第2話 新情報と悋気と酔っ払い

 歯列の間やら頬の内側やらあちこちをなぞり、舌を絡ませ、いまだに逃げようとする祥順を攻め続ける。

 祥順の口の中はちゃんぽんしてたせいで、なんのアルコールか分からない味がした。つまみの種類も豊富だったせいで何だか分からない状態になっているのもおもしろい。

 逃げまどう口内をさんざん味わった浩和は祥順の目元がとろんとしてきたのに気が付いて、彼を解放してあげる事に決めるのだった。


「ばっ、か…… っ!」

「熱いなぁー。俺達も負けてらんねぇな。ヒロ」


 やり返されたのが恥ずかしいのか、祥順は瞳を不自然に揺らしながら悪態を吐く。にやにやと笑っている元聖人は、すぐ側にいる猛烈なディープキスを仕掛けられてとろんとした恋人の唇を親指で揉んだ。

 寛茂の方はもにゃもにゃと言葉にならない音を口から漏らしている。


「そうそう。今日お知らせしようと思ってたんだけどよ。俺とヒロ、引っ越す事にしたから」


 視線が千誠に集中する。浩和にとって、それは意外だった。もちろんあの物件が何の不満もない部屋に感じられていたからだ。二人分の個別スペースがあり、ダイニングキッチンがある。

 男独りで住むには少し広く、男二人で住むならちょうど良いくらいの広さだった。


「共有部が狭いから、この人数が集まってわいわいするとなると固定でここになっちまうだろ。だから、この家の周辺でもっと広いリビングのある物件を選んだんだぜ」


 近所、と言われて浩和の頭にある物件が浮かぶ。いや、まさかな。思い浮かんだ考えをさっさと追い払う。


「今度の物件ならぎりぎりまでみんなを呼んで飲んだくれる広さはあるし、近場だからここで飲んでたとしてもしっぽりしたくなったらすぐ帰宅できる。

 利便性重視ってわけだ」


 随分と不純な動機だ。だが、浩和は千誠らしい理由だと思った。


「あと、終電逃した時に元彼と同じ家で寝るのが不安な明寧が紗彩を引き連れて俺達の家で寝るって事も可能だ」

「気が利くじゃない」


 千誠は明寧の合いの手に笑う。


「俺は真性のゲイだし、寛茂は完全に俺の意にそぐわない事はしないしで安全だからなぁー」

「もうっ、私はよりを戻す気なんて全くないんだからっ」


 千誠と明寧のやり取りに紗彩はぷりぷりと怒った。


「紗彩さん、分かってても複雑なんだよ。今の恋人からすればね」


 紗彩の言葉に同意しようとしたら、すぐ隣から彼女をなだめる声が響く。


「例えばさ、明寧さんがどんなにあなたに愛情を示していたって、突然路上で元カノと遭遇して仲良さそうに話をし始めたら複雑だろ? そういう事だよ。

 明寧さんの気持ちは分かるよ。俺も、何も感じないかと聞かれればそうとは言い切れないから」


 浩和は片眉を上げた。祥順は何とも思っていないのだと思っていた。紗彩に対する態度は明寧に対するそれと全く同じで、そんなそぶりはなかった。

 むしろヤキモチを焼いてくれないかな、と思ったくらいだ。祥順の中で生まれた悋気はうまく隠されていたらしい。

 紗彩は祥順の言った事を飲み込んだのかすんなりとおとなしくなる。紗彩はすぐにぷりぷりと怒り出すが、納得すればすぐに元に戻るというのは相変わらずだ。


「そっか。でも本当に私にそういう気持ちはないからね? 浩和君は兄妹みたいな感覚だから」


 ね、と同意を求める紗彩に浩和は軽く頷いた。浩和にとって、紗彩は家族のような存在だ。そんな風に思えるようになったのは、祥順が浩和を慰め、前を向けるように寄り添ってくれたおかげだった。

 祥順は良い男だ。本人はそう思ってはいないようだが、そんな無自覚なところも良い。


「分かってはいるんだ。でも、それと感情は別だから。ところでその引っ越し先の物件って、まさかルブラン?」

「何だ、知ってんのか」


 千誠が目を丸くした。思わず浩和は祥順を顔を見合わせる。考えている事はたぶん同じだ。


「――引っ越しを検討して、結局やめた物件だったり」

「まじかよ」


 千誠の驚く声に浩和は乾いた笑い声を漏らした。


「若い家族連れが好みそうな物件だよな。八畳の部屋と五畳の部屋が一つずつ、メインのダイニングキッチンは十五畳くらいだったか?」

「まじだった」


 祥順がはっきりと間取りを当てると千誠は顔をひきつらせて溜息を吐いた。珍しい態度に、彼が相当驚いたのだと分かる。


「結局、広さの感じがここと変わらないから見送ったんだよ。唯一の違いと言えば風呂場周辺くらいだったし」

「その差だけで月々五万円以上の差はちょっと、な」


 祥順の説明に浩和が付け足すと千誠は納得したらしくゆっくりと頷いていた。


「そりゃ、あんたらからしたらそうなるだろなぁ……」

「俺達そこまで高給取りじゃないから。ただでさえエンゲル係数高めなのに」

「それは食に拘るからだろが」

「はは、確かに。でも食べるなら美味しくなきゃな」


 話についていけない寛茂以外の男達は軽く笑う。


「私もそういう広いおうち憧れるなー」

「さーや、私頑張るからね。ガンガン成績上げて昇進するから」

「明寧さん格好いい。惚れ直しちゃう」


 ぽんやりとする寛茂の後ろで女性二人は勝手に盛り上がっていた。


「俺は! 栗原さんと住めて、みんなが遊びに来てくれるおうちになるならどこでも良いです!」

「うわ、耳元で騒ぐなよ。この駄犬っ」

「わふっ、なんちゃってー。えへへ」


 唐突にずれた発言で割り込んできた寛茂の頭を千誠が小突く。寛茂は痛そうにしながらも、千誠に相手をしてもらえて嬉しいらしく顔がゆるんだままだ。

 話がどんどん脱線していくな、と浩和の冷静な部分が呆れたような言葉を脳内に浮かばせた。

 収集がつかなくなる前にお開きにするかした方が良さそうだ――と、腕時計を見たら、最寄りの終電が出てしまっている時間だった。もう、既に遅かった。


「俺は栗原さんの駄犬だけど恋人なんですー」

「はいはい、あんたの分からない話で盛り上がって悪かったよ」

「ちゅーしてくれたら許してあげます!」

「あー、分かったよ。ほらこっち見ろ」


 元聖人が面倒そうに――本心では嬉しいくせに――寛茂の相手をする声を聞きながら、浩和はまぁ良いか。と解散を早々に諦めるのだった。

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