第18話 病み上がりペットが振る舞う晩ご飯
仕事を終えて帰宅すると、普段より少し大人しい寛茂がポトフのようにも、野菜スープのようにも見える鍋料理を作っていた。
具が多くスープというよりも鍋、という見た目だが結局のところは鍋料理である。寛茂の料理は基本的に無難な味に仕上がる為、味の心配はいらなくて良い。
「ただいま。もう体調は大丈夫なのか?」
「あっ、はい。おかげさまで元気です!」
声に張りがないと言うか、何となく本調子ではなさそうだと気が付いたものの、千誠は指摘せずに部屋へ向かう。連日休みを取ってしまったとか、迷惑をかけて申し訳なかったとか、そういうのが原因だろう。
迷惑をかけられたと怒るような人間がいないのだから、そんな悩みなど無駄でしかないが、そんな風に悩みたくなる気持ちは分からなくもない。
「あるものだけで適当に作ったんで、大したものじゃないんですが」
「病み上がりのくせに生意気だよ。気を使わず俺に甘えておけば良いのに」
「!」
ぼふっと音がしそうな勢いで寛茂の顔が朱に染まる。おお、と驚いた。恋する乙女がその相手を目の前にしたかのような反応をされるのは初めてである。男女関わらずそこそこモテていたから、女性から秋波を送られる事はあったが……。
「顔、まっか。熱でもぶり返したんじゃないか?」
「!!!!」
熱が上がったわけではないと知りつつも極めて心配そうな表情を繕って顔を近付けた。声にならない悲鳴のような何かを上げる寛茂に、千誠は優しい笑みを浮かべる。
「熱がぶり返したわけでないなら、せっかくヒロが作ってくれたんだ。一緒に食べよう」
くるりと背を向けて皿を取り出しにかかる。あーあ、猫被っちまった。本当なら、ここでからかわずに「そんなに好き? 俺の事」とか言ってキスの一つでも落としてやったのに。いや、本当の千誠ならば……ここは心配したふりまでは同じで、その後からかったのだと白状すべきだったかもしれない。
猫を被りすぎた千誠は、どれが本当の自分らしい動きなのか全く分からなかった。
「うん、おいしい」
「よかったぁ……」
寛茂の作った野菜スープは優しい味がした。冷蔵庫にあった鶏肉を使っており、鶏肉のあっさりとした風味がよく染み出している。そう簡単に出せる味ではない。
鶏肉自体もかなり柔らかくなっており、寛茂が時間をかけて工夫を凝らして調理したのだと分かる。
「でも時間かかったろ。午後、寝ていないで料理していたな?」
「ずっと寝ているの、それはそれで疲れるんすよ」
寛茂の言いたい事は分かる。単に眠れなくなり退屈になったのだろう。千誠はとりあえず小さく頷いてみせた。
「それに寝過ぎると、夢見も悪くなるじゃないですか」
「そうか?」
「あれっ、個人差っすかね……? まあとにかく、もう俺は寝過ぎなんです。体もなまっちゃうし」
「確かにせっかく育てた筋肉もかわいそうだな」
夢見が悪くなるというのは初めて聞いたが、寛茂はそうなのだろう。寛茂は忙しなくスープをかき混ぜながら口を尖らせた。
「そんなに柔な筋肉じゃないと思うけど……体を動かそうにもやっぱり無理したらだめだろうしって考えた結果、料理ならばセーフじゃないかって」
「ヒロにとってどこからが無理になるのか分からないが、今体調が悪くないのならセーフだろうな」
「じゃあセーフっすね!」
不満そうな顔はどこかへ吹き飛び、今は嬉しそうに笑っている。今の会話のどこに喜びポイントがあっただろうか。逆に納得のいかない気持ちを抱かされた。
食事が終わる頃には寛茂がそわそわとし始めた。相変わらず千誠には彼の心の動きが分からない。気持ちを理解したければ猫を脱げと言われたが、猫を脱いだって一生理解できる気がしない。
「実は」
「うん」
寛茂はすぐに続きを言わなかった。彼の態度から、変な話ではないと分かっている。乙女が恥じらう姿にも似ているが、現実ではただのむさい男だ。
寛茂から漏れ出る変な雰囲気から逃げたくなった千誠が口を開こうとすと、何かを決意したらしい寛茂が立ち上がった。
「プリン作ったんで」
「へぇ?」
「デザート代わりにどうですか?」
「いただくよ」
「っし」
隠す気もなくガッツポーズをして冷蔵庫からマグカップを取り出した。カップが見つからなかったからマグカップで代用したのだろう。
「ちゃんとカラメルソースも作ったんです」
「それは楽しみだ」
「砂糖を煮詰めるのって楽しいですね。だんだん黒くなっていってじゅわーって」
心の底から楽しんで作ったのが分かる。ただちょっと小学生のような感想がつらつらと口から流れ出てくるのは見た目にそぐわないが。
「最後にぶくぶくぶくって、俺、焦がしちゃったかと思いました」
「カラメルは真っ黒じゃないし、むしろ黒くなってたらもう炭でしかないぞ」
「あっ、大丈夫です。ちゃんと茶色です!」
寛茂の発言からは不安要素しかない。が、彼には自信があるらしい。そもそも寛茂が千誠に人間の食べ物でもない“何か”を食べさせようとするわけがないと信じている。
だから大丈夫なはずである。そう、そのはずである。千誠は覚悟を決めてプリンにスプーンですくった。
スプーンに無抵抗でさらわれていったプリンは、見かけ上は普通のプリンである。口の中へ運べば、思ったよりもなめらかな食感に卵とバニラの柔らかな香りが感じられた。
カラメルまで行き着いてはいないが、この様子ならばカラメルの出来も期待できる。千誠は前のめりになって緊張している寛茂に向けて笑顔を向けてあげた。
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