第3話 失言王の本領発揮
「ところで栗原さん」
「はい?」
会話を弾ませる二人に油断していた。ふいに指名されて顔を上げれば、少々不安そうな表情の男が視界に入る。
「うちの寛茂は、ご迷惑をおかけしていませんか?」
「親父っ」
妙に慌てた様子の寛茂が気になるが、それよりも質問に答える方が先だ。千誠はスプーンを置いてまっすぐ見つめ返した。
「私は迷惑をかけられているという自覚がありませんね。毎日楽しいですよ、彼といると」
「そうですか。息子は私以上にそそっかしいので……。恋人と一緒に住んでいると言われた時は驚きましたが、あなたが相手で良かったと思います」
「……は」
寛茂の父親が放った言葉に千誠の声がかすれて虚空に吐き出された。
――何だって? 俺が恋人だと知っているだと?
猫被りに自信のある千誠であったが、さすがに超展開過ぎて自然な態度がとれない。
寛茂を盗み見れば、赤いのか青いのかよくわからない顔色をしている。頬と耳は赤いがそれ以外の血の気が引いているように見える。かなりの動揺ぶりだ。
「同性かどうかより、この子が人と生活を共にできる気がしていなかったものでして。……それにこの馬鹿息子、あなたの自慢しかしないんですよ。
全ておんぶにだっこ状態だったら、と思うと私の胃がもちそうになくてですね」
「お、親父っ!」
耐えきれなくなった寛茂の悲鳴にも似た声が彼の話を中断させた。
「うん? 恥ずかしいのか?」
「いや、ちがくて! 親父達に教えた事栗原さんに伝えてないんだっ」
「……は?」
――寛茂の血縁者だと改めて強く感じた瞬間だった。ぽかんと口をあけたその表情は、まさに寛茂そっくりである。年を経たらうり二つの顔をする寛茂が見られるだろう。
「えっ、あっ、ああっ!?」
がたんと椅子から慌ただしく立ち上がった寛茂の父親は、千誠の側で土下座をした。
「えっ」
「困惑させて申し訳ないっ」
「あ、いや、今の方が困惑してますが」
恋人の父親に突然土下座されて困惑しない人間はいないだろう。少なくとも千誠は困惑している。
「てっきり、話が済んでいるものと。突然の訪問だって驚いた事でしょう。それなのに食事までっ! すごく美味い」
人の話を聞かないあたりも似ている。寛茂がカミングアウトしていたという驚きも、それを家族がすんなりと理解を示して歩み寄ってくれている事への感心する気持ちも、何もかもが吹き飛ばされていく。
「お、親父」
「ああ、こんな土下座なんて受け取っても楽しくないですね。失礼しました……」
中途半端に腰を浮かせたままの千誠が何かを言う時間も与えず、彼は立ち上がった。千誠はつられるようにして立ち上がる。
「改めまして、寛茂の父親をしております伊高
「……栗原千誠と申します。あなたの息子さんとおつきあいさせていただいております」
同じように礼を尽くすした挨拶をする。お互いに名乗った事で、小さな安心感が灯る。
「ご挨拶をしにいくのが筋であるところ、お越しいただいて申し訳ありません。せっかくですので温かい内に食事を食べませんか?」
「こちらこそ、突然の来訪で事情も分からないでしょうに、ここまでしてくださってありがとうございます」
小さく衛茂と笑みを交わす。彼に対して不安に思う事は何もない。千誠はそう確信した。
まだドリアは冷めていなかった。むしろ食べやすい熱さになっている。くたりとしたタマネギの甘さがクリームをまろやかな味にさせていて、鮭の塩加減とちょうど良い。
「親父、夕食が台無しになるかと思ったじゃないか」
「はは……悪い悪い。お前が話をした事を彼に伝えていると思っていたものだからな」
千誠はバランス良く仕上がったドリアを食べながらぶつくさと文句を言う寛茂を微笑ましく思う。
「俺は俺のタイミングで言おうと思ってたの。それより、うまいだろ? 栗原さんの話、俺が話を盛っているんじゃないって分かってくれた?」
どうやら寛茂の怒りの焦点はずれているようだ。寛茂はどこか千誠至上主義なところがある。そこも可愛らしいポイントではあるが。
「ああ。毎日でも食べたいくらいだ。もちろん普段はちゃんと手伝ったり代わりに料理をしたりしているんだろうな」
「やってるよ! って言いたいけど、手伝ってる事の方が多いんだよなぁ」
「彼の厚意に甘え続けては駄目だ。同性だからこそ、互いに尊重しあわないと」
衛茂が理解ある人間すぎて怖い。千誠は息子に渇を入れる彼をなだめた。
「衛茂さん、良いんですよ。俺は家事以外で結構甘えているんです」
「そうですか」
「彼はおおらかで懐が広い。少し、いや結構抜けてはいますが、そこが愛しく感じるくらいで。むしろ俺に引っかかってしまって本当に良いのかと思ってしまいます」
「もー……俺は栗原さんが良いんだって、いつになったら信じてくれるんですかー」
「ヒロを信じてるのと、俺がそう思うのは別の話だろ」
ぷりぷりと唇を尖らせる姿は可愛いが、この場では少々問題がある。千誠はその尖った唇を指でつまみながら笑った。
「栗原さん、あなたが私どもの息子を受け入れてくださっているのはよく分かりました。これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
寛茂とのやりとりは少々大人げなかったかもしれない。慌てて手を離す。解放された唇がひりつくのか、寛茂は口元を撫でている。
「栗原さんの料理はとてもおいしいですが、何かコツでもおありですか?」
温野菜をつまみながら衛茂が問う。衛茂は良い食べっぷりを見せつけながら、千誠に小さく視線を移す。
「そうですね。最初はしっかりと味見をする事でしょうか。慣れれば最後にちょっと確認、で問題ありませんが、作り慣れていない料理については段階ごとに確認するようにしています」
面倒ですが確実ですよ、と続ければ衛茂は頷いていた。
「もちろん、むやみに味見をするというわけではありません。ものによっては生での味見にリスクのある場合もありますから」
「たとえば肉類ですか?」
「そうですね。あとはキノコのような大型菌類とか。基本的に生食をしないものを使う場合は、タレを作ったタイミングでタレを味見するか火が通ってからの味見になります」
ドリア、足りなかったかな……と結構なスピードで衛茂の口の中に消えていった料理を見つめつつ思う。冷蔵庫の中身で何か作れただろうかと考え始めたところでマッシュルームがあったのを思い出す。
「キノコで思い出したんですが、マッシュルーム焼きましょうか。ちょっとドリアだけだと少なめだったようですし、多分ヒロも――やっぱり。足りないですね」
「も、申し訳ない」
「良いですよ。だいたい普段もこんな感じで緩いので」
小さく笑えば、寛茂が弱々しく「栗原さぁん」と照れた声を上げ、それを聞いた衛茂が恥ずかしそうに俯いた。
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