第25話 聖人、スパダリを目指す

 絶品朝食のせいで寛茂は千誠に対する気持ちの整理をするのを忘れてしまったのだが、これは誰に責任を問えば良いのだろうか。愚痴る気持ちはタイミングを失ったまま迷子になってしまった。

 食後に熱いほうじ茶まで出され、完全に落ち着いてしまっている。目の前には悩みの原因。手元にはおいしいほうじ茶。


 ほうじ茶でとどめを刺された寛茂は、気持ちとは裏腹に満足そうな溜息を吐いた。相手の動きを完全に読みとり、何でもできてしまう。

 仕事だっていつも完璧な目の前の男を表現するのに相応しい単語を寛茂は知っている。

 いわゆるスパダリというやつである。恋人でも結婚相手でもないから寛茂のダーリンではないのだが、千誠にはスパダリの素質が十分にあると思う。


「ヒロ、今、何考えてる?」

「へっ?」

「なんかにやけてるから」


 指摘されてすぐ、両手で頬を押さえた。隠したって無駄だと千誠が笑う。

 うう、何でこうやる事すべてイケメンなんだよー!

 寛茂のそんな嘆きは言葉にならなかった。ただ動揺する寛茂を見て千誠が楽しそうにするという状況が続くだけだ。


「俺はヒロじゃないからな。何を考えているのか想像はできても、手に取るように分かるわけじゃない。教えてくれないと、分からないんだ」


 言い聞かせるような言い方にムッとしそうになる。だが、彼が言っている事は間違ってはいない。寛茂はちょっと悔しい気持ちになった。

 千誠はそんな事を言ってはいても、寛茂の様子もお見通しであるのだろう。どこか余裕すら感じられる。


「言いにくい事も何もかも受け止めるから、教えてくれると嬉しい。俺もこれからは正直に言うように努力するから」


 彼の言葉を聞いて寛茂の気持ちは固まった。“明日以降に寛茂が話したいなら聞く”と言ったのを既に千誠が実行しているのだと気が付いてしまったからだ。

 どういう事か分からないが、千誠は今まで正直ではなかったらしい。そういう部分を寛茂が感じ取れなかっただけで、本人が言うのならばそうなのだろう。


「俺にとってヒロは可愛くて手放しがたい存在だ。嫌な時は嫌だって言ってほしいし、嬉しい時は――言われなくても分かるから良いが、口にしてもらえると俺も嬉しくなるな。

 どんな気持ちなのか、何を考えているのか、そういうのを知りたいんだ」


 寛茂は口説かれているような気持ちになってきた。そわそわしてしまう。数秒前に固まったはずの気持ちが揺れてしまう。言うのが恥ずかしいとか、そういうレベルではなく、相手の気持ちを何となく察して「俺も同じ」と言う事に狡さを感じたからである。

 自分がとてつもなく狡い人間であるように思えてしまう。きっと千誠はそうは思わないだろうが、これは自分の問題だ。


「お、俺が思ったのは、その。栗原さんって一般的に言うスパダリっぽいなって……」


 さっき思っていた事を言うだけ。昨日の話には触れないようにすれば狡くない……はず。

 寛茂が気まずそうに口にすると千誠は意外だと言いたげに目を見開いた。


「俺が? スパダリ??」

「だって、俺の事なんでも分かってるみたいで食事の用意とか、すごくタイミングがぴったりだし。仕事だって完璧だし」


 千誠がいかにスパダリの素質を持っているのか、寛茂は語り始めた。何の気なしに聞き始めた様子の千誠は、寛茂が語り続けるのを聞いている内に気恥ずかしくなってきたのか口元を押さえていた。


「だから、俺が恋人とか配偶者だったら栗原さんはスパダリって言われるんだろうなって思ったんです」

「……つまり、俺がヒロのダーリンになるって事?」

「えっ、あっ、そっちは結論じゃなくて!!」

「じゃあ、ヒロが俺のハニーになる?」

「言ってる事同じじゃないっすか!? からかわないでくださいよー!」


 千誠がにやりとしたのを見逃さなかった寛茂は、顔を赤くしながら抗議した。


「本気も混ざってるんだけどな」

 しれっと言われた言葉に思考が停止する。

「やらかすまで無自覚だった自分が恐ろしいよ。まあ、俺らしい気もするけど」

 唐突に甘い視線を送られ、どきりと胸が跳ねた。


「なぁ、ヒロ。俺はお前のスパダリになれるかな?」


 いつの間に立ち上がっていたのだろうか。テーブルに片手をついた千誠が自由な方の手で寛茂の顎を軽く掴んでいた。上向きにされ、一段と近づいた彼の顔と向き合った。

 すらりとした涼しげな目元はほんのりと赤く、それが寛茂には意外に映った。


「完璧な大人のふりはやめるぞ。というか、猫を被るのをお前の前ではやめようと思ってる。それでも俺は、お前のスパダリになれるかな」


 寛茂は何を言われているのかよく分からなくなってしまった。完璧な大人のふり、も分からないし猫を被っているというのも分からない。ただ、目の前で見つめてくる男が本気なのは分かった。


「俺……」


 見慣れているはずの千誠の顔がいつもと違って見える。吸い寄せられるように顔が近づき、徐々に高鳴る予感に目を閉じた。

 こつんと額が当たる。ぶつかったのが唇じゃなかった事に驚いて目を開けば、まつげが当たってしまいそうなほどに近かった。


「そういう顔されると俺も困る。何か言ってくれよな。俺をただの変質者にするつもりか?」

「う……」


 千誠の体温が分かってしまう。彼から放出される熱気が寛茂の顔に当たっていた。きっと寛茂の熱を千誠も感じているに違いない。


「お前については前科持ちだからな。俺だって無許可で色々したくねぇんだよ」


 ちょこちょこ乱暴な言葉遣いが混ざっているが、それだけ千誠の余裕のなさの表れなのだと思うと興奮する。唇でも良かったのに、と思う自分がいるという事は、やはりそういう事なのだろう。


「お、俺は嫌じゃない……今までのも、全部、嫌じゃなかっ――」


 絞り出すような告白は、最後まで言い切る前に千誠からのキスに飲み込まれてしまった。

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