第15話 白い魅惑のデザート
「でも、完成するまでまだ時間かかるよ」
「えっ」
「冷やし始めたばかりだから」
明らかに残念そうな声を上げた寛茂に追い打ちをかける。犬耳としっぽの幻が見える。どちらもしょぼくれている。
「ちゃんと冷えないと食べられないんだ。そんな顔をしたって無駄だ」
「えっ、じゃあいつ食べられるんですか!?」
やけに食いつくな。千誠は心の中で寛茂から一歩距離をとった。
「さあ、どうだろうな?」
そこまでして食いつく理由が分からない。
千誠が作る菓子にそこまでの価値があるとは思えないからして、きっと食べる量が足りなかったのだろうと結論づける。
食い意地が人一倍ある寛茂の事である。おいしいはずだと勝手に期待しているあまり、食べたいという気持ちが先行してしまっているのだろう。
「もう少し我慢、な?」
「うぅ……分かりました」
とぼとぼとソファに歩いていき、ぽすりと肉体に似合わぬ音を立てて座る。勢いのない動きで、寛茂がどれだけ千誠の料理を楽しみにしていたのかが分かる。
毎回楽しみにしてもらえる喜びを実感しつつ、千誠はほうじ茶を用意してその隣に腰を下ろす。
そっとほうじ茶を渡せば、寛茂は早速それを口に含む。一口飲んでほう、と彼から柔らかな息が漏れた。
「……」
「……」
珍しく沈黙が流れる。だが、居心地は悪くない。千誠は背もたれに体重を預けた。
寛茂は今、何を考えているのだろうか。思わぬご褒美をお預けされた事が残念だとか考えているのだろうか。それとも明日の仕事をどうするか、作戦を練っているのだろうか。
もしかしたら、今隣に座っている千誠自身の事を考えているかもしれない。寛茂の沈黙を想像しながらゆっくりとほうじ茶を飲んだ。
しばらくするとキッチンの方からアラームの電子音が響く。
「わぁっ、な、何っすか!?」
隣でびくつく寛茂を笑いながら、千誠が答える。
「ふふ、ヒロが待ってたものができたかもしれない音だ」
「食べれる!」
食べられるとは断定していないのに、既に食べる気満々の様子だ。食いしん坊な彼の期待を裏切るかどうか、それは千誠次第である。
ひとまず冷蔵庫の中を確認する。片方の器を少し傾ける。さらにもう少し傾ける。だいぶ傾かせて確認して元の角度に戻した。ちゃんと固まっているようである。
これならば、もう出しても大丈夫だろう。寛茂も食べたそうにうずうずとしているし、あまりじらしすぎも良くない。
「どうですか? 完成ですか?」
今にも食べ始めてしまいそうなくらい、せっぱ詰まった声に今までにない充足感を覚える。今、寛茂の感情を揺さぶっているのは千誠なのだという実感がそんな充実感を刺激する。
こういう事で充足感を覚えるのは人間としてどうかと思うが、それを誰かに覚られさえしなければ問題ない。
己の感情を意図した範囲外で覚らせないようにする事が、円滑な人間関係を築くのに重要である。千誠が今までの人生で、強く実感している事の一つだ。
「……大丈夫そう。つまり、完成だね」
「ぃやったぁー!」
いそいそとカトラリーが収納されている引き出しを開け、フォークとスプーンを持つ。どっちを使うのか聞きたいのだろう。千誠は寛茂の右手を指さした。
スプーンを持つ右手を掲げてまぶしそうにそれを見つめる姿は、とてもじゃないが成人男性には見えない。――が、まあ良いだろう。それが寛茂だ。
少し行儀は微妙だが、
「ほら、それを持ってテーブルに移動して。
私はデザートを持っていくから」
「はい!」
うきうきと弾んだ足音を立てる寛茂の後に続いて歩いていると、特別な日でも何でもないのに、何となくそんな風に感じる。
些細な事に楽しみを見つけるのが上手な人間と一緒に過ごすのは、千誠にとってプラスになるようだ。
「はい、どうぞ」
「わあ! 白い!!」
甘みがつくようにと多めに入れられた蜂蜜が、牛乳の白をほんのりと暖かな色味にさせている。この、蜂蜜の色がついた白いゼリーは寛茂の気分を十分に盛り上げる要素になったようだ。
「これって何ですか? 豆腐!?」
「豆腐って……さすがの私も、そんな簡単に豆腐は作れないよ」
そもそもにがりなんて家に置いていない。寛茂もそれくらい分かっているだろうに。千誠は苦笑する。
「ですよねー、じゃあホワイトチョコレートプリン?」
「さっきから私に何を求めているんだい……? これは、牛乳寒天ゼリーだよ」
「えっ、それってコンビニとかで売ってるみかん入っているやつっすか!?」
寒天ゼリーの事は分かるようだ。例えが今風なあたりが、寛茂らしいと感じる。
「いや、今回はみかん入ってないけど、そんな感じかな」
「みかん入ってないのか……」
うん? みかん入りが食べたかったのか? 千誠は思いの外しょんぼりとした寛茂の言葉に口元をひくつかせた。食べ物の事は詳しくないし、選り好みをせずに喜んで食べる人間にしては意外である。
それに、さっきまでの笑顔が萎んでしまったのが悔やまれる。千誠が想定していた反応ではない。
「そうだな……みかん入りは今度作ってあげるよ」
「やったっ!」
「みかん、好きなのか?」
「大好き!」
即答だった。可愛い奴め。これだけテンションの落差を生み出す食材だ。次はあんな顔をさせずに提供してみせる。
千誠は近い内にみかんの缶詰を買う事を心に刻んだ。
「正確に言えば、これは蜂蜜入りの牛乳寒天ゼリーだ。食事をしてきたんだから、軽めが良いかなと思って」
本当はジムでの運動後に食べ物の取りすぎは運動の意味がなくなってしまうと言ってやりたい。が、できない。嘘や隠し事を積み重ねていくスタイルの生活は、割と記憶力が必要であった。
寛茂に対して息をするように隠し事をする千誠は、今回も気が付かれなかったと胸を撫で下ろす。
「いっただっきまぁす!」
夜だというのに、そんな事もお構いなしの声量で挨拶する姿は愛らしい。こんなものにも本当に嬉しそうにしてくれる寛茂は、千誠にとって太陽のような存在だった。
「んんっまぁぁ! 何ですか、これ! すっごく優しい味がします!」
今にも蕩けてしまいそうな表情の寛茂が顔を上げた。興奮で目元が潤んでいて色っぽい。
「蜂蜜のせいかな?」
「初めて食べました。こんな、柔らかな甘み……幸せです。また作ってくれますか?」
熱の込められた瞳は真剣だった。食べ物の件ではなく、こんな瞳を向けられたらどんなに幸せなのだろうか。千誠はぎこちない笑みで寛茂に「また作るよ」と言った。
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