第2章 ルードランの弟(1)

 ライセル城はユグナルガの国ルルジェの都をべる。広大な城の敷地は頑丈な城壁で囲まれ、主城の他に多くの立派な別棟が庭園付きで建てられていた。これらはさまざまな用途で使用される。マティマナが泊まる客間も主城に近い豪華な別棟だ。

 夜にそっと訪ねてきたルードランに魔法のことを更にかれた。もう少なくともルードランには隠せないし隠す必要もないので、雑用魔法のことを色々話した。

 片づけや、整理整頓、掃除、洗い物や、修繕に、磨き仕事、繕い物。ルードランに目撃された以外にも使える雑用魔法は色々ある。ただ無意識で使っている魔法も多いので、やってみないとわからないことも若干あった。網羅して伝えることは難しい。

 ルードランの話では、弟のバザックスの部屋が尋常でなく散らかり放題で、母が心痛らしいとのことだった。

 雑用魔法では一発でしゃらんと片づけを済ます、というわけにはいかない。けれど、マティマナは魔法での片づけは大好きで、得意中の得意だと告げた。

 「それならきっと、なんとかなりそうかな」と、ルードランはひとち、マティマナは翌日、ルードランの弟だという者の部屋へと連れていかれた。

 片づけをするということで、マティマナは平服──といいつつ、何気に豪華な代物なのだが──を着せられている。

「部屋を片づける?」

 ルードランが声をかけると明らかに不機嫌な声が部屋のなかから響いてきた。扉から顔を出したのが、ルードランの弟バザックスらしい。眉根を寄せ、ボサボサの金髪を振り乱し、さまざまな色合いに汚れのついた不思議な形の衣装──たぶん夜着だろう──を着た、とても大貴族とは思えないふうぼうをしていた。

「研究の邪魔は困るぞ?」

 ルードランの弟らしき者は文句たらたらだ。

 研究が行き詰まっていらちが募っている真っ最中らしい。

 夜会などとは無縁そうだ。研究一筋の学者を目指している雰囲気だった。

 裏方仕事をしていても、ルードランの弟についてのうわさはない。弟がいるということは知られていたが、城に住んでいることは巧みに隠されていたのかもしれなかった。

「研究の役に立つかもしれないよ?」

 ルードランは確信を含んだ笑みでバザックスを説得している。バザックスもルードランと同じ青い眼をしていたが、眼光鋭いというか、にらむようなキツい眼差しだ。極度に疲労しているのか、眼の下のクマが目立つ。

 のぞき見る限り、部屋のなかは散らかり放題だった。汚れもひどそうで、若干の悪臭も放っている。

 しかし、奇妙だ。通常、王族直系の大貴族であるライセル家では、王家由来の魔法が働いているはずだった。部屋など、汚そうにも汚れないはず。なのに、これはどういうことだろう?

「部屋の汚れる理由がわからなくてね」

 不思議そうにしているマティマナに、ルードランはコソッと告げた。

「とても、片づけのありそうなお部屋です」

 マティマナは決意の表情でつぶやく。そう言いながらも、雑用魔法が使い放題で構わないことにうきうきしていた。


「失礼します」

 片づけをするといいながら、手ぶらで部屋へと入り、行儀悪く頭をくような仕草のバザックスへと丁寧に礼をした。

「紙の位置や、開いた巻物は、そのままに保ってくれ。重なりも、何もかも」

 くれぐれも慎重に頼む、と、冷や冷やしながら、マティマナに付きっきりだ。はなから全く信用されていないことが丸わかりな状態だった。

「あ、はい。わかりました。それ以外のものは片づけてもよろしいでしょうか?」

 変えてほしくないのは、紙と巻物の状態のようだ。

「ああ。とにかく紙と巻物の状態は、絶対、変えるなよ!」

 バザックスは何度も念を押す。

 本来ライセル城の敷地に働くはずの、王家由来の魔法は止められているのだろうか? 自動での清掃や片づけが、バザックスの部屋では発動していない。

 裏方の仕事をしているとき、ライセル家の魔法が発動しているのでとても楽だった。なのだが、ルードランの弟バザックスの部屋は奇妙な状態だ。紙や巻物の位置を保持したいがために、その機能を停止させているのかもしれない。

 散らかり放題なのはいいとして。食べかすや、ゴミやらちりやらは、本来あり得ない。これらを散らかすのはダメだろう。こぼした飲み物にれた痕跡も、そのままだ。

 さすがに物が腐りはしていないようだが。いや、微妙に嫌なにおいがある。

 マティマナは、素早く雑用魔法を部屋全体に働かせ、食べかす、食べ残し、飲み残し、使用した食器類、それらを分類しつつちゅうぼう横へと届けた。汚れた食器は、洗い場。食べかす食べ残し飲み残しは専用のゴミ箱。魔法で特殊処理をする専用のゴミ箱は、たいていの屋敷に備えられている。

「紙や巻物以外の品は、棚に分類収納してもよろしいですか?」

 マティマナは小さい範囲ずつに次々に魔法を浴びせながら訊いた。

「ああ。できればわかりやすく頼む」

 紙と巻物の位置が保たれそうなので、バザックスは少しあんしてきている様子だ。

 何度か雑用魔法をかけて寝台を整え、ほこりはたてずそうの塵を払う。床磨きでは濡れ残しの痕跡もない。ただ魔法の範囲は少しずつだ。それでも、紙や拡げた巻物の下も、丁寧に拭き清められる。紙や巻物を濡らすようなことは絶対しない。

 雑用魔法は範囲を狭めれば、かなり細密なことがらを指定できた。

「お召し物、しみ抜き、してもよろしいでしょうか?」

 わざわざ汚しているかもしれないので、一応確認した。

「着たままで、可能なのか?」

「はい。では、しみ抜きしますね」

 了承と判断し、夜着らしきもののしみ抜きをする。三回くらいバザックスを魔法で包むと、夜着はすっかりれいに元々の色と形を取り戻した。同時に、ボサボサの金髪も、しっとり、ふんわり巻き毛になっている。

 疲れたような肌も、つやつやだ。

 とんでもなく散らかっていたように思えたバザックスの部屋は、紙と開いた巻物をそのままの状態にして残しても、かなり綺麗さっぱりと片づいていた。

 床の上も、机の上も、整頓されて物のありが、わかりやすくなったと思う。

「ウソだろう? 確かに、巻物も紙も位置は寸分変えてないな。だが、片づいているし、綺麗に拭かれている!」

 しばらくマティマナの雑用魔法での片づけを見続けていたバザックスは、きょうがくし、どうもくし、ピカピカに綺麗になっていく自室を見回していた。

「あ、これは、捜していたんだ」

 バザックスは感嘆しながら、机の上の品々をでるようにして呟く。

 小物や筆記具、紙をまとめるための布帯など、丸まって汚れ机の下に入っていたりしたが、塵を払い綺麗に洗ってしわを伸ばしたような状態で机や棚に並べておいた。

 資料となる品々は、棚にわかりやすいように分類されて収納されたし、机の引き出しも、綺麗に分類整頓されている。格段に使いやすくなったはずだ。

 大量にある小箱のたぐいも、大きさごとに美しく棚に整理された。

 整頓されてみれば、散らかっていたときよりも圧倒的に研究の効率が良くなるだろう。

「この紙束、順番どおりに並べ直しますか?」

 マティマナは紙の重なりを変えるな、とは言われていたが、書き物をしている紙に順番らしき番号が振られているのに気づいて訊いた。求められれば、すぐに順番どおりに並べ変えられる。

「そんなこと、可能なのか?」

「こんな感じです」

 並べ直してほしそうだったので、紙束を拾い上げて手にし、雑用魔法を働かせて並べ変えた。

「す、すばらしい……! なんて、すばらしい魔法なのだ!」

 バザックスは、すっかり感心感動したようで、マティマナはすこぶる満足感を味わった。なにしろ、巻物と紙は床に残ってはいるが、全然散らかっているようには見えなくなっている。

 いかにも、作業途中、というだけの雰囲気になった。

「散らかりにくくなったと思いますが、片づけでしたら、いつでも、お申し付けくださいませ」

 にっこりと笑みを向け、不要物の入った箱を抱えマティマナはバザックスの部屋を出た。

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