第18話 過ぎた上司の意外な素顔

「それでも周知は周知だと思いますが」


 ネタと事実では全く違う。祥順のつっこみに首を傾げて見せる上司にそう言ってやりたかった。自分はまだ良い。だが、同棲していた彼女がいた浩和が周囲から何を言われるか、と考えるだけで嫌だった。

 祥順はぶんぶんと首を横に振って千誠に抗議する。


「栗原さんが考えている通り俺達は確かに恋人同士ですが、元々ストレート同士でもあるのでそっとしておいていただけますか」

「ええ、もちろん。私はアウティングの恐ろしさを知っていますから、そんな最低な事はしません。二人とも安心してください」


 アウティング、という言葉にぎょっとした。

 そうか、他者が勝手にこの関係を誰かへ教える事もアウティングに相当するのか。祥順ははからずとも自分の上司へ失礼な物言いをしてしまったと気付く。


「あっ、すみません」

「良いんです。むしろちゃんと向き合っているんだと分かって嬉しいくらです」


 祥順に気遣って優しげな微笑みを作った千誠に、動いたのは浩和だった。


「栗原さんって、全ての方向に優しいんですね」


 きょとんとした千誠は、数回瞬きをして己を取り戻したかのように口を開いた。


「そういうのとはちょっと違います。単純に、私も同じ側の人間マイノリティだからですよ。私はカミングアウトしていないゲイなんです」


 目の前にいる、この男がゲイ。祥順は豆鉄砲を食らったような顔をしてしまった。


「周囲に認知され始めた昨今ですけれども、未だに生きにくい世の中ですからね。私みたいな人間はあなた方が思うよりも多いんですよ?」


 小さく口が開いたままの祥順を浩和がこっそりと太股を軽く叩いて窘める。慌てて口を閉じる様子を見た千誠が小さく笑った。


「あなた方の社内での動向は見守らせていただいていました。二人とも可愛らしいし、見ていてほっこりとします」

「可愛らしい……」

「ほっこり……」


 それぞれの口から思い思いの言葉が零れ落ちる。


「結構前から気が付いていましたよ。とは言えこれは極めて個人的な事ですから」


 結構前とはどういう事だろうか。祥順が内心不思議に思っていると、隣で居心地悪そうに座り直す気配がした。ちらりと浩和に視線を向ければ、耳が赤く染まっている。――おや、もしかして。


「滝川さん、いつから俺の事……?」

「あー……それは後で、ね」


 その様子から察するに、浩和の片思い期間があったようである。祥順は気が付かずに過ごしていたらしい。いつからだったのだろうか。千誠に視線を戻すと、彼は菩薩のような穏やかな表情をしていた。

 ただの比喩ではなく、本当に自分達を見守り続けていたのだろう。知らなかったとは言え、失礼な物言いをしてしまった。


「栗原さん、いろいろと失礼な事を言ってしまい申し訳ありませんでした」

「パートナーを守ろうとするのは大切な事です。その気持ち、大切にしてあげてください」

「はい」


 再び謝る祥順に、言い聞かせるような言葉を返してくる。本当に祥順には過ぎた上司である。祥順は密やかに、いつまでもこの上司についていこうと誓うのだった。




「俺が二人を応援するのは、割と理想のカップルだからなんだ。本当に羨ましいよ」


 祥順は上司改め友人となった目の前の男の変貌ぶりに困惑していた。おそらく隣に座っている浩和も同じであろう。

 千誠が“極めて個人的な事”を共有した自分達はもはや友人関係だ、と突然言い出した。そして言葉遣いも態度も全く違う別人になったのである。


「理想のカップルってなんで、だよ」


 敬語を外すのに苦労しつつ――敬語を使うと半眼で睨むのである――祥順は聞く。浩和は戸惑いながらもやや慣れてきたのか、用意してもらったウィスキーをくいくいと飲んでいる。


「互いに依存してないだろ? かと言ってぞんざいに扱っているわけでもなくて。個々を大切にした関係ってすごく良いと思うな。

 マイノリティはそれなりに色々あるんだよ。歴の短いお前らには分からないだろうけど。だからこそ、そういう関係が理想なんだ」


 祥順にはいまいち分からなかった。だが、千誠が遠い目をして語る姿を見れば、彼にとっては幻想に近い関係なのだろうという事は簡単に想像できた。

 ゲイとして自覚してからの期間は教えてもらっていないが、きっとそこそこの長さを過ごしてきたのだろう。その中で、祥順が経験した事のないような事もあったに違いない。


「恋、チャンスがあればしたいけど。俺って理想が高いのかな。さっき言ったような安定した関係になれるなら、どんな人でも……ってのは言い過ぎか。

 きっと良い恋になると思うんだ」


 そう言う千誠の声には、どこか浮ついた雰囲気があり、言う割には期待をしていないような印象を受けた。

 この人はどんな人生を歩んできたのだろうか。祥順はそんな事をぼんやりと思いながら彼の話を聞いていた。

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