第11話 意外な人物と遭遇

 髪を乾かし、着替えを済ませて適当に休んでいるとばらばらとがたいが良い男の集団が目の前を移動していった。

 ボディビルダーでもあるのだろうか。どの人間もしっかりと筋肉がついている。年齢はバラバラで、どこかのCMにでも出てきそうな程に高齢と思わしき人もいる。その集団の中に見知った顔を見つけてしまった。


「……栗原さん?」

「こんばんは、カジくん」


 本当に栗原さんだった。祥順は驚きのあまり立ち上がった。集団から抜け出した千誠はまっすぐに祥順のもとへとやってくる。

 トレーニングで汗ばんでいてシャツが張り付いている。そのせいで千誠が祥順の想像に反してかなりの筋肉を持っているのだと分かる。

 ボディビルダーというよりも最近の映画俳優に見られるようなバランスの良い筋肉がついている彼は、会社で見る姿とはかけ離れていてまるで別人である。

 別の意味で萎縮してしまいそうだと、祥順は緊張しつつ向かい合った。


「ヒロが二人と出かけるとは聞いていたけれど、ここだったとは。彼は迷惑をかけていませんか?」


 穏やかな青年から爽やかなスポーツマンの姿に変わった千誠は、流れる汗をタオルで吸い取りながら笑いかけてきた。

 主に自分が迷惑を被ってましたとも言えず、曖昧に笑う。


「いえ、まあ少々元気が良すぎるところはありましたが……」

「黒湯には入りましたか? あの子、はしゃいでいませんでしたか?」


 質問責めを始めた彼が弟を心配する兄のように見えてきた。祥順はなんだかほほえましい気持ちにさせられる。


「水を跳ねさせて滝川さんにお仕置きされていました。今頃は真っ黒になった顔を洗い流していると思いますよ」


 黒湯で真っ黒になった寛茂を想像したのか、千誠が小さく吹き出した。会社ではなかなか見る事のない光景に祥順のテンションが上がる。


「もう少し落ち着いた男になってほしいんですが……なかなか。そうだ、タキくんには言っても良いですが、ヒロには私がここに来ている事は秘密にしておいてくれますか?」

「構いませんけど」

「ありがとう。じゃあ、また明日職場で」

「あ、はい、また」


 小さく手を挙げて挨拶をすると、千誠はスタッフルームの扉へと消えていった。……って、スタッフルーム? 祥順は声を上げそうになって勢いよく座り直した。いや、だって、ここは職場じゃないぞ。どういう事なんだ。

 千誠に対する謎と寛茂に対する秘密が一度に増えた瞬間だった。




 千誠の謎を考えながら祥順は自販機で買ったコーヒーを飲んで時間をつぶしていると、ようやく浩和と寛茂が戻ってきた。並び立つ二人と比べてしまうと、千誠の筋肉の鍛え方が明らかに違うのが分かる。


「おかえりなさい。他の湯も楽しんできたんですか?」

「はい! おかげさまで、とても楽しかったです」


 だいぶ満喫したらしい寛茂の顔は赤く染まっていて、のぼせてしまってやいないかと不安にさせるほどである。だが、寛茂の動きを見ればその心配はなさそうだった。

 てきぱきと着替え、髪の毛をタオルドライする姿は普段と遜色ない。顔が赤くなりやすいタイプなのだろう。祥順はそう納得する事にした。

 一方の浩和は、少しばかり疲れたような表情に見える。子供みたいな大人を連れて歩けばそうなるか。祥順は着替え中の浩和の肩にそっと手を添えた。


「お疲れ様」

「ありがとう」


 浩和は小さく笑みを作ると、ワイシャツを手に取った。二人がスーツ姿に戻っていくのを見つめながら、祥順は千誠の事を考えていた。

 彼はどうしてスタッフルームへと消えていったのか。副業禁止ではないから問題はない。寛茂に秘密にできるのならばここに通う頻度はそう多くはないはずである。

 つまり、副業ではないだろう。それともスポーツジムは登録制で単発の仕事でもあるのだろうか。

 千誠の事情よりも雇用形態の方が気になってしまう。試しに調べてみたが、インターネットのページには特にそういった事は書いていない。

 転職サイト等を探してみても、単発の登録とかはないようである。


「何してるんだ?」

「あっ」


 着替え終わったらしい二人が祥順を見下ろしていた。既に鞄まで持っており、帰る準備が万全である。


「ちょっと調べ物を。すぐ用意します」

 慌てて立ち上がってロッカーにしまっていた荷物を取り出した。

「じゃあ、帰ろう」

 爽やかに微笑まれ、祥順は気持ちが緩む。これで二人きりに戻れる。そんな気持ちが生まれた。


「はい」

「今日はありがとうございました!」

「良いよ。カジくんを連れ出す良い機会になったしね」


 祥順の声に元気な寛茂の声が重なった。浩和は寛茂に声をかけている。だが、もうすぐ二人きりになれるのが分かっているからか、全く気にならない。

 結局、自分だけの浩和じゃないのが嫌なのだろう。祥順はスポーツジムで沈んだ精神状態をそう結論づけた。

 寛茂のはしゃぐ声が聞こえてこようが、自分よりも寛茂が優先されようが、本当に気にならない。祥順は二人の後ろを、そのやり取りを見ながら小さく笑った。


 祥順は自分の気持ちのふり方が浩和の影響を受けやすいと気が付き、そんな自分がおかしくてたまらなくなる。

 そういう事に振り回されるような人間だとは思わずにこれまで生きてきたし、今後もそうだと思っていた。なのに、女性の恋人ではなく男性の、それも自分よりもスペックが高い年下に振り回されるなんて。

 しかも、振り回されるというのも、相手が原因ではない。自分が勝手に振り回されている気になっているのである。


 早く二人きりになりたい。どうも今日は浩和の成分濃度が低い気がするのである。二人きりになったら、不足している分をしっかりと摂取したい。

 どうすれば良いのかは分からないが、とても甘えたい気分だった。

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