七草の恋

鈴ノ木 鈴ノ子

ななくさのこい

 

「萩、すすき、葛、なでしこ、おみなえし、藤袴、桔梗…」


 図鑑を見ながら幼馴染の雪菜先輩が艶めかしい声を出しながら、それを机の上に頬り投げた。

 

「先輩、意味もなく秋の七草ですか?」


 図書委員の僕は机に投げ出された本を覗き込みながら声を掛ける。


「うん、幸太郎、どれ食べれると思う?」


「は?」


 真顔でそう言った先輩に思わずタメ口で返事をしてしまった。

 記憶が確かなら、先輩、小テストの勉強のために来ていたのではなかったか?


「いや、春の七草は食べれるじゃん、なんで秋は食べれないの?」


 そう尋ねられてしまうと返答に窮してしまう。

 

「春は陽気で腹が減るからかな?」


 両腕を組んだ先輩が真面目な顔で悩んでいる、いや、貴女が今悩むべき問題は、それが食えるか、ではなく、貴女の〇が1つもつかなかった小テストの追試が問題のはずです。

 

 美人で有名な国語の小宮先生が幽霊画のように図書室の扉の陰に立ち、僕を手招きした光景が今でも思い出されます。


「これ、あなたにあげるから、どうにかしなさい」


 日下部雪菜 と書かれた小テストに赤いペンの✓が並んでいる。右上の得点は もちろん、0 でした。


「いい、貴方の先輩なんだから、何とかしなさい」


「は?」


 幼馴染で付き合いも長くて放課後は本も読まないのに図書室に入り浸っている先輩であることは間違いないです、しかしながら、勉強までを世話する業務は図書委員に含まれていないはずだ。


「先生の職務ではないかと?」


 正論とはむやみやたらにぶつけてはならないということをこの時初めて知った。

 幽霊画から抜け出して、雪女のように冷たい視線と表情をした小宮先生が凍って冷たい手を、そっと優しく僕の肩に置いた。


「いい、できなかったら、貴方も追試だから」


「は?」


「以上、終わり」


 とても理不尽な言葉を残し、氷上の笑みを浮かべた先生が悲壮感漂う背中を見せて図書館を去っていった。


「先輩、頑張ってくれないと、僕も小テスト受けさせられるんですけど?」


「じゃぁ、受ければ?」


「は?」


 反省の色が一切ない、いっそのこと、清々しさが溢れていると言っても過言ではない。


「よし、そうしよう」


 座っている椅子の隣に置いてあるリュックを持って立ち上がる先輩を、僕は慌ててその両肩に手を置いて椅子に戻す様に押し付ける。


「帰らない、さ、勉強を頑張ってください!」


「しかたない。やってやるから教えなさい」


「は?」


 仕方なくはないし、やらなければならないことだ。何より自分で勉強ぐらいできるだろう。それよりも腕組みをしてこちらを睨むようにしながら、女王様のような顔つきで僕を見るのはどうだろうか?


「仕方ない、しっかりと教えて差し上げます」


「じゃぁ、どうして秋の七草は食べれないんですか?」


「知りませんし、今の話題ではありません」


「気になるじゃん、だって、食べれないんだよ?」


「そもそも食べることから離れてもらえません?」


「解決したらどうにかできるよ」


「まったく…売り言葉に買い言葉な先輩だな。ああもう、じゃぁ言いますよ、秋の七草ってのは秋の深まりを告げてくれる草花で、食べられないですけど漢方薬の原料にはなってます。ああ、それから花言葉には恋に纏わるものが多いですね、これで納得しましたか?」


「なんだ、普通の答えじゃん」


「は?」


 人の説明に対して普通とはこれ如何に?やはり、現代の女子高生にはこの程度はつまらない話なのかもしれない。この人に万葉集の説明をしたところで通じる訳もない気がする。

 

「花言葉の意味は知ってる?」


「それくらい知ってますよ」

 

 揶揄うように先輩がそう言ったので、むきになって反論する。

 僕が短歌部の部員であることぐらい知ってるのに意地の悪いことを言うもんだ。


「万葉集は持ち込まないんだ?」


「は?」


 先輩の口から万葉集なんて言葉が出てくるとは思わず、あっけにとられた僕の表情に先輩は優しく微笑みを見せた。


「私だって知ってるよ、きちんと勉強もしてる」


「じゃぁ、なんであんなテスト結果に…」


 微笑みが消えるとやがて意を決したような表情になり、先輩の口から短歌が紡がれた。

 

「深まりて 色葉の如し 撫子の 君に告げたる 吐息の想い」


 歌の想いはすぐに気がついて真っ赤に顔を染めた先輩に思わず見惚れてしまう。

 

「返歌は?」


 小さな口元からボソリと求める声が聞こえてきた。


「七草の 意味を知りたる 君のため 染めた想いの 桔梗を飾る」


 咄嗟の返歌を口走ると顔に熱が籠る。

 意味が理解できるだろうかと不安になったけれど、それは杞憂だった。


「追試は大丈夫だから安心して」


 紅葉のように顔を染めた可愛らしい先輩がそう言って微笑む。


「それが終わったら、秋の七草でも見に行きましょうか?」


「うん、楽しみにしてる」


どうやら、僕という小さな本の虫は、ようやく草花を愛で方を知る。一輪の可憐な笑みが目の前に花開いていた。

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七草の恋 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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