魔王の生贄になるはずが、魔界で姉御と慕われています

八星 こはく

プロローグ

「もう、都は見えなくなったわね」


 馬車の窓から見えるのは、鬱蒼とした木々ばかり。整備されていない道を進むたびに、がたっ! と大きく馬車が揺れる。


「……どこまで行くのかしら」


 向かう先は、魔王に指定された場所。


 マチルダ・フォン・リヒターは今日、生贄として魔王のもとへ向かっている。

 魔王に提示された条件は『賢く、若い女を一人』というもの。

 そこで、優秀な文官を父に持つマチルダに白羽の矢が立ったというわけだ。


「殺されるのかしら、それとも……」


 もっと恐ろしいできごとが待っているかもしれない。けれどもう、引き返すことはできないのだ。

 窓に映る自分を見つめた。父譲りの青い髪に、父譲りの薄桃色の瞳。

 気が強そうな顔は、母にも、新しい義母にも似ていない。


「これが一番、お父様の役に立つことなのよ」


 言い聞かせるように呟いて、胸の前で両手を強く握る。泣きはしない。泣いてしまったら、何かが壊れてしまいそうだから。


 百五十年前、勇者が現れ、魔王討伐に成功した。しかし、全ての魔物を殺すことは不可能だった。

 そこでセレーヌ王国は魔物たちと契約を結んだのだ。

 互いの領土に足を踏み入れない。という、唯一にして絶対の契約を。


 しかし数カ月前、生贄を要求する書状が宮殿に届いた。今はもう、魔物に対抗できる勇者なんて国にはいない。


 父は、国のために愛娘を差し出した忠義者と評価された。新しく生まれてきた子は、念願の男児だった。

 目を閉じれば、幸せな家族の姿が脳裏に浮かぶ。父と義母と、義母の腕に抱かれる赤子。


 そこに、わたくしの居場所はないわ。だから、行くの。




 馬車が急停止した。それから十秒ほど経って、ゆっくりと馬車の扉が開かれる。

 深呼吸を繰り返してから、マチルダは立ち上がった。着飾った身体が重たい。


 馬車を下りると、周りには毒々しい植物が生い茂っていた。紫、青、黒……マチルダが暮らしていた場所では、見たことがないものばかりだ。


 わたくし、本当に魔界にきてしまったのね……。


 コツン、コツン、と足音が背後から聞こえた。慌てて振り向くと、そこには、息を呑むほど美しい人が立っている。


 腰まで真っ直ぐに伸びた銀色の髪に、翡翠色の瞳。月光を浴びて光り輝く姿は、この世のものとは思えない。


「お迎えにあがりました」

「えっ……?」


 発された声は、思っていたよりも低い。声を聞いて初めて、男性だということが分かった。性別が分からないほど、中性的な美貌の持ち主だったから。


「魔王様がお待ちです」


 にこりともせず、彼は背を向けて歩き出した。彼が向かう先には、大きい馬車がある。おそらく、それで魔王のもとへ向かうのだろう。


「早くしてください」


 そう急かされ、マチルダは慌てて動き出した。

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