二つの蜜月

第1話 新世界と新和菓子

 世界が変わって見える……。

 ある夏の終わり、もしくは秋の始まり。祥順よしゆきは人生最大級の経験をした。恋人関係にある男女、それも同棲中となれば普通の出来事であるが、それが性別を越えたとなれば。

 ずっとヘテロとして過ごしてきた三十年。それが浩和ひろかずの手によってゆっくりと崩壊していった。

 キスまでは、何の抵抗もなく受け入れてしまっていた祥順だが、そこから先は少しばかり勇気が必要だった。おおよそ同居し始めて一ヶ月半ほど経った頃、ねっとりとした濃厚な口づけを交わしている時に、それは起きた。


「もう少し先、進んでみませんか」

「へ?」


 気の抜けた声を出してしまったが、浩和の言っている意味は十分に理解していた。提案した浩和だって謎の敬語だったし、緊張はしていたのだろう。祥順はそのまま承諾した。

 その時の「え、良いの。本当に?」という表情はおかしかった。いや、ほっとしたというのが本音である。浩和が作る料理がおいしすぎて、少しばかりふっくらとしたような気のする身体ではあの筋肉に勝てない。

 浩和が本気を出せば、そのまま食べられてしまっても不思議ではない。だから、あれは祥順の事を大切に思ってくれているからこその表情だ。ひどい事はされないだろうと、ほっとしたのである。


 そんなこんなで、スムーズにいったりいかなかったりするその行為は済んでしまった。流されるがままに浩和を受け入れたが、不思議な事に抵抗感はなかった。

 ヘテロだった人間からすれば異常な行為である事に間違いないと思うのだが、浩和と添い遂げる気持ちに偽りがなかったからか、または浩和の努力の賜物か。

 本来とは異なる役割になったにも関わらず、祥順の身体はやけに従順だった。快感とは無縁だったが、それとは分からずとも身体は反応していたのだから、数を重ねれば変わってくるのだろう。


 相手の色に染まってみるのも悪くはない。だが、いつかは祥順も浩和を抱いてみたいと思う。言いにくくなる前に、と試しに浩和に言ってみたら快諾されてしまった。てっきり行為中の熱心な姿からして、逆の立場が嫌なのかと勘ぐっていた。


「準備が難しいから俺がやっただけで、慣れてきたら逆でも構わないよ。そっちも興味あるし、カジくんが嫌でなければいずれ逆もやろう」


 どうやら怪我を警戒していたらしい。熱心だと思っていたが、あれは初心者が陥りがちな、互いを不幸にするアクシデントを防ぐ為だったそうだ。聞いてみればなんとも浩和らしい考えだった。用意周到というか。まあ、うまくいったのだから文句は言うまい。


 という事で一歩、関係が進んだ仲になったわけだが、祥順にはちょっとした不満があった。


 つい祥順もやってしまいがちだが、浩和が用意周到過ぎたり完璧にこなそうとして祥順の入る隙を与えなかったりするのである。別に失敗をしても良いと思うし、一緒に色んな事をやりたい。

 相手は恋人である。人間は綺麗な側面だけではない。いろんな側面がある。良い部分だけを見せようとしていても、いつかは破綻する。

 それに、祥順自身が浩和が手を抜いていたり隙があったりする瞬間を見てみたいというのもある。いつも甘やかされているから、逆に彼の方から甘えられたりとかもされてみたい。どうやったらそれらをさせてやる事ができるのだろうか。祥順は密やかに考えを巡らすのだった。




「甘えてもらいたい?」


 最近同居生活を話したいらしい千誠ちあきに呼ばれる事が増え、祥順にとっての千誠の存在が身近になってきた。もちろん先輩として尊敬している事に変わりはないが、同僚以上友人未満くらいだろうか、少しばかり距離が近づいたような気がしている。

 同居するようになってからの相談は、もっぱら浩和の元カノの紗彩さあやか千誠の二人だけである。顔を合わせる機会の多い分、千誠への相談の方が多いかもしれない。


「はい。俺の生活は快適なんですが、それは滝川さんの努力によって作られたものなので。まあ、つまり俺が滝川さんに甘えてばかりだという事です。だから、たまにはその逆になってみたいなと思いまして」


 祥順は千誠が用意した和菓子を摘みながら語る。ころころと丸いだけの小さな和菓子は千誠お手製である。

 最初の頃は萎縮しながら食べていた。が、寛茂ひろしげのご褒美用に研究している和菓子の試作だと言われ、味の感想まで求められては気が引けるとか言ってはいられない。

 毎回感想を求められている内に、食べ慣れてきてしまった。

 現在は味の追求中の為、こんな形なのだという。口の中で柔らかな甘みが広がった。白あんのどれかだろう。色々な豆があって、祥順にはどれが何だか判別つかない。

 バラの香りのような、なんだか華やかな香りがおもしろい。


「花の香りがしますね」

「あ、分かります? ちょっと違う雰囲気にならないかと思って香料を入れてみたんです」


 本格的だ。もう一つを口に含めば、こちらはキンモクセイのような香りが広がった。こっちはちょっと香りが強すぎるかもしれない。


「最初の方が好きです。こっちのは香りが強くて味が分からないです」

「分かりました。参考にさせていただきます。……それで、甘やかしてみたいという意見ですが」


 祥順は背筋を伸ばした。千誠は広げた和菓子をしまい始める。


「どのように甘えてもらいたいですか? ざっくりとで良いので教えてもらいたい」


 どんな風に……祥順は考え込んでしまった。具体的に聞かれると、出てこない。自分は、どのような時に甘えてもらっていると感じるのか?

 同じソファに並んで座り、映画を観ている時。アクション映画が多いが、それでも何となく手を繋いでみたり、寄り添ったりする。浩和の方からしてくる場合が圧倒的だが、そういう時は何となく甘えてもらえていると感じる気がする。

 とはいえ、これを千誠に言う事はできない。これじゃ自分達が恋人関係にあると白状するようなものである。違う事で何かないだろうか。


「悩むという事は、甘えられている事を自然に受け入れているのかもしれませんね。

 甘やかしたいという気持ちはひとまず置いておいて、まずは冷静に自分達の生活を見返す方が良いと思いますよ」

「……分かりました」

「そうしたら自分が思っているよりも頼られてるな、とかそういうのに気が付いたり、見逃していた相手の善し悪しを見つけたりするかもしれません。

 でも、それが二人で生活するという事の醍醐味ですから。良い事も悪い事も楽しんでください」


 後から同居生活を始めたくせに、千誠の方がベテランのように感じられる。やはり千誠は特別優れた人格者なのだと祥順は関心するのだった。

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