第19話 急いで撤退熱々カップル
「俺の話なんかどうでも良いんだ。参考までに馴れ初め教えて」
ひとしきり理想のカップル像を話して気が済んだらしい千誠は、二人に話題を振ってきた。思わず浩和と顔を見合わせる。
馴れ初めと言うならば浩和が珍しく不備のある書類を提出した話からになるだろうが、恋人に振られただとかそういう話は浩和の個人的事情が多い。
勝手に話すわけにもいかず、結果として視線で問いかける事になってしまった。
「あ、でも良いや。今度で」
「え?」
「もうそろそろヒロが帰ってきちゃう。だから二人ともお帰り?」
スマートウォッチを確認した千誠がさっと立ち上がる。冗談抜きで帰宅を促されているようである。寛茂の気持ちを裏切りたくない二人も千誠に続いて立ち上がる。
「悪いな。じゃあ、また今度招待するからその時こそ教えてくれ」
そう言うなり千誠は二人の背中を押し始める。されるがままに玄関へと向かわされるようにして、少しばかり慌ただしく家から追い出された。
マンションのロビーを抜け、浩和と祥順は夜道を歩く。
「……栗原さん、あんな人だったんだな」
「今までぜんっぜん気が付かなかった」
完璧主義者なところだけはオンオフでは変わらないらしい。時間を気にしているくらいだから、寛茂が帰宅するまでに必死で片付けをするのかもしれない。そんな千誠の姿を想像したらちょっと面白い。
「今頃、必死で三人分の皿洗いをしているかもね」
「あっそれ思った」
浩和が小さく肩を震わせながら言い、すぐに祥順も同意した。彼も祥順と似たような事を考えていたらしい。
「皿の数が少なかったから何とかなるだろ。少なくとも二人分は洗い終わるさ」
「そうだな」
片付けくらい、手伝った方が良かっただろうか。だが、その最中に寛茂が帰ってきてしまっても困る。次からはこちらに招待する方が安全だろう。
「次は来てもらおうかな。その方が栗原さんも気持ちが楽な気がする」
「そうだな……万一ばったり出くわしたら大変だしなぁ」
「……そうだ! 料理を教えてもらうって話で誘えば栗原さんも気にならないんじゃないか?」
「良いな」
千誠が豹変するまで、祥順は確かに彼の料理のレシピを教えてもらいたいと考えていたのである。料理を教わるという大義名分を思いつくのは当然の事であった。
「和食が得意って話だったよな。出汁をたっぷり使った料理が良いなあ。祥順、何か思いつくものはあるか?」
出汁のきいた料理、心当たりが多すぎて困ってしまう。祥順は小さく唸った。
「うぅん……これっていう料理は思い浮かばないよ。浩和の方こそ何かないのか?」
「えっ、いやあ……はは、ちょっと考える時間をくれ」
話を振ってきた浩和は眉尻を提げて笑って誤魔化した。たまに見せてくれるようになった、こういう格好のつかない姿が嬉しくて、祥順はひっそりと頬を緩ませる。
確かに、いざ、教えてもらう料理名をいくつか上げろと言われると思い出せないものである。浩和も例に漏れず、祥順と同様唸るしかないのであった。
二人とも思い浮かばないのだから仕方ない。教えてもらうかは別として、出汁を使う料理を上げていく。定番の味噌汁、だし巻き卵、鍋物等々……名前が出るには出るものの、「これぞ教えてもらいたい」という料理ではない。絶対何かあるはずである。教えてもらえるからこそ成功する。そんな料理が。
結局教えてもらう料理が決まらない内に帰宅してしまった。
「ただいま、おかえり」
「おかえり、ただいま」
二人で取り決めた帰宅の挨拶を交わし、ついでに軽くキスも交わす。
ハグは健康に良いらしいし、ずっと仲良くいられるようにとの験担ぎでもあった。
「――そうだ。もうさ、なにがしの作り方を教えてほしい、じゃなくておすすめの料理を教えてほしい、とかで良いんじゃないか?」
祥順とのキスで何かを受信したらしく、浩和が笑顔で言った。
「つまり、何でも良いから教えてくれ……と?」
「そう言う事」
いくら友人関係になったと言っても、相手は上司である。年長者でもある千誠に、そんな適当なお願いをしても良いのだろうか。考え込む祥順を置いて、浩和はさっさとスーツを脱ぎに部屋へ入ってしまった。
しぶしぶながら部屋に入れば、既に着替えを終えた浩和が立っている。
「意外に喜んで教えてくれると思うよ」
「そうかな」
浩和には自信があるらしい。祥順は彼を半眼で見ながら、ネクタイを解いた。
「ざっくばらんに話をしたがっていたし、という事は本当に友人として対等な関係を築きたいんだと思うんだ。だから、素直に頼れば喜んでやってくれるはずさ」
そんなものだろうか。祥順は完全に納得はしていないが、彼の言葉を信じる事にした。
「じゃあ、それでいこう。メールしとく」
「何を教えてくれるか楽しみだね」
「ああ、そうだな」
祥順は後日、浩和の判断に乗った事をちょっとだけ後悔する事になるのだった。
結局。千誠が片付けをしている最中に寛茂が帰ってきてしまった。千誠は誤魔化すのをすぐさま諦めた。
「たっだいまー!」
「おかえりなさい。あと少し早く帰ってきていたらカジくんとタキくんがいたのに……残念だったね」
「えっ! 来てたんですか!?」
寛茂がドタバタと足音を響かせながらキッチンに侵入する。その勢いに乗ってふんわりとスポーツジムで使っているシャンプーの香りがした。
やはり秘密の特訓だったようだ。次に二人を呼ぶ時は、この時間までに帰宅させるとしよう。
「何で二人が来たんですか?」
「私が招待したんだ。二人とも、貴方との生活を聞きたがっていたから」
ありそうな理由を告げると、寛茂は目をキラキラと輝かせた。
「素敵な先輩に恵まれて、俺って最高に幸せじゃないっすか。で、で、何か言ってました!?」
仔犬が飼い主にじゃれているような雰囲気を醸し出しているが、その実大型犬である。千誠は寛茂の頭を撫でながら笑った。
「んー……詳しくは秘密、かな。でも、二人とも良い人で良かったね」
「自慢の先輩です!」
内容を教えてもらえなかったのに彼は満足そうに笑っていて、千誠は何だか分からないけれど幸せな気分になったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます