第3話 できる同僚は何かを察する

 最近の彼は優しくて意地悪だ。寛茂は千誠の事をそんな風に思っていた。千誠によるお勉強は続いている。最近は旅費精算の事が頭に入ってきていて、金額が発生する度に「これはあの仕訳」と考えられるようになってきた。

 そして、千誠には秘密で通っているスポーツジムも今のところは順調だ。たるみつつあった腹周りも全盛期とまでは言えないものの、だいぶすっきりした。あとはとことん磨き上げていくだけだ。


 近々、きっと「今年の俺はひと味違う」と誰もが驚くようになるだろう。寛茂はそう言われる事を想像するだけで楽しみだった。

 親しくなった二人の先輩は相変わらず心配性で、さりげなく寛茂をサポートしてくれている。二人が厳しくも優しいから、寛茂には余計に千誠のが強く感じられた。


「……でも、その意地悪って可愛いんだよなー」

「ん? 誰の話??」

「うわぁっ」


 ぼんやりとしていたところに話しかけられビクリとした。かしゃん、と音を立てて箸が飛ぶ。ころころと転がっていく箸を捕まえながら寛茂は恨めしそうな顔を声の主に向けた。


「ミツゥ……驚かすなよ!」

「悪い悪い。で、誰の話?」


 声をかけてきたのは同期だった。三丸光輝みつまるみつき、営業部同期の中でダントツ優秀な男である。因みに結婚するのも早かったが離婚するのも早かった。

 若くて優秀、結婚も早いとくれば同期の羨望と恨みを買いそうなものだが、すぐに離婚した為に周囲からの信頼度は厚い。

 すぐに離婚したくせに……と思わなくもないが、本人はそれを差し引いたってできた人間で、寛茂の中でも評判は高い。


「意地悪されても可愛く思える相手って、恋人かそれに近い人間だろ」

「はぁ!?」


 寛茂とは対照的に少し長めの髪を後ろに撫でつけて秀でた額をアピールするその男は、にやりと笑った。


「ヒロって友人以上恋人未満なら楽しめるってタイプだからな。そんなおまえに可愛いって思われる人間は稀少だよ」

「そ……れ、は」


 悲しい事に否定できない。寛茂はがくりと肩を落とした。


「で、おままごとみたいな可愛い恋愛思考のヒロにそう思わせる人間はだーれだ」

「言わねーよ。そんな相手じゃないし」


 相手は千誠である。恋愛の相手ではない。それに光輝もよく知る人物なだけあって、名前を出しにくい。

 間を持たせる為、食べている途中になっていた定食を食べる。今日はサバの味噌煮定食だ。千誠と生活するようになって、食生活が変わってきた。洋食ばかりだったのに、和食にも食指が動くようになってきたのだ。

 これは絶対に千誠の影響である。でも、だからといって恋愛の相手じゃない!


「……まあ、今日はそういう事にしてやるよ。でもヒロ、前よりもやる気が空回りしなくなって良い感じだと思う。それはきっと、今ヒロが秘密にしてる相手のお陰だぞ。絶対感謝した方が良い」

「知ってるー感謝してるもん」


 光輝のお説教に小さく同意する。

 隣に並び座る光輝の揺れる肩が寛茂にぶつかる。


「くくっ、やっぱりいんじゃん」

「恋愛なんかじゃない……!」


 そう言って睨めば、光輝は楽しそうに再び笑う。

「お前、良いよ。その調子で頑張って」

 何だよそれ。寛茂は不満げに光輝を見たが、彼は口に出してスッキリしたのか、とんかつ定食に夢中だ。

 相手は知られていないものの、恋愛だと勘違いされているのが納得いかない。何とか光輝の認識を訂正したい、という寛茂の考えは、結局うまくいかないのだった。




 寛茂はそわそわとしていた。今日は千誠がモンブランを作ってくれるというのだ。それにしても、モンブランが家で作れる料理だとは思わなかった。

 モンブランというだけで大興奮中の寛茂は、千誠が淡々と調理する姿を見つめていた。驚くほど手際が良い。洋菓子なのにも関わらず、手が迷う事はない。

 寛茂など、何回作ったって余計な動作が入ってしまうし、準備不足や次の動きを思い出したり調べ直したりする無駄な動きだってしてしまう。

 朝ごはんを作る時みたいな、何も考えなくたってできるレベルに到達するには相当なスキルが必要だ。寛茂が知らぬところで練習を積み重ねているのか、元々の才能なのかは分からないが、いずれにしろ簡単にできる事ではない。


 今だって、感心している間にモンブランの土台が出来上がっている。クッキーみたいな甘い焼き菓子の香りが充満してきて、それだけで気分は最高潮だ。

 土台はアルミのラックみたいな台に乗せられたクッキングペーパーの上で何かを塗りたくられる。

 生クリームにいくつかの材料を入れて泡立てる合間にそんな作業をしているのだからすごい。寛茂だったら絶対に同時になんかできない。


「……味見させてあげよう」

「えっ!!」


 スプーンでひとすくいされたホイップが口元に運ばれる。思わず釣られる魚のように食いついた。少しも残さんと思うあまり、スプーンをなぞるようにしてクリームを舐めとった。


「んんんんんんー!!」


 甘すぎないけど十分に甘く感じるそのクリームは、栗っぽい風味にほんのりとラム酒が香って魅力的だ。料理に使われる程度のアルコールでは酔わない寛茂だったが、クリームだけで良い気分になってしまいそうだ。


「その様子なら安心だな。味見はこれで終わりだからまた後ろに戻って良いよ」

「はぁーい!」


 うああ、完成してないのに美味しかった!!! 寛茂は口の中に残る余韻を楽しみながら、千誠の後ろ姿を見つめるのだった。

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