第3話 出会いに順番は無関係

「――で? 引っ越しはいつ?」

「明日ーってか、日付変わっちまったから今日か」

「はっ? ここで飲んだくれてて良いのか?」


 酔い潰れた寛茂を抱き込んだままソファーに沈み込んでいる千誠ののんびりとした回答に浩和は驚きの声を上げた。


「まあ、昼前開始だからな」

「手伝いは必要なんじゃないか?」


 浩和の隣でやや目元をとろけさせた祥順がもっともらしく言うが、完全に酔っぱらっている。


「来てくれるならありがたいけど、明日だぜ?」

「特に用事はないから二人で行くよ」


 酩酊状態に近いくせに言う事だけはまともだ。浩和は苦笑する。もう少し飲んだら潰れてしまうだろう彼に、そっとオレンジジュースを渡してやった。


「んじゃ遠慮なく。十一時に業者が来るから、留守番頼んでも良いか?」

「良いよ」

「助かるよ。ありがとな」

「それくらい構わない。親友みたいなものじゃないか」

「あーまあ、そうだなぁー」


 半笑いをする千誠に向けて祥順は爽やかに笑って――酔っているせいで少々爽やかさに欠けるが――オレンジジュースを飲み「これジュースだ」と呟いた。


「なあ、カジ君。タキ君よりも先にオフの俺と知り合ってたら、俺と親友になったよな?」

「多分ね」


 浩和は何となく嫌な予感を覚える。千誠はそう感じた浩和の表情を読んだのか、にやりと口元を小さく歪ませた。


「そしたら、俺の恋人になってたかもしんねぇな?」

「ちょっと、栗原さ――」

「ならなかったと思う」


 浩和が注意する声に重ねた祥順は、意外にも言い切った。


「俺は浩和の涙を見たからこそ放っておけないなって思ったし、それが向上心のある真面目で頑張り屋で堅実な人柄を知るきっかけになったんだ。

 だから栗原さんがいかに凄い人を演じていて、オフではこんなにざっくばらんに話せる人だっていう事を先に知ったとしても、あなたの今までの経験を理解して寄り添うところまでは行き着かなかったと思う」

「意外につっこんだ回答をしてくれるな」


 振られたはずの千誠は嬉しそうだった。


「栗原さんは凄いよ。だって、全くオフの時と人が違うから。そこに至るまでにいろんな事があったんだろうって思う。でも、俺じゃ栗原さんの柔らかいところを見つける事はできないよ。

 つい逃げちゃう栗原さんには、ぐいぐい攻めていく鈍感な人じゃなきゃ」


 酔っぱらいの癖に良く頭が回る、と千誠が笑った。祥順の言葉を聞けば聞くほど、彼自身が千誠の事をしっかりと見ていた事が分かる。


「俺はあまり積極的になれないタイプだから距離感を読んでゆっくり囲ってくれる人の方が合ってるし。

 それに、ある瞬間に“良いな”って思ったんだ。あの感覚だけは誰にも感じる事はないと自信を持って言える」


 祥順の言葉に、浩和はいつの日か同じ気持ちを感じたその瞬間を思い出す。ベランダに立つ姿を見た時だ。太陽光で縁取られた彼の姿を見た瞬間、すとんと落ちてきたのだった。

 同じような事を祥順もいつの瞬間か感じてくれていた。それを知るだけで胸元に熱が集まるようだ。


「今度、俺にだけその瞬間の話を教えて」

「え、恥ずかしいからやだよ」

「俺も教えるらさ」


 祥順は目を丸くしてきょとんとした後、はにかんだ。承諾は得られたようだ。その可愛らしい頬にキスを一つ落とす。


「あーあー結局のろけになるのやめてくんねぇー? おい、そっちのいちゃついてるあんたらもそう思うよな?」


 千誠が大げさに呆れた声を出せば、二人だけの世界に入っていた紗彩と明寧が面倒そうに顔を上げた。


「そっちの話に巻き込まないでくれる?」

「いくら彼氏が寝落ちちゃって暇だからってー」


 二人とも手厳しい。浩和はばさりと千誠が切られるのを見て苦笑する。だからと言って擁護する気はないが。紗彩と明寧は一言ずつ文句を口にして気が済んだのかくすくすと笑いながら互いのグラスに口付けた。

 明寧の赤く染まった唇から漏れた液体に紗彩が唇を寄せる。淫猥にも見えるそんな行動を見ても、何も感じなかった。


「栗原さんって、割と寂しがり屋だよねぇ」

「酔い潰れちゃって抱きつかれてても寂しいなんて、ウサギみたい」

「うっせぇ女ども」


 見せつけるかのように頬を寄せ合う二人は千誠をからかう。しっかし言われてみればそんな風に見えてくるから不思議だ。祥順と同じく猫のようだと持っていたが、猫を被ったウサギだったという事か。

 意外に攻撃的で寂しがりというところはまさに……と浩和が思ったところで思考が停止した。肩に重みがかかり首をひねると、とうとう寝落ちてしまったらしい祥順の頭が見えた。


 重みの正体にくすりと笑みが漏れる。アンバランスな状況すぎて体勢に困るという気持ちとピンポイントで自身に体を預けてきた祥順の可愛らしさがたまらないという気持ちが戦っていた。

 きゃらきゃらと笑う二人に噛みつく千誠の声を聞きながら、祥順をどうすべきか浩和は悩んでいた。このまま肩に乗せておくには不安定で、だからといって膝を貸してやろうにも椅子に座っている者同士では厳しい。


 一番良いのはベッドへ運んでやる事になるが、一度起こす事になってしまいそうで気が咎める。どうしたものかと悩んでいると、祥順が寝ぼけ声を出した。


「んん、はにゃに……」

「ベッドで寝ようか」

「おれ、ねるよ」


 立ち上がろうとするそぶりを見せる祥順を支えてやり、席を立つ。


「襲うなよー!」

「んな事するか」


 冷やかす声に返事をすれば、体重を預けてきている祥順が小さく笑った。ぼんやりとしていても一応起きたらしい。覚束ない足元でゆらゆらと揺れている彼の体温は高く、汗ばんだ熱を浩和に押しつけてくる。


「ひとがいる時は紳士だもんなー」

「ほら、行くよ」


 はふ、と小さなあくびを漏らした。あくびとともに祥順は酒精の濃厚な空気を吐き出す。浩和もそうだろうが、だいぶ酒臭い。

 少しばかり苦労しつつベッドまで行き着けば、祥順は素直に転がった。うっすらと目を開き、口元を微笑ませて脱力する姿は無防備そのものだ。無防備ゆえの色香がそこにはあった。

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