第17話 憧れの上司は千里眼

 昼食に呼び出されたのは初めてではないだろうか。それも、彼の家に。祥順にとっての憧れの上司、千誠が浩和と祥順を招待してくれたのである。

 寛茂は秘密のジム通いで不在。ちょうど良いという事で、千誠の家に招待されたのだった。

 祥順は目の前でにこにこと笑みを浮かべている男を観察していた。いつもより機嫌が良さそうな彼は、優雅な仕草でコーヒーを飲んでいる。千誠が用意してくれた昼食は鮭とほうれん草のクリームパスタで、まろやかで濃厚なクリームが絡まったパスタは絶品だった。

 和食が得意だと言う千誠は、料理のレパートリーを増やしている最中らしい。すべては寛茂の為なのだろう。なんてできた上司なのだろうか。祥順は感激しながらも後でレシピを教えてもらおうと考えていた。


「さて、タキくんも事情を知っているという事で良いんですよね?」

「はい」


 食事を終え、まったりとした時間が流れようとする直前で千誠が本題に入った。千誠の問いに浩和が頷くと、彼はそれを合図に話し始めた。


「まず、私があのジムにいた事について説明します。あのジムは私の友人が経営していて、友人のよしみで通わせてもらっています。好きな時に好きなだけ使っても良いと言われていますが、交換条件を出されたのです。それが、欠員が出た時にトレーナーの代行をする事でした」


 友人が経営、友人のよしみ。祥順はすごい話を聞かされている気分になった。

 普通、会社を経営している友人がいる人も少ないが、そのよしみで利益を得る人間はさらに少ない。

 少なくとも経営者同士の繋がりは分かるが、こう言ったら失礼かもしれないが千誠はただの社員だ。中間管理職であって、役員でもない。そんな彼がどうやって経営者と縁を結ぶ事ができるのか、祥順には分からなかった。


「ただより高い物はない。そういう事ですね。欠員と言っても、有給だったり傷病だったりというお休みの人の代行なので、単発の仕事になります。あの日もそういう代行をしていました。あなた方とすれ違う事になるとは思いませんでしたが……」


 そう話しながらコーヒーを飲む千誠に、本当に偶然が重なってしまったのだと知る。

 千誠はあえてそんな事を絡ませてくるような策略家ではない、というのが祥順の認識ではあるが、あまりにも素晴らしいタイミングだった為、そういう見方をしてしまいそうだった。


「それで、私がヒロに秘密にしてほしいとお願いしたのは、彼がこのジムに行く事を秘密にしていたからです。秘密にしている事が初回からばれてしまっては本人もつまらないでしょうし、がっかりもするでしょう。私はそれを望んでいない」


 祥順がちらりと隣を窺うと、浩和もこちらに視線を寄越してきた。視線が絡み合う。秘密にするだろう? と視線だけで会話する。もともと秘密にしておこうとは話し合っていた。


「もちろんです。もとよりそのつもりでした。ヒロは今、変わろうと自主的に努力しています。俺もカジくんも、それを尊重したいという気持ちで一致しています。

 まぁ、偶然本人同士が鉢合わせしたりしなければ……ですけど」

「ふふ、それはそうだ。私は私で、ジムに行く時は気をつけるとしましょう」


 千誠はたおやかに笑い、すうっと目を細めた。


「何だかあなた達とヒロって親子みたいですね。さしずめカジくんがお母さんでタキくんがお父さん、という感じかな」


 祥順の心臓がどくり、と大きく音を立てた。探られている。そう祥順の体が勝手に警戒し始めた。


「いや、カジくんは仕事の鬼だから、俺がお母さんでカジくんがお父さんかもしれませんよ」


 含みを持たせるような言い方をしながら、浩和が祥順によりかかる。されるがままの祥順は止まっていた息を吐いた。

 危ない。祥順では太刀打ちできない気がする。このまま浩和に甘えるしかないかもしれない。


「どちらがどちらでも別に構いませんよ。最近なんて、男女で役割を分ける事自体がナンセンスな時代ですからね」


 千誠は小さく笑った。久しぶりに、祥順は千誠に恐怖を感じた。


「とまあ、そんな冗談はさておき。うちのヒロはそちらの蜜月の邪魔をしていませんか? 面倒事を引き取ったはずなのに、まだそちらに遊びに行ってしまうから申し訳ないと思っているんです」


 これはまさか。祥順と浩和は顔を見合せた。もしかしなくとも、二人の関係が悟られている?


「蜜月だなんて。まあ引越ししてついこの前までバタバタはしてましたが」


 苦し紛れ。まさにそんな気持ちで無理やり言葉を捻り出す。祥順の気持ちを悟ってか、千誠は穏やかな笑みを浮かべつつ再び口を開いた。


「私は良いと思いますよ。むしろ羨ましいくらいだ。絶対的な信頼ができる相手がいると、人生はそれだけで華やかになるものです」


 完全に気が付かれている。

 口を少し開けては閉じ、を繰り返す祥順の隣が動いた。


「お互い同性が初めてなもので、栗原さんのような方にそう言っていただけるとほっとします。ただ、まだ公表する勇気はないのでそっと見守っていただけると嬉しいですね」


 浩和は憂いの一切ない顔で、はっきりと言い切った。普段からかっこいいが、いつもより数倍かっこよく見える。


「ご安心を。私は野暮な事はしませんよ。あなた達なら、公表しても祝福されるだけだと思いますけど……だって、既に社内一番のおしどり夫婦で有名ではないですか」

「そ、それはネタですから!」


 飲み会での話を持ち出され、思わず祥順がつっこんだ。

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