第22話 うっかりカミングアウトと鈍感な駄犬
寛茂の口から出てくる乙女のようなふんわりとした発言の数々に、祥順は溜息をひたすら飲み込み続けた。浩和はただの頷き人形みたいなおもちゃと化している。
「憧れって拗らせるとこうなっちゃうもんなんですか?」
「それは、人それぞれじゃないかな」
「俺も栗原さんも男ですよ?」
「性別については考えても仕方ないと思うよ」
浩和の回答は後で適当に答えたと怒られても仕方がないくらいには手抜きである。溜息を飲み込む代わりに冷めてしまったコーヒーに手をつける。
「じゃあ、俺の身に起きた事が梶川さんと滝川さんに起きたらどうなりますか?」
「今夜、そんな事が起きたとしたら? その後セックスするかな」
「えっ!?」
「げほっごふ」
ごぽっと口に入れたはずのコーヒーがカップに戻っていった。……もったいないな、と現実逃避したくなる。
「あ、あー……今、俺何言った?」
「滝川さん……」
さらっととんでもない事を言いやがった。関わりたくない。自分で言った事には自分で責任を取れ。祥順は横目で浩和を睨んだ。
寛茂は戸惑った風に祥順と浩和を交互に見ている。
気まずいを通り越していらっとした祥順は、胃に入ってから戻したわけじゃないし、と戻してしまったコーヒーを飲む。まあ、味は変わらない。
「えっと、それって普通にアリなんですか?」
「……恋人同士ならアリだろ。ただの同居人だったら有り得ないだろうけど」
「そ、それは、つまり」
「俺と祥順は恋人同士だ。ここでカミングアウトするつもりはなかったんだが、ヒロの話がくだらなすぎて適当に答えてたらぽろっと言っちまった」
とんでもない展開だ。ぽろっと口から出してしまった恋人は、己の髪をグシャグシャと乱した。祥順は寛茂の視線を感じて見つめ返すと、顔を真っ赤にした。
「おい、何を想像したんだ。もうこれ以上相談も何も聞かないぞ」
「ごっごめんなさいっ!」
赤くなったり青くなったり忙しい寛茂に、とうとう祥順は堂々と溜息を吐いた。
「ここまで来たら、わざわざ遠回しに言う意味もなくなったからはっきりと言わせてもらう」
「はい……」
「お前のその気持ちは憧れの範疇ではなく、恋する乙女そのものだ。で、栗原さんの方は伊高さんのそんな初な反応に感化されてどうすれば良いのか分からなくて混乱して、あんな暴挙に出たんだ」
浩和に任せきりにした祥順にも問題があった。自分の失態に頭を抱えたままの恋人をそのままに、祥順は寛茂に語る。
「あの暴挙に関してだけ言えば、栗原さんが最低で駄目な男だっただけだ。あれは完全に栗原さんが悪い。が、あの栗原さんをあそこまで混乱させるという事を、ちゃんと自覚した方が良い」
「は、はい……」
目の前の男が頬を赤らめても、全く可愛らしいという情を感じられない。祥順は千誠の好みはよく分からないなと思いながら続けた。
「君は、栗原さんをどうしたい? ――いや、どうなりたい?」
寛茂の心臓はさっきから暴れ続けていた。それは、先輩が口を滑らせてカミングアウトに至った事だけが原因ではない。
さっき知ったばかりの先輩の恋人――まさか同居ではなく同棲だったなんて!――の発言のせいだ。
――俺が、栗原さんに恋?
さっきから数歩進んでは思い浮かぶ言葉。自分が栗原さんに憧れている事、そんな彼から少しでもよく見てもらいたくて頑張っている事は自覚していた。だが、その根底にあったのが恋心だったとは。
同性に対してそんな思いを抱いた事は一度もない。寛茂は異性愛者だと思っていた。今でもそう思っている……いや、思いたいだけかもしれないが。
祥順の言う事を浩和は否定しなかった。つまり、寛茂の話を聞いた二人が出した結論は同じだったという事だ。
それくらいは察しの悪い寛茂にだって分かる。
『筋肉を鍛えるところから入るのは、ヒロらしいと思ったよ』
そう言ったのは浩和だ。そう指摘されるとどうして肉体改造をこっそり始めたのか、そのきっかけはだいぶこじつけじみてはいなかっただろうか、何もかも気になってくる。
元々、自分の心を掘り下げて考える事は得意ではない。裏表のある性格には育たなかったし、今までそれで苦労した事がなかったからだ。
自分の行動に理由があっても、その裏側に隠された秘密なんてないと思っていた。それが、他者に暴かれてしまった。
暴かれた事自体は別に嫌ではなかった。むしろ、そこまで見ていてくれたのだと好感さえ覚えたくらいだ。だからその気持ちに報いたい。その為には、苦手な行為も辞さない覚悟、というわけだ。
できるかどうかは別として。
で、えっと何を掘り下げようとしてたんだっけ。寛茂は早速雑念に紛れて何を考えていたか見失った。行きつけのスポーツジムの広告が目に入り、思い出す。
そうだった。寛茂が筋肉を鍛えたいと思った本当の理由を掘り下げて考えてみようと思ったのだった。
元々フットボール部で、体を鍛えていた。で、その筋肉がちょっとたるんでしまったなと実感させられて、これはまずいと思ったのだ。
でもそのきっかけって――
寛茂はきっかけを思い出し、一人赤面する。栗原さんに風呂を覗かれたからだ。いや、呼び出したのは寛茂だから千誠が覗いてきたわけではない。
ちょっと酒が回って陽気になっていた時の話だ。あの時、脳味噌と肉体、どっちかでも認めてもらいたいと思ったのだった。それは、本当に純粋な気持ちだっただろうか。
よくよく考えてみれば、筋肉が仕上がったら風呂場を覗きにきてもらおうとか考えていた気がする。それはちょっとヨコシマだったのではないか。
「うぅ、俺ってホント鈍感……」
通りすがりの女性に変な視線を送られて肩を竦める。帰宅するまでにはもう少し考えをまとめておこう。寛茂は夜空に溜息を吐き出しながら歩き続けた。
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