第7話 脳筋だってちゃんと営業

 何とか落ち着いた寛茂を連れ立って、ストレッチのできるブースへと向かう。怪我のないようにしっかりと体をほぐしつつ、これからの作戦についてのミーティングが始まろうとしていた。


「ヒロ、どこを鍛えたいんだ? やっぱり腹か?」

「全部です!」

「は?」

「全部です!」


 浩和の問いに元気良く答えてくれるのは良いが、ノープランらしい。普段からどこか足りない男ではあるが、これで結果はうまくいくのだから不思議である。祥順は機械トレーニングには詳しくない為、一緒に柔軟を行いながらそんなやり取りに耳を傾けている。


「お前、結構欲張りなんだな」

「営業たるもの、欲張りでなきゃ数字が出ませんから」


 寛茂には失礼だが、初めてまともな事を話しているのを聞いた気がする。


「そうだな……なら、ここではしばらく下半身を中心にした筋トレをして、家ではプランクとクランチをやる事にすれば良いと思うよ。で、腹部がすっきりしてきたらここでやるメニューに上半身の筋トレを増やしていく。

 全部をここでやろうとすると絶対時間が足りないから、ある程度の妥協は必要だ」

「じゃあ、そうします」


 家でやるトレーニングのレクチャーが始まった。まずは、どれくらい基本のプランクができるのかを確認するところからである。普段、浩和の指導でやっているのと同じであるから、比較対象として寛茂と一緒にやる事になった。


「よし、ヒロはカジくんと競争だ。カジくんは毎日家でプランクをやっているから手強いぞ」

「あっ! つまり、梶川さんのその綺麗な筋肉を作っている秘密って事ですね」

「……綺麗な、は余計だ」


  脳天気な寛茂につっこみを入れると嬉しそうな笑 顔を向けてきた。君は構われて嬉しがる犬か。


「どっちが長くプランクをやっていられるか。三、二、一、はじめ」


 浩和の合図で同時にプランクの姿勢をとる。プランクとは、腕立て伏せみたいな姿勢を維持するものである。腕立て伏せと大きく違うのは前腕から肘までを地面につけた状態を保ち続けるという点で、腕立て伏せが主に腕を鍛えるものに対してプランクは腹筋などの体幹を鍛えるものとなる。

 祥順は浩和の指導で三十日チャレンジというものをやらされていた。三十日チャレンジは、三十日でプランクをする時間を増やしていくという単純なものである。祥順がやったのは、三十日でプランク五分が目標のものであった。

 それが完了してからは、少しでもプランク五分を一セットとして二セット目に挑戦するというものを行っている。今日は二セット目がインターバルなしというイメージである。


 初めの頃はきつかった。いや、五分ができるようになった今もきついと思っている。ただ、ちょっと我慢がきくようになっただけである。

 ひとまずは五分。祥順はそう決めた。そして寛茂よりも一秒でも長くやる。筋肉量の多い男との勝負は不利だが、日課のようになっているプランクで負けたくない。

 祥順は呼吸をする時のリズムをカウントし始めた。呼吸が乱れると疲れやすくなる気がする。だから、そうならない為にカウントするのである。このカウントにはもう一つ利点がある。ただ何も考えずにカウントだけをしていると、瞑想をしているのと同じような状態になる為、時間の経過を早いと感じるようになるのである。

 静かな空間ではないが、家でやっていたのと同じようにカウントしていくにつれ、音が遠ざかっていく。脳内で己がカウントしている声だけ、という状態になった時、肩をたたかれた。


「……終わりですか?」

「うん。カジくんの勝ちだよ」


 顔を上げると爽やかな男が目に入ってきた。スポーツジムという背景がとても似合っている。ゆっくりとプランクのフォームを崩して体を起こすと、その隣ではぐったりと潰れている寛茂がいた。


「プランクきっつぅー」

「運動していなかったにしてはやれていたじゃないか。健闘した方だよ」


 腕時計に目を向ければ、三分ほどが経過したところである。つまり、普段よりも短い時間であった。


「私は初めてプランクをした時、三十秒ですらぎりぎりでした」

「まじでっ? じゃあ、俺頑張ったじゃん」


 寛茂なりに悔しかったらしく、過去の祥順よりはましだったと分かって嬉しそうである。その姿を見ながら祥順は祥順で、何とか面目を保ててほっとしていた。


「元々鍛えていたんだ。それくらいできなければただのハリボテじゃないか」

「滝川さんってば厳しいー!」

「まあ……私より一回りは太いですし、当然でしょう」


 しれっとそうコメントしながらヨガの猫のポーズをする。これは腹筋と背筋の筋肉をほぐす効果があるからプランク後にはちょうど良い。ぐっと丸くなると背中の強ばりがほぐれていく。ゆっくりと肺の中の空気を押し出せば、何とも言えない心地よさを感じる。


「ヒロ、お前はずっと反り腰ぎみだったから、しっかり背中をゆるめておいた方が良い」

「はーい」


 プランクはつい、体勢を楽にしようと身体が動いてしまう。その典型的なものが尻が上がってしまうというものだった。

 祥順も、始めたての頃はよく指摘されたものである。今でこそ綺麗なフォームでできるようになったが、それまでは尻を上げては軽く叩かれていた。

 尻が上がると腹部の負担が減る。だからつい、体が手抜きしてしまうのである。しかし、その手抜きはプランクが終わった後、腰の痛みとして返ってくるから自分が正しいフォームでなかったのだと分かる。

 浩和に指導される寛茂を見ながら、そんな思い出に浸るのだった。


 自宅トレーニングのレクチャーを一通り終えた三人がやってきたのは、もちろん寛茂の要望通り、筋肉を育てるコーナーである。つまり、ランニングマシーンとかの燃焼系ではなく、任意の筋肉を鍛えるマシーンが並んだ場所という事である。

 時間ごとにインストラクターが様々なレッスンをしてくれるスタジオがすぐ側にある。そこから出てくる人々を観察するのも面白い。


 年齢層は比較的若めで、年の行ってそうな人は見あたらなかった。もしかしたら時間帯のせいもあるだろう。今は仕事を終えたサラリーマンやOLと授業が終わってから運動しに来た学生が入れ違いになるタイミングのようであった。

 機械よりも人の動きに興味が湧いた祥順は、そのままスタジオの方を見ていた。見ている中には人気があるらしく時間前だというのに、既に列ができているスタジオもあった。そこに見知った姿があったように見えたが、よく見ようと思った時に入場が始まってしまい人混みに紛れて見失ってしまう。

 祥順は誰だったのだろうかと首を傾げつつ、寛茂の賑やかな声を聞いていたのだった。

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