第1話 魔王城
がたっ、ごとっ、と相変わらず馬車は揺れる。ただ、荒れた道に適した構造なのか、先程より揺れは控えめだ。
正面に座る銀髪の彼は何も言わず、窓の外を眺めている。
わたくしには一切、興味がありませんって態度ね……。
改めて、じっと彼を観察した。人間離れした美貌を有しているものの、どこからどう見ても、マチルダと同じ人間にしか見えない。
「あ、あの……」
勇気を出して声をかける。彼は表情を変えずに、マチルダへ視線を向けた。
「どこへ向かっているのでしょう?」
「言ったでしょう? 魔王様のところですよ」
魔王様のところ、って言われても……。
わたくし、いったいどうなってしまうのかしら。
案内役の彼は不愛想だけれど、それだけだ。手足を縛られたり、乱暴に扱われているわけじゃない。
むしろ、丁重な扱いを受けている……と言えなくもない。
「まだしばらくかかりますよ」
そう言うと、彼は目を閉じてしまった。おそらく、これ以上マチルダと話すつもりはない、という意志表示だろう。
窓の外は、かなり暗い。そろそろ、目を凝らしても外の景色が見えなくなってしまいそうだ。
マチルダはそっと溜息を吐いて、目を閉じた。
「つきましたよ」
その声で、マチルダは目を覚ました。どうやらいつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
「下りてください」
「はい、すぐに……!」
馬車を下りると、目の前には大きな城があった。少々老朽化が進んでいるものの、かなり凝った造りの城だ。
敷地は高い塀でぐるりと囲まれており、敷地内には他にもいくつか建物がある。
「ここは……?」
「魔王城です。魔王様の住む城ですよ」
「魔王様が……」
マチルダを生贄として要求した張本人だ。いったい、どういうつもりで生贄を要求したのだろうか。
「では、こちらへ」
動き出した案内人に従い、屋敷の中へ入る。廊下はがらんとしていて、何の気配もない。広いわりに静かな空間は、それだけで不気味に感じてしまう。
魔王様って……どんな方なのかしら。
魔王に関する書物は、数多く流通している。けれどそれは、セレーヌ王国の勇者が倒した魔王のことだ。今の魔王に関する情報は誰も持っていない。
けれど、噂はよく耳にする。人間の血肉を食べるとか、大きなツノが生えているとか、身長は人間の倍ほどもあるだとか……。
「ここです」
案内人が足を止めたのは、二階奥にある大きな扉の前だった。
彼が扉を軽く叩くと、ギイッ、と音がして、扉が内側から開かれていく。
「……わっ……」
扉を開けたのであろう魔物と目が合って、マチルダは思わず飛び跳ねた。
緑色の肌に大きな身体、何より、一つしかない瞳。
一目見ただけで、人間ではないことが伝わってくる。
「安心してください。手荒な真似はされませんよ」
「えっ?」
わたくし、生贄ですのに?
混乱したマチルダに、案内人はそれ以上の言葉はくれなかった。
胸の奥で、不安と困惑が広がっていく。
「それより、魔王様がお待ちですから」
案内人が、部屋の奥に向かってどんどん進む。マチルダは両手をぎゅっと握って、その後をついていった。
部屋の奥には、立派な椅子が設置してあった。そしてそこに、一人の青年が座っている。
「魔王様。マチルダ殿をお連れしました」
「ありがとう、ノア」
あ、この方、ノアさんというお名前でしたのね。
いや、そんなことは今、たいした問題じゃありませんわ。
だって……。
「魔王様……?」
この方が? 爽やかに微笑む、絵画から飛び出てきた王子様みたいな人が、魔王?
マチルダが何も言えずにいると、魔王はゆっくりと立ち上がり、マチルダの目の前までやってきた。
金髪に、紫色の瞳。顔立ちは甘くて、目が合うだけで照れてしまう。
もし社交界にいれば、年頃の少女はこぞって彼に夢中になるだろう。
「マチルダ」
そっと魔王の手が伸びてきて、マチルダの手に触れた。あまりにも冷たい手のひらに、彼が人間ではないことを直感的に理解する。
魔王はそのまま、マチルダの右手の甲にそっと口づけた。
「人間界では、淑女にはこうするものだと聞いている。合っているだろうか?」
ちら、と魔王はノアを見た。ノアが小さく頷くと、魔王は満足そうにマチルダを見つめる。
「僕はフェリックス。一応、この城の主だよ」
「フェリックス様……」
「まあ、魔王なんて呼び名は、とうてい似合わないけれどね」
フェリックスは肩をすくめ、がらんとした部屋を見渡した。
部屋にいるのはフェリックスとマチルダとノア、そして扉を開いた大きな魔物だけ。
「ようこそ、マチルダ。今日からはここが君の家だよ。気に入ってくれるといいのだけれど」
「……は、はい、えっと……その、よろしくお願いいたしますわ……?」
とりあえず、マチルダは深々と頭を下げた。
するとよろしくね、などと言いながら、フェリックスも軽く頭を下げる。
いったい、どういうことですの?
わたくし、どういう目的で、ここへ呼ばれたんですの?
少なくとも、すぐに殺されるようなことはない……と思っていいのだろうか。
わずかに肩の力が抜けた時、フェリックスが真剣な瞳でマチルダを見つめた。
「マチルダ」
「は、はい……っ」
「君に、受け取ってほしい物があるんだ」
そう言うと、フェリックスは胸元から、一つの小さい箱を取り出した。
そして箱を開けると、ひざまずいてマチルダに箱を差し出す。
「えっ……!?」
中に入っていたのは指輪だ。赤黒く輝く石は、きっと人間界にはない宝石。禍々しい雰囲気を放っているものの、光に照らされて美しく煌めいている。
「マチルダ、僕と、結婚してほしい」
え……? 待って、嘘? えっ?
結婚? わたくしと……魔王様が?
「わ、わたくし、生贄として呼ばれたはずでは……?」
「生贄? なんのことだい?」
確かに、書状には生贄だなんて一言も書かれていなかった。しかし、魔王から若い娘を要求されたとなれば、生贄だと思うのは当然である。
だからこそ、誰が生贄となるかで、大騒ぎになっていたのだ。
「マチルダ。受け取ってくれる?」
フェリックスが立ち上がり、どんどん近づいてくる。不安そうな眼差しに、どきっと心臓が飛び跳ねた。
「僕の、妻になってほしい」
ああ、ちょっともう、わたくし、だめですわ。
驚きと、長旅の疲れと、戸惑いと……あらゆる感情がごちゃまぜになって、目の前が真っ暗になる。
ふわり、と一瞬身体が軽くなって、マチルダは意識を手放した。
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