第8話 分かっていても、気分は下降気味
二人は筋肉について語り合いながら、順番になっているらしいマシン――祥順にはよく分からなかった――を物色している。時折筋肉の名称が出てくるが、それもピンと来ず、ただ彼らの話を右から左へ聞き流していた。
よく分かった事といえば、二人とも筋肉について詳しいという事と、浩和がここにある機械類の事を知り尽くしているという事であった。あれはどこそこを鍛えるもので、こう使う、だとかがすぐに出てくるのである。
祥順だったら、例え記憶していたとしても、記憶の引き出しをあちこちひっかき回さないと出てこないだろう。するすると自然に言葉を出せるようになるには、相当な理解が必要である。
経理の知識であれば今の浩和のようにできる自信がある。それは勉強と実務をそれなりに重ねたからこそ。浩和が言っている事はまるで理解できないが、寛茂はよく頷いて反応を返していた。
二人の世界ができてしまって少し不満はあるものの、もとから寛茂の希望を叶える為である。当然の事であった。
「レッグプレスは何キロにしますか?」
「最初だし、具合を見るのに七十くらいからにしたらどうかな」
今日は身体測定の様相になってきていた。さっきは足を丸太みたいなバーに乗せて、動かしていた。今は斜めになったスクワット――いや、椅子に座ったスクワットか?――みたいなマシンを試すらしい。
「足をセットする場所は、こことここ。それぞれ十回を三セットずつやれば良いんじゃないかな。鍛えたい筋肉があれば、足の位置は変えて良いよ」
「質問」
「はい、カジくん」
重量設定が軽くなっていたらしい。椅子の後ろにあるブロックみたいな形の重石が増えていく。
「何で二カ所なんですか?」
「足の位置によって鍛えられる筋肉の場所が変わるんだ。だから、単純に遠い場所と近い場所にしたよ。
実際に試してみたら分かる」
案内されるがまま、寛茂ではなく祥順が座った。ちょっと足を置く壁の位置が遠い。
「椅子の高さは自分で調整してくれ。人がやると危ないから」
なるほど、車の座席を動かすような感覚でスライドさせるらしい。横から手を入れたら確かに危なそうである。
「だいたい膝が直角になるくらいで調節する」
「分かりました」
祥順は浩和の言う通り、足を曲げる角度で椅子の位置を決めた。
「背中を背もたれの部分にぴったりとあてて……そう、そんな感じ。グリップを軽く握って足を伸ばす。その時、腰は浮かさないように。膝を伸ばしきると、痛めてしまうから気をつけて。
まずは、一回やってみようか」
二人が見守る中、祥順は一度だけやってみた。足だけに力を入れるというのは意外に難しい。腰や手にも力が入ってしまう。
浩和が腰を浮かせないように、と言っていた意味がよく分かる。重さはあまり感じなかったものの、足を伸ばそうとすれば腰が浮きそうになる。それを制御しようとすれば、足を伸ばす動きが止まってしまう。太ももの裏や、尻臀の辺りの筋肉が不安定な祥順の制御で震えた。
結果、慣れないフォームのせいか油圧式であるはずのマシンの動きがぎこちなくなってしまった。
足の位置を変えてもう一度挑戦する。さっきとは違う筋肉が使われているのが分かった。どうやら、上の方にすれば尻臀の方が、下の方にすればふくらはぎの方が鍛えられるようである。
足を広げたりくっつけたりしても、使う筋肉が変わりそうだと祥順は思った。
「姿勢の維持を心がけているとやりにくいですね。あと、確かに使う筋肉が変わるのも分かりました」
「重さはどうだった?」
「重いようには感じませんでした」
「次、俺も試して良いですか!」
ワクワクとしているのが分かりやすい。立ち上がって場所を譲ると、寛茂が座って慣れた手つきで位置を調整する。
「やります!」
そう宣言してから、彼は動き始めた。ゆっくりと足を伸ばしていくが、その動きは滑らかで祥順の時とは全く違う。
祥順は彼の動き方をしっかりと見つめた。上半身にはあまり力を込めていないように見える。事実、上半身の力は抜いているのだろう。
寛茂の背中はぴったりとシートについていて、祥順と違って腰が浮きそうな感じは見られない。これが筋肉量の差という事だろうか。伸縮を十回繰り返したところで寛茂はグリップから手を離した。
「余裕っすね」
「なら、五キロ増やそう」
そんなに増やして大丈夫なのだろうか。祥順は心配そうに寛茂を見やるが、彼はのほほんとしていて、というよりも重りが増えるのを楽しみにしているようにしか見えない。
重りが増えるやいなや、再びやり始めた。今回もすうっと滑らかに動く。さすがは体育会系。
「俺、これくらいで良いかもです。三セットですよね?」
「ああ、そうだ」
「やります!」
相変わらず元気に宣言すると、最初の一セットはカウント外なのか、寛茂はあっという間に二セットをクリアしてしまった。そして足の置く位置を変えて三セット。
最後の方こそ苦しそうに歯を食いしばっていたものの、フォームを崩さずにこなしていった寛茂に、祥順は関心するしかなかった。
それから別のマシンに移っては試し、を繰り返していく寛茂についていった。浩和に勧められ、たまにマシンを使う。どんな使い方かイメージはできるものの、浩和にレクチャーされないと分からない。
すんなりとマシンを使いこなしてはしゃぐ寛茂を見ている内、我ながら子供っぽいとは思うものの祥順の気分はゆっくりと下降していった。
元々文化系の祥順である。こういう事に関する知識は、ほぼないに等しい。だから当然の結果であり、その事に対して何かしらの感情を持つのは間違いである。だが、一人だけ仲間外れになっているようで面白くない。
それに、自尊心が削られていく気もする。できる事が増えてきているからこそ、できない事にぶち当たってへこんでいるだけなのだろうが……これもまた面白くない。
二人が楽しそうにしている中、祥順は一歩下がった位置でそれを見つめるのだった。
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