第17話 預言者と猫を被りすぎた猫

 じいっと交互に二人を見つめれば、彼らは視線で小突き合った。その様子を見つめながら千誠は思う。二人からすると、簡単だが言いにくい事らしい。

 千誠の洞察力のなさを指摘する事になりかねないと思っているのだろうか。例え、結果的にそうだとしても千誠は怒ったりしない。彼らだって千誠が狭量だとは思っていない――と思いたい。

 そうなると、言いにくい理由が分からない。


「怒らないから言ってみなさい」

 見当違いだとは思うものの、一応口にする。

「いや、違うんですよ。なんと言って良いのか難しくて」

 浩和が弁解する。


「うまい説明でなくても構わない」

「祥順の方がうまく説明できるだろ」

「ちょ……! 浩和の方がプレゼンは慣れてるだろ、ふざけるな」


 小突き合いが再開された。どっちでも良いから早く話してくれ、と千誠が口にしようとした時、観念したらしい浩和が説明をしてくれた。


「単純すぎて、言いにくかっただけで……。ヒロの奴、遠慮してるんだと思いますよ。この前ファン心理について話をしたでしょう?」

「ああ」

「憧れている人に介護されるなんて、恐れ多いとでも思ったんでしょう。栗原さんはヒロのアイドルなんですから。料理までは純粋に喜べるが、さすがに介護はってところかと」

「……ややこしい」


 祥順が何か言いたげに口を動かしたが、すぐに閉じた。

 聞き出したくて彼を見つめると、小さく首を傾げられた。素知らぬ顔でとぼけられたと思い、眉をひそめてやる。それでも崩れないその表情に、千誠は溜息を吐いた。


「本人に確認するのが一番だと思いますがね。聞いてやれば良いんですよ。『なぜ嫌がる? 俺の事を拒絶するのか?』って」

「そんな風に聞けていたら、二人に聞かないさ」

「なぜ聞けないんですか?」

「それは……表現する言葉が分からないから答えられない」


 浩和の指摘も祥順の質問もぞんざいに答える。それができていたら、簡単に回答が得られただろうし、千誠の中で結論が見えていたはずだ。

 たいして話していないのに、喉が渇く。千誠は煎茶で喉を潤した。


「栗原さんって、何匹猫を被っているんですか?」

「は?」


 突拍子もない質問に目を見開いた。ちょっとだけ苛っときた。


「会社での栗原千誠は一番上に被らされている猫でしょ。その下にはヒロと生活している聖人みたいな栗原千誠の猫、俺達に見せている俺様で自由な猫、他にもきっと猫を被っている。

 猫を被りすぎて、本当の自分も分かっていないのかもしれない。そんな風に俺には見えますよ」


 浩和がふざけた事を言っているが、当の本人は真面目なつもりらしい。


「因みに祥順は二匹くらいしか猫を被ってませんでした。警戒心があるようであんまりないんですよ。可愛いでしょ」

「おい」


 後半には祥順がつっこみを入れていた。千誠は自分の事を棚に上げてなるほどと思う。何となく浩和が言いたい事は分かった。余裕ぶるのをやめろという事だろう。

 自分を見せろ。自分を掘り下げろ。人から見た自分、理想の自分を優先させるな。そういう事だ。


「割と自由な人だと自認していたんだが、タキくんからするとそう見えるのか」

「まあ、自由な人だとは思いますよ。でも、あなたはもっと自由な人のはずだ」


 千誠は苦笑するしかなかった。浩和の言葉を違うとは言い切れなかった。確かに、いつも一歩引いている。ぐいぐい行っているように見えたとしても、加減を見誤る事はなかったと思う。


 格好をつけようとか、そういう気持ちが根底にあるわけではないと思う。おそらく、これは単純に「嫌われたくない」からだ。もっと言ってしまえば「嫌悪感」を一瞬でも相手から感じ取りたくないからである。

 単に臆病なだけだった。


「人から返ってくる感情って怖いですよね。でも、それを怖がってると、何も始まらないし、相手の言動に対して敏感になれない。

 相手の気持ちを汲み取っているように見えて、その実全く把握できていない。そんな事になりますよ……ってか、今そんな状況まっただ中でしょう」

「耳が痛いな」

「自覚があるなら少しは猫を脱いだら良いと思います」

「……」


 浩和はさらりと簡単そうに言ってくれたが、そう簡単な事ではない。

 ずっと猫を被りっぱなしで、自分と一体化してしまっている。癒着してしまってどこからが一匹なのかもよく分からないのだ。それをどう切り離せば良いのか千誠には見当がつかない。

 よしんば癒着している場所が分かったとして、切り離す事で起こり得るメリットとデメリットが読めない。積極的に猫を脱ぐ気にはなれない。それはきっと、猫を被ろうと思うようになったきっかけのせいだろう。


 きっかけはほんの些細な事だ。だが、そのきっかけが訪れたのは幼い時だった。きっかけが訪れてから大人になっていく過程で、いつの間にか発生する藻のように、沈み、増え、透明だった精神を澱ませていく。

 今更、澱引きをしたところで元通りにはならないだろう。出来損ないのワインになるだけだ。

 猫を被っていれば、澱引きの必要はない。寛茂を理解する事は遠くなるが、千誠は安全だ。


「栗原さん。俺が予言してあげますよ。あなたは近い将来、猫が脱ぎたくなる。いや、猫をむしり取られる」

「は? まさか!」


 千誠は浩和を鼻で笑った。偉大なる予言者の恋人は心配そうに浩和と千誠を交互に見ている。


「何かあったら相談に乗ります。遠慮なくどうぞ。俺が気にくわないって言うなら、祥順にでも」

「……その気になったらな」


 言うだけ言ってせいせいしたのか、浩和は祥順を連れて仕事に戻っていった。残されたのは、抹茶の沈殿したぬるくなった煎茶と中身のない溜息だった。

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