第1章 理不尽な婚約破棄と一日だけの婚約者(2)

「皆に紹介しよう。僕の婚約者、マティマナ・ログス嬢だ」

 隣のルードランは会場の中央で足を止め、爽やかな声で朗々と宣言している。

 おおっ! と、あちこちからきょうがくする声が響いてきた。それは、そうだ。王族直系の大貴族ライセル家の跡取り息子が連れてきた婚約者が、下級貴族の令嬢だとは驚きだろう。

 いや、そう言うほどには、下級貴族の令嬢など名も知られていないはずだ。

 ルードランの婚約者は何者なのか、というせんさくが始まるに違いない。

「お前、浮気してたのか!」

 つかつかと歩み寄ってきた元婚約者のザクレス・ジェルキが息巻いて、マティマナを問い詰めるように騒いだ。

 うわぁ、こんな注目浴びている場で、そんな話するわけ?

 マティマナは、理不尽に婚約破棄された怒りがふつふつと湧いてきた。

「何をおっしゃいます? 婚約破棄の証書は、しっかり頂いていますよ? ルーさまとのいは、あなたからの婚約破棄の後です」

 婚約破棄の証書を渡されたのは今日の午後だ。だが、ルードランと出逢ったのはその後だった。

「お告げどおり、旅の終わりに最高の出逢いがあったよ」

 ルードランはにこやかに告げた。

 出逢いはライセル家の門のなかだが、ルードランは旅からの帰還途中だったのだ。確かに、旅装束だった。

 ルードランは無礼なザクレス相手にも、優雅な対応だ。こんな不愉快だろう場面でも、マティマナに対する笑みは変わらないし、気遣ってくれている。

 なんてステキな方なの!

 不満の言葉でなく、そんな思いを飲み込むなんて初めてだ。

 別世界に住む方なのだと、改めて感じてしまう。

 ぐぬぬ、と、うめきつつザクレスは往生際が悪い様子ながら引き下がった。

「彼が、君を振った元婚約者?」

 ルードランは興味深そうに耳打ちしてくる。

「はい。ジェルキ家の跡取り息子です」

「ああ、ジェルキ家。そういえば色々と苦情が来ていたね。ジェルキ家には、少し調査を入れるべきかな?」

 ルードランはマティマナに失礼な真似をし続けるザクレスにご立腹の様子だ。マティマナはルードランの言葉に希望をいだした。

「あ、それはぜひ! わたし、ずっと、ジェルキ家の重税に苦しめられている領地の方たちを助けたいと切望していました! ご存分に願えれば!」

 マティマナは思わず応えていた。

 ザクレスとの婚約は、富豪貴族を目指すマティマナの父が必死で取り付けたものだった。マティマナは父の願いをかなえたい一心で婚約を受け入れていたのだ。だが、ザクレスの婚約者でいるあいだ、ずっとジェルキ家の暴挙に心を痛める羽目になった。自らが嫁入りすることで領民のためにできることがあるかもしれない、と、それだけがザクレスの婚約者としての、よすがではあった。

「随分と苦しい思いをしてきたのだね」

 ルードランは柔らかな青い眼差しでささやく。キリッとしているのに、マティマナに向けてくる笑みは極上に優しかった。

 ライセル家がジェルキ家へと調査の手を入れてくれるなら、それだけでも一日婚約者のフリをするがある。

 ルードランはライセル家が管轄する貴族たちの状況を把握しているし、対処も的確で頼もしい。

 マティマナの心は、ルードランへの止まらない思いで騒がしかった。ルードランに導かれ、夢の世界を歩いているようだ。夜会でこんなにウキウキできるなんて。

 たとえ、一夜の夢であっても。


 さまざまな思いが心に渦巻くうち、ルードランに連れられマティマナは会場の最前へと向かっていた。

「下級貴族の令嬢などに、ライセル家の伴侶が務まるのか?」

 遠くから声が響いてくる。陰口の大元はザクレスのようだ。

「心配いらないよ。でも、少し作法やなんやで教育が入るとは思うけど」

 君なら大丈夫、と、ルードランは確信した声で囁く。

 って、え? 一日だけの婚約者のフリなんでしょう?

 しかし、こんな形のお披露目では取り消しは難しいかも?

 マティマナは混乱しそうはくになっていった。

「ライセル家へ嫁ぐとなれば、それなりの魔法の力も必要だぜ?」

 背後から声高に元婚約者ザクレスの声が響き続ける。ずっと悪口を言い続けているのだ。

 あー、あんなに堂々と! ライセル家にけん売っているって、気づかないのかしら?

 もう関係ない人ではあるが、マティマナは、つい余計な心配をしてしまう。

 元婚約者のザクレスは、マティマナの雑用魔法のことは知らない。知られなくてよかった。知られていたらせんな魔法しか使えないと指摘して笑いものにしただろう。いや、非難ごうごうで、もっと早くに婚約破棄になっていたかもしれない。

 魔法は基本的に誰でも使える。ただ、生まれついて使用できる魔法を持っている者は少なく、後天的に学習するか、魔法の品を手に入れることで使えるようになる形がほとんどのようだ。

 マティマナはあるときから急に雑用魔法が使えるようになったが、それまでは意識して魔法を使ったことはなかった。

 ただ、上級貴族や高貴な生まれの者のなかには、生まれつきその地位に相応ふさわしい高貴な魔法を持っている者が多い。たとえば多人数への強烈な治癒魔法、広範囲の守護魔法といった領地を統治する際にも役立つものだ。高貴さ故に生まれついて所持する魔法であり、後天的に身につけることができないものである。家に代々伝わる特殊魔法の宝飾品を受け継ぐのも貴族魔法の特徴だ。

 雑用魔法でできることは、下働きにさせる仕事ばかり。そしてそんな下働きの者が使う魔法など世の中には存在しない。雑用のために魔法を使うなどあり得ない、と、マティマナは家人からあきれられていた。そして決して雑用魔法をバラさないよう常々くぎを刺され続けている。

「ロクに魔法も使えない下級貴族が嫁では、ライセル家の恥になりますよ!」

 ザクレスの近くで、同意の声をあげているのは、ジェルキ家と懇意な富豪貴族パーブラ家の若き令息たちのようだ。富豪貴族の取り巻きの上級貴族たちが、ヤジを飛ばして悪口を盛り上げている。

 富豪貴族たちが固まっているから、衣装はド派手で宝石もてんこ盛り。ケバケバしいほどの一団だ。

 近くにザクレスと一緒に馬車に乗っていた令嬢がいるが、究極的に不機嫌な表情をしていた。

 ザクレスとの間に、何かあったのだろうか? その令嬢に、せっつかれるように、ザクレスはマティマナの悪口をわめき立てているように見えた。

「ザクレス君のそばでけしかけているのは、問題大ありのイハナ家だね。ケイチェル嬢だ」

 ルードランは、マティマナの耳元で思案げにつぶやいた。富豪貴族に関しては、さすがに名前と姿も把握しているようだ。

「あ、イハナ家の方だったのですね」

 イハナ家は悪徳な富豪貴族。ジェルキ家といい勝負だ。

 確かに、派手に着飾った美人な令嬢の近くにイハナ家の当主ポレスがいた。ザクレスの家に招かれたとき、見掛けたことがある。短めの黒髪に豪華な長衣。大きな宝石を惜しげもなく身につけ悪徳を極めたような邪悪な気配が、マティマナはとても苦手だった。


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