第5話 朝ご飯

 モーリス、と呼ばれた魔物を見て、石を投げてきた連中はすぐに走り去っていった。

 むかついて追いかけそうになったところを、ハンナが腕を引っ張ってとめてくれる。


「大丈夫です、奥方様。あたし、慣れてますから」

「……でも」

「それに、嬉しかったです。奥方様がかばってくれて」


 平気ですから、と笑うハンナは大人びて見えて、胸が締めつけられた。

 馬鹿にされることや虐げられることに慣れているなんて、あまりにもつらい。


「それに、モーリスもきてくれましたし!」


 モーリスはゆっくりとマチルダを見つめ、深々と頭を下げた。

 たくましい身体とはうらはらに、のんびりとした動作である。


「初めまして、奥方様。ハンナの友人の、モーリスです」

「友人?」

「はい。俺も、種族に馴染めなくて、ここへやってきたんですよ」


 へら、とモーリスは笑った。なんだか、気の抜ける笑顔だ。


 それにしても、種族に馴染めずにここへくる魔物って、結構いるのかしら?


「モーリス、あのね、あたし、奥方様を案内してたの」

「偉いね。どこまで案内したの?」

「あとはもう食堂だけ!」


 ハンナがそう答えた瞬間、マチルダのお腹が盛大に鳴った。


「……奥方様?」


 気まずそうな表情を浮かべたモーリスとはうらはらに、ハンナが大口を開けて笑う。


「奥方様、そんなにお腹空いたんですか?」

「こら、ハンナ……!」

「……いいのよ、気を遣わなくて」


 正直、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。人前でお腹を鳴らすなんて、淑女らしからぬ行為だ。

 人間界にいた頃なら絶対、こんなことはなかったのに。


「奥方様、あたしたちと一緒に食堂で朝ご飯はいかがですか?」

「ええ、ぜひ」


 頷いた時、いきなり背後から、待ってください、というノアの声が聞こえてきた。

 慌てて振り向くと、そこには眠そうな顔のノアが立っている。


「……探しましたよ。朝早くから出歩いているなんて思いませんでしたから」

「ごめんなさい。探していたなんて思わなくて」

「いえ。私も言い忘れていましたから」


 ノアを見た途端、ハンナとモーリスは背筋をピンと伸ばした。


「マチルダ殿には人間用の食事が必要でしょう」

「あっ……!」

「魔物たちは基本、肉を生のまま食べますから。同じものは食べられませんよ」


 ハンナはきょとんとした顔で、生肉はだめなんですか? と聞いてきた。


 もしあのまま二人と食堂に行っていたら、わたくし、食中毒で倒れていたかもしれないわ…!


「ですので、私と同じ物を提供するようにと、魔王様から頼まれています」

「ありがとう、ノアさん」


 こちらへ、と案内されるがまま、マチルダたちは歩き始めた。




 案内されたのは、食堂近くにある小さな小部屋だった。特別にハンナとモーリスも、食堂から朝食を持ってきている。

 朝食といっても、ただの生肉だが。


「これが、私たちの食事です」

「……えっ?」


 ノアがテーブルの上においた皿の上にあるのは、焼いただけの肉。そしてその横に添えられた、赤色の葉。


「ああ、それですか。赤色ですけれど、味はキャベツに似ていますので、ご安心を」

「そう、なの……」


 いろいろと言いたいことはあるけれど、上手く言葉にならない。

 ただ、ノアはマチルダをからかっているわけではなく、これが通常の食事らしいことは確かだ。


 もしかしたらこう見えて、きちんと味がついているのかも……?


 フォークを肉に突き刺し、口へ運ぶ。じゅわっと肉汁が広がる……なんてことはなく、味はほとんどしない。おまけに肉はぱさついているし、お世辞にも美味しいとは言えない。


「どうかしましたか?」

「えっと、これって、ソースや調味料はないのかしら?」


 焼き加減も壊滅的だけれど、何かソースがあれば多少はましになるはず。

 しかし、ノアはあっさりと首を横に振った。


「このまま食べるものなので、特にそういったものはありませんが」

「本当に?」

「ええ、本当に」


 嘘でしょ? 町はずれにある安い店だって、きっとこんなものは出さないわよ。


「ここには、料理の文化はないんですよ」


 マチルダの内心を見透かしたように、ノアはそう言った。

 ちら、と横を確認すると、ハンナとモーリスは味を一切つけていない生肉にかぶりついている。

 確かにこの食べ方が主流なら、料理の文化がないのも納得だ。


「ノアさんは、不満はありませんの?」

「まあ、元々、美味しいものを食べられるような身ではなかったので」


 そう言うと、ノアは残っていた肉を全て口の中へ入れてしまった。

 残すわけにもいかず、マチルダも嫌々ながら肉を食べる。不味いけれど、飢えるよりはましだ。


 でも、どうしてノアさんは美味しいものを食べられなかったのかしら?


 見た目だけで判断できるものではないが、貧しい家の出には見えない。少なくとも、マチルダ以上の家柄だろうと思っていた。


「マチルダ殿」

「はい?」

「食事が終わったら、魔王様の部屋へ行ってください。会いたがっていましたから」

「えっ!」


 自分でも笑ってしまうくらい明るい声が出て、マチルダはとっさに口元をおさえた。


 フェリックス様が、わたくしに会いたがっているなんて!


 昨晩は遅い時間だったこともあって、長くは話せなかったのだ。

 もっと、話したいことはたくさんある。


「すぐに全部食べてしまうわ」

「……別に、急げとは言っていませんでしたけど」


 ノアの言葉を無視し、マチルダは残りの朝食を胃の中へ詰め込んだ。

 ある意味、味わうべきものが一つとしてなかったのは、幸運だったのかもしれない。

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