第19話 衝撃的な御奉仕とまさかの自覚

 うわー、うわー、うわー!!! 破壊力抜群だぁぁ!

 寛茂はベッドの上でごろごろと転がった。千誠がせっかく作ってくれたのだから、片付けくらいはすると言ってくれた為、部屋へと引き上げてきた男はベッドへダイブするなり両手で顔を隠して奇行に走ったのだ。

 元気を取り戻し始めたのもあるが、ずっと寝ているのも辛かったから料理を作った。調子に乗って、デザートも作ってみた。そんなちょっとした行動のご褒美は、寛茂にとってとてもすばらしいものだった。


 何あの笑顔。前見たような、とろけるような笑みではない。こう……慈しむような、でも照れ笑いに近い、「仕方ないなあ」と言いながら何もかも許容してしまいそうな笑顔だった。

 どんな気持ちを抱いたらあの表情になるのか。寛茂は千誠に問いただしくてたまらない。千誠の一挙一動が寛茂の胸をときめかせる。次々と浮かび上がるのは「なぜ」という疑問と「素敵すぎる」や「かっこいい」という恋情にも似た強い憧れだ。

 自分がこんなにも千誠に胸を高鳴らせてしまうのは、彼が理想の人間だからだ。寛茂の中に、尊敬を拗らせたのだろうという自覚はあった。


 がばりと起きあがったのは一瞬だけで、ふらりとベッドへ沈み込む。千誠が完璧な人間なのが悪い。私生活だって完璧だ。これで憧れない方がおかしい。

 千誠の振る舞いは、隙のない仕事のできる男そのものだ。しょっちゅうあちこちから注意される寛茂とは雲泥の差なのは、社員の誰もが知っている事実。それを挽回すべく努力中なのだ。見習う点は仕事だけではなく私生活だって多い。

 寛茂はぐるぐると自分が千誠を尊敬しているのだと、それを目指すべく努力中なのだと繰り返し思い出しながらもぞもぞと動いた。


 寛茂の思考はいつまで経ってもほどけない知恵の輪みたいになってしまっていた。コツが分からなければ、適当にがちゃがちゃと繰り返し動かしたって解決しない。寛茂はただがちゃがちゃとひっかき回しているだけだ。

 あんまり興奮していると、また誤作動してしまうかもしれない。寛茂は、それはそれでとても恐ろしい事のように感じられた。

 ちょっぴり意地悪な聖人を汚してしまうようなものだ。罪深くて涙が出そうだ。

 それでも、いけない気持ちが浮かんでしまう。あの形の良い唇が優しくしてくれたら。長い指が寛茂の体をなぞってくれたら。


 もちろんそんな事が起きるはずはないのだが、どうにも想像してしまう。


 あのすらりとした奥二重の双眸がこちらを覗き込んでくると、心の奥底まで見つめられている気持ちになる。

 視線を感じている内にぞわぞわとした快感にも似た何かを背中に感じるようになり、それを追いすぎると誤作動してしまうのだろう。

 蛇に睨まれたカエルとは違うが、見つめられ、微笑まれると、もう逃げられないと感じてしまう事すらある。いや、逃げられないと感じる事すら嬉しいと思っている節もある。一体どうしてしまったのだろうか。

「うぅー……」

 寛茂は悔しげに唸った。その唸り声は弱々しかった。




 寛茂は小難しい事をずっと考え続けるのは向いていない。それは本人も自覚するところである。ひとしきり千誠について悩んだものの、全く答えが出ないと結論づけた寛茂は、ひとまず何もなかった事にした。

 時折誤作動する“それ”も、千誠に振り回されてすぐに赤くなってしまったり嬉しくなってしまったりと勝手に反応しすぎる感情も、何もかも。とりあえず、全て見に任せて気にせず過ごす事を決めた。単純に深く考える事を放棄したとも言う。

 しかし、誤作動に悩んで寝込んだ時から半月が経ったかという位で、寛茂のそんな生活は終わった。単純に、何も考えなかったせいで。予想外にあっけなく。


「……何でこうなった?」


 すっきりとしてぴくりとも動かなくなった、最近誤作動しがちな相棒を手で隠した寛茂は呟いた。自分の身に降りかかった事件に茫然とする。

 目撃されちゃったのは、自分が悪い。けど……。


「栗原さんがすごかった」


 目撃したら、普通は「失礼」って見なかった事にするはずだ。寛茂だったらそうする。なのに、千誠は「元気だね」と声をかけてそのまま近付いてきて――

「うあぁぁぁ」

 さっきの事件を思い出しかけて身悶えた。最初は手。でも全然萎えなかったのを見て「若いね」と声をかけて、そのままあの形の良い唇が。


「無理、無理無理っ! 俺、どういう状況かぜんっぜん分かんねぇ……!」


 最後のコメントは「珍しい限定品、ごちそうさま」だった。揶揄するような視線付きで言われたその言葉の意味に思い当たるまで、部屋のドアが閉まってもなお、体が動かせなかった。

 何が起きたのか、寛茂の理解を超えていた。客観的に考えて、目撃された事自体はそうあり得ない話ではない、はずだ。


 健全な男の自然現象にはち合わせた――くらいで、同性間ならばちょっと気まずいで終わる問題だ。そこから先に関しては、同性間では普通はあり得ない展開だった。

 確かに、昨今では色々な差別を取り除く活動が盛り上がっていて、そういった性別に関する話も世間をにぎわせたりしている。だから絶対にあり得ないとはさすがに思ってはいない。ただ、その輪の中に入る事になるとも思っていなかった。


 からかうにしては、ずいぶん悪質だ。というか、からかうのに体を張りすぎだ。手だけだって嫌だ。ましてや口など論外だ。少なくとも、異性愛者であると思っている寛茂には無理だ。

 ならば、本気だったのか。あの、ちょっと意地悪な聖人様である。彼が考えている事が分からないと寛茂はしょっちゅう思っているが、これはその範疇を軽く飛び越えてしまっている。これは尋常ではない。

 誰かに相談してしまいたいが、話の内容がまずい。これはセクハラだと言われ、被害者として何かをしなければならなくなるかもしれない。普通の男女で当てはめればそういう考えに行き着いてしまうだろう案件だ。


 セクハラ、という言葉を思い出してからふと疑問がよぎる。寛茂自身は、どう感じたのだったか。性的な快感の話ではない。その行為に不快感や嫌悪感を抱いたのかどうかの話である。その疑問は浮かばない方が良かったかもしれない。

 なぜなら、寛茂はただ恥ずかしかったという事と、千誠に対してどうしてこんな事をしてきたのか問いかけたいという気持ちしか見つからなかったのだから。

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