第2話 笑いの沸点が下がる男

 千誠は浩和と祥順の二人と友人関係になってから、充実した日々を送っていた。というのも、寛茂ひろしげの面倒を見つつ、二人の為の料理を考えているからである。

 元々人の面倒を見る事が苦ではない千誠は、この生活を楽しんでいた。何しろ相手は千誠を微笑ましい気持ちにさせるカップルと、自立したペットである。

 ストレスが溜まる事などあるはずがなかった。


「栗原さん、ご機嫌ですね!」


 スポーツジムに寄ってきたのだろう、普段よりも遅い時間に帰ってきた寛茂が笑っている。体を鍛えている寛茂の為に用意している夕食は、気が付かれない程度にタンパク質が多くとれるようなメニューである。

 動物性タンパク質だけではなく植物性タンパク質も同時に摂取すればより体にもよさそうだという考えもあった。


 豆腐とひじき、枝豆、人参を使った白あえには鶏肉を少し加えてタンパク質多め。メインは焼き鮭でシンプルに。味噌汁にはえのき茸と長ネギを使い、最後に溶き卵を加えてふんわり卵入りにする。

 今夜は白米ではなく五穀米にしたから糖質の微調整もできている……はずだ。

 在学中に調理師免許は取ったものの、栄養士の資格は取ってない。それ故の自信のなさだった。まあ、寛茂の今までの食生活に比べたらそんなのは些細な問題であろう。


「今日は和食だよ。鯵も捨てがたかったんだけど鮭にしてみた」

 千誠は自信作を並べ、今日も労いの言葉をかける。

「お疲れ様、今日はどうだった?」

 どうやら寛茂は、“今日の出来事”を聞かれるのが好きらしい。鮭の骨を取りながら彼は今日も話し出す。


「今日は失敗をしなかった気がします! なので、今日提出した書類はきっと不備なしです」


 自信満々で言う寛茂を見る千誠は知っている。実はその書類、不備がいくつかあった事を……。


「前よりも一つ一つの仕事に集中出来てると思うんすよ。だからうまくいってるのかなーって。へへ」

「そうか、良かったな」


 千誠は子供みたいに報告をしてくる寛茂にミスを指摘するような野暮な事はしなかった。白あえを口に運びながら、話を聞き続ける。


「あ、あと今日、一つ新規契約が決まったんです! 即決すると思ってなかったから、明日また契約書を書いてもらいに行かなきゃいけないです」

「へえ」


 ……新規か。頑張ってるな。千誠は寛茂が着々と成長しているのが嬉しかった。


「先輩のお陰なんすよ。この前、こんな風に言ってみたら? ってアドバイスもらって、その通りにしたらうまくいったんで」

「そうか、良かったな」


 あそこまでポンコツだと先輩方から避けられそうなところだが、さすがは営業。コミュニケーション力でカバーしているようである。

 そう言えば総務でも業務上での文句はよく上がるが、嫌われてはいないんだよな。千誠は、寛茂の人柄の良さに関心した。


「……でも、実は滝川さんの方が資料作りうまいんで、資料作りは滝川さんに頼っちゃってます」


 いかにもここでの話、という仕草が可愛らしい。自分達以外には誰もいないと言うのに。

 こういう小さな可愛いの積み重ねが、きっと周囲の人間が寛茂の好感度を下げられない原因になっているのだろう。憎めないキャラという性格は、それだけで得である。


「先輩にヤキモチ妬かれない?」

「大丈夫です! むしろ手間が省けるって喜ばれてます」


 ……おっと。先輩は楽がしたいのか。後輩に仕事を教えるのも勉強の一つなのだが。千誠は寛茂の教育担当の顔を思い浮かべた。軽薄そうな雰囲気を微かに感じる時もあったが、それは気のせいではなかったようだ。

 名前は確か、秋津だったか。今度それとなく指導しておこう。

 千誠がそんな事を考えているとは露知らず、寛茂は楽しそうに話し続ける。


「梶川さんが最近優しくなってきて嬉しいです」

「元々優しい人だけど?」


 本当に小学生みたいである。くるくると話題がすぐに変わっていく。今度は祥順の話らしい。寛茂は否定された事にムッとした表情をしてわざとらしく不満を示した。

 その割に楽しい事を言いたくてうずうずしているようにも見える。更に言えば目が全く怒っていない。演技なのがバレバレである。

 首を傾げてやれば、寛茂はよし来たと言わんばかりの勢いで口を開いた。


「最初は怖かったんですよ! 『何でこんなのが出来ないのか分からない。やり直し』って……」


 これでもないほどに眉を上げ、目を細めて祥順の顔を真似る。全く似ていない。


「カジくんがそんな事言ったのか?」

「いえ、目が語ってました」

「……くくっ」


 少しだけ想像できてしまった。ぐちゃぐちゃな旅費精算、それをちらりと見てすぐに突き返す祥順、その視線は蔑みを含んでいて真っ直ぐに寛茂へと向かっている――。

 きっと、しっぽをゆっくり揺らして後ずさりしながら撤退しただろう。相手をこれ以上刺激しないように……だめだ、面白すぎる。


 祥順の真似をしていた寛茂は、いつの間にか当時の自分を再現した変顔をしている。それはそれで面白い。


「あっ栗原さん笑ってる!」

「はは、悪い……っでも、絶対自業自得だろ……っ」


 寛茂と一緒にいると、笑いの沸点が下がってしまう。千誠は困り顔を通り越して眉尻を上げた寛茂を見てしまい、笑いがぶり返す。


「もうっ! 俺、栗原さんが作ってくれたデザート一人で食べちゃいますからね!?」

 千誠は堪えきれず、腹を抱えて笑うのだった。

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