第9話 沈んだ祥順と黒湯
「あぁー! 良い汗かいたぁー」
スポーツジムと言えば、充実した施設。それはプールであったり、テニスコートであったり、サウナなどのスパであったり。一通り機械ものを楽しんだ寛茂達二人と共に、祥順は大浴場にあるバブルバスに浸かっていた。
マイクロバブルだという、その小さな泡は結構な圧力であちこちから吹き出している。足下と側面から吹き出ている泡は、その吹き出し口に近付けば心地よいというよりは痛いくらいの微細な泡が体当たりしてくる。
祥順は強炭酸水を飲んだ時のような刺激を体の表面に感じていた。こんな爽やかな風呂に元気な男達を目の前にして、祥順の気分は冬のプールに沈んだ澱のようだった。
立って入るタイプの水深が深い部分では、ちょうど腰の辺りにバブルの噴出口がついている。そこに体を当てれば、誰もがこりがほぐされてくるような気がしてくるだろう。ただ、祥順の気分をほぐすには十分ではないようだった。
相変わらずのテンションで楽しそうにしている寛茂と、その相手をし続けている浩和を見ているだけで気が沈む。どう頑張ったって同じ土俵に立てないと分かっているから、その沈んだ気分に自己嫌悪という単語がのしかかってくるのである。
「この泡、汚れも落ちるって本当なんですかねー?」
「どうなんだろうな。小さい泡が肌にぶつかって物理的に汚れが取れるらしいけど」
「梶川さんはどう思いますか?」
「えっ、俺?」
祥順は突然話題を振られ、ゆるく曲げていた背をピンと伸ばす。混乱しつつも何とか話題に追いつこうと苦心する。
「えっと、小さい泡同士がぶつかるとくっついて大きな泡になるわけだけど。それが肌の上でぶつかって転がって、その衝撃とかで汚れがはがれるとか……?
あ、そういえば、細かい泡が通常では入りきれないところまで入るという話は聞いた事があります」
おぼろげにしか覚えていない、下手な知識を披露する。ああ、ダメだ。祥順は自分の知識量のなさに嫌気がする。
「カジくん詳しいじゃん」
「いや、そんなのではないですよ」
彼に眩しい笑みを向けられると、目がかすむ。相変わらず自分の恋人は眩しすぎる。目を細めながらそんな事を考えていると、浩和と付き合う前の自分に戻った気がした。
「さ、話が盛り上がったところで悪いけど、ここは色んな風呂があるから一通り回らないか?」
祥順のノリの悪い様子に小さく首を傾げた浩和が、さらりと話題を変えながらマイクロバブルバスから出ようとする。寛茂は追いかけるようにして歩き出す。
祥順の態度に何かを感じとって動くところが今は少し憎らしい。普段は惚れ直すところなのに、今の祥順にそんな余裕はなかった。
「どんなのがあるんですか!」
「説明書きがあるから見たら分かるけど、炭酸とかミネラルとか、他にも確か週替わりの特殊なお湯があるよ」
週替わり温泉は、それ用の部屋になっているらしい。そして今日のそれはどうやら“黒湯”らしい。
……いや、しかし黒湯って普通はスポーツジムにそぐわないのでは。美肌だとか、外傷に効果があると聞いた事がある。せめて、男湯よりも女湯にあるべきだろう。祥順は浩和が出した変な話題に気が逸れる。
「スーパー銭湯みたいな使い方をしている人間も結構いるらしくて、週替わり温泉の部屋はそういう層の人向けだそうだ。今日はアタリだね。変わったお湯に入れる」
浩和の言う通り、ここは湯船の数が多い気がする。スーパー銭湯だと言われたら納得してしまうだろう。すでにここがジムの中だという事を忘れてしまいそうである。
ジムでの出来事でへこんでいた祥順だったが、ようやく気持ちが上昇した。……ほんの少しだけだが。
「うっは、すっげぇ。黒いっす!」
日替わり部屋に入った寛茂が中高生のようにはしゃいでいる。別の土俵に立っている男と比較しては落ち込んでいる自分が馬鹿みたいだと思った。
彼の元気に引きずられるようにして湯船を見ると、なるほど黒い水面が広がっている。心なしかタイルの溝が黒ずんでいるようにも見える。見ようによっては、掃除していなくて汚れているようにも見える。
「しっかり黒いんですね」
「今日の黒湯は炭入りだってさ」
「泥っすか?」
「いや、炭だって」
泥と炭の違いが分かっていないらしい寛茂に、ただ炭だと言い続ける浩和は笑っている。確信犯だ。真っ黒な液体を手桶ですくうと、黒っぽい雰囲気の液体だった。
「泥湯はたいてい乳白色系の茶色だったり赤系の茶色に見えますから全く違いますよ。因みにここで言う炭は木炭の粉末ですね」
手桶の水をそのままにしておけば、上澄みと炭の二層になりそうなくらいに炭が追加されている。手で簡単にかきませれば湯船に比べたら薄いものの、少し濃く見えるようになった。
「うひゃぁ。何か底がぬるってするぅ!」
「炭は水に溶けないから、沈殿したんだろ」
「……一応硫黄系のものもあるらしいので、湯の花も混ざっているかもしれませんね」
温泉はそんなに詳しくない。黒湯は何とか酸が光を吸収するから黒っぽく見えるとか、そんなレベルである。
「うわ、梶川さん博識ぃー」
「……いや、そこまでの知識量はないです」
能天気にはしゃぐ寛茂を後目に、祥順も湯船へと入る。思ったよりも沈殿物が多い。足を取られそうなほどの沈殿物は、湯の入れ替え時の掃除が大変そうであった。
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