第4話 人狼少女

「おはようございます、奥方様。朝ですよ、朝です!」


 何度もドアをノックされ続け、マチルダはようやく目を覚ました。

 ベッドから下りてドアを開くと、満面の笑みを浮かべたハンナと目が合う。


「朝から元気ね」

「はい。あたし、いつでも元気なのが取り柄なんです!」


 朝の支度をお手伝いします、とハンナは部屋に入ってきた。よく見ると、ハンナは大きいカゴを一つ抱えている。

 中には、どうやら着替えが入っているようだった。


「あたしに任せてください!」

「ありがとう。お任せするわ」


 家にいた頃は、起きてすぐに朝食の用意をしなければならなかった。もちろん、使用人がいたから、全てをマチルダが作るわけではない。

 ただ、女主人として使用人に指示を出して朝食を用意させ、その後に父を呼びに行くのはマチルダの役目だったのだ。


「魔王様が、奥方様のために選んだんですよ!」


 ハンナがカゴから取り出したのは、薄桃色のすっきりとしたデザインの服だ。おそらく、見た目よりも機能性を重視しているのだろう。


「お着替えが終わったら、あたしがここを案内してさしあげます!」


 自信満々にそう宣言したハンナの尻尾は、前後左右に激しく揺れていた。




「で、こっちが中庭! 日当たりがいいから、あたしのお気に入りなんです!」


 中庭にある植物は、どれもおどろおどろしい色をしている。それが眩しく照らされている様子は、正直言うとかなり不気味だ。

 けれどハンナの眩しい笑顔を見ていると、なんだか素敵な場所のように思えてくる。


「それで、あ、あっちの建物は入っちゃだめなんです。魔王様の物じゃないので」

「そうなの?」


 ハンナが指差したのは、敷地奥にある屋敷だ。高さこそ魔王城に劣るものの、立派な造りの建物で、しかも綺麗だ。


「はい。あれは、ルーク様のお屋敷なので!」

「ルーク様?」

「すごく強いんです。まあ、あたしなんかは、直接喋ったことはないんですけどね」


 ハンナはにこにこと笑いながら、次々にいろんな場所を紹介してくれた。

 とはいえ、立ち入りが禁じられている部分も多く、中へ入れる部屋は多くなかったのだが。


「ハンナは、いつからここにいるの?」

「えーっと、具体的な日とかは忘れちゃってるんですけど、わりと最近のような……二十年前とかですかね?」


 どうやら、魔物と人間ではかなり時間感覚にずれがあるようだ。

 幼い子供にしか見えないハンナも、きっとマチルダの何倍も長く生きているのだろう。


「どうしてここに?」

「魔王様が拾ってくれたんです! あたし、みんなより弱いから、群れに全然馴染めてなくて、それで、おいていかれちゃったんですよ」

「……そうだったの」


 明るく笑うハンナにそんな過去があったなんて知らなかった。


「はい。魔王様、お優しいんですよ。あたしみたいに、魔王様に救われたって子、結構多いんです」


 ハンナの表情が誇らしげで、なぜかマチルダまで嬉しくなる。


 やっぱりフェリックス様って、素敵な方なのね。


 ちら、と左手の薬指を見る。今日はちゃんと、フェリックスにもらった指輪をはめている。

 そしてたぶんそれは、ノアに忠告されたから、というだけではない。


「ひゃっ!」


 いきなり、ハンナが悲鳴を上げた。慌てて隣を見ると、ハンナはうずくまっていて、その横には小石が転がっている。


「どうしたの?」


 ハンナは震える手で、近くの茂みを指差した。するとそこから、二体の魔物が現れる。

 二人とも、同じ種族のようだった。二足歩行なのは人間と同じだが、頭部は牛のように見える。

 彼らの手には、いくつか小石があった。


 もしかして……?


「投げられたの?」


 ハンナが答えるより先に、小石がハンナめがけて飛んできた。ハンナが悲鳴を上げながらよけると、それを見て魔物たちはげらげらと笑う。


「あたしが、弱いから……」


 ハンナの声を聞いて、私の中で何かが切れた。


 弱いからって、魔力が少ないからって、どうしてこんなことをされなきゃいけないの?

 それにハンナは、弱いからおいていかれたって言ってたわ。そんなの、絶対に間違っている。


「やめなさいよ!」


 マチルダが怒鳴るとは思っていなかったのだろう。魔物たちは目を見合わせてくすくすと笑い始めた。

 馬鹿にされている、ということだけは分かる。


「なによ……!」


 マチルダに石を投げてこないのは、きっと左手の指輪が見えているから。

 もしそれがなければ、マチルダも石を投げられていただろう。


 そう考えると、怒りがむかむかとわいてくる。

 何より、彼らはハンナから笑顔を奪ったのだ。それに腹が立つ。


 出会ったばかりだけど、ハンナが優しい子だってことは、よく分かったもの。

 そんなハンナを傷つけるなんて、許せないわ!


 怒りに任せて、マチルダが近くにあった大きめの石に手を伸ばした、その時。


「そこまで!!」


 聞き覚えのない大声が、あたりに響き渡った。


 どすん、どすんと大きい足音を立てながら、一体の魔物が近づいてくる。

 身長がかなり高く、顔を見ようとするだけで首が痛む。

 丸太のように太い手足に、鍛え上げられた肉体。

 そして……頭に生えた、二本のツノ。


「モーリス!」


 ハンナがそう叫ぶと、ツノの生えた大きな魔物はにっこりと笑った。

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