その必要はない。
だってここは、今までとは全く違う世界だもの。
常識だとか、外聞だとか、そういうものとは無縁でいられるわ。
「さあ、まずは包丁で、具材を切っていくわよ!」
そう言って、マチルダは袖をまくった。淑女らしくない振る舞いに、自分でも笑ってしまう。
でもいいの。わたくしは新しい場所で、新しい自分になるんだわ。
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