第15話 寛茂は二人の心配そっちのけ
「一緒に住む事にしました」
千誠は、突然おやつタイム中の二人に話しかけた。もちろん、その二人とは祥順と浩和の事である。祥順は思わず手に持っていたマフィンを落としそうになった。どうしてルームシェアになるのだ。良さそうだという気持ちだけでは決め手に欠ける――というか、納得がいかない。
「お試し一週間が大丈夫そうだったから、ですか?」
いち早く冷静さを取り戻した浩和が祥順の疑問を口にした。
「それ以上に、掴めそうだったから」
「え?」
「彼の成長のコツが掴めそうなんです。きっと、立派な営業にしてみせますよ」
そう宣言する千誠は、自信に満ちあふれていた。勝利を確信した王者の笑みであった。
寛茂の面倒を見てみようと言いだした時とは全く違う。一ヶ月で何とかできると言いながら、同時にやってみないと分からないとも言っていたが、結局一ヶ月後は改善し始めたところであった。あの千誠ですら、スタート時はそんな状況だったのである。
しかし、こう言うからには本当に自信があるのだろう。祥順は期待の目で見つめた。何度も同じ注意をする趣味はないし、それを楽しいとも思わない。ただ、時間がもったいないと思うだけである。
「まあ、楽しみにしていてください」
そう宣言して満足したのか、祥順と浩和の反応を待たずに去っていった。思わず二人は顔を見合わせる。
「……すごいな」
「……やる気満々ですね」
「ヒロのやつ、無事だと良いな」
「超絶スパルタだったりするかもしれません」
考える事は一緒だったらしい。小さく身震いして苦笑しあう。
「やつれてたらフォローしてやろう」
「……それくらいはしてあげても良いかもしれません」
甘やかしすぎたら千誠に怒られそうだが、あまりにもやる気のある姿を見てしまったからには寛茂を不憫にすら思ってしまう。
「ひとまずは、様子見だな」
「ええ」
ぬるくなったコーヒーをすすりながら、二人は寛茂の今後を心配するのだった。
千誠の家に帰ってきた寛茂は、とても浮ついていた。完全に浮かれてしまっていた。それも仕方がない事だろう。何せ、あの栗原千誠との同居生活が始まるのである。
一週間の仮生活を経て、千誠に「ルームシェアをしましょう」と提案された。寛茂にとって、それはもう人生で一番と言っても良いくらいの幸運だ。
会社の人間で彼をないがしろにする者はいない。むしろ全員から尊敬の眼差しを受けているのではないかという程の人物だ。それだけ彼が仕事のできる人間であり、人望が高いという事である。
生まれて初めて、仕事のミスが多くて良かったと思ってしまった。ついこの間大きな凡ミスをしでかした身からすれば、かなり不謹慎な考えであるのは否めない。
けど、あの栗原千誠だ。彼に見初められたんだ。見初められたって表現で合ってる? とにかく、彼から声をかけられたというのはすごい事だ。
料理をしている千誠の背中を見つめながら、寛茂はくふふ、と小さく笑みを漏らした。自分が特別な存在になったみたいで、とっても嬉しい。
「ヒロくん」
「はい!」
元気よく返事をすれば、千誠が嬉しそうに微笑んだ。
「うん。元気でよろしい。さっそくだけど、料理を手伝ってもらえるか?」
「分かりました! 何をしますか?」
「ジャガイモ剥き。カレーにするから」
洗ったジャガイモがいくつか置かれる。千誠は寛茂がジャガイモを剥いている間に米を研ぎ始めた。最近の炊飯器は速炊きでも割とふっくらするもんな。家事は得意だ。よく親に家事を手伝わされたから慣れている。
さくさくと皮を剥きながら、寛茂は千誠を観察した。かしゃかしゃと軽い音を立てながら、米が回っている。さっと水を切ってまた米を研ぐ。かなり手際が良い。寛茂は料理にそこそこ自信があるが、千誠はその上を行っている。
一体どうしたら万能な人間になるんだろう。寛茂には分かりそうもなかった。
「ジャガイモ綺麗に剥けてるね。とりあえず四等分で。それが終わったらニンジンを頼むよ」
炊飯器のスイッチを入れながら次のミッションを授かった。千誠の指示で動いて一緒に作る料理は好きだ。絶対に失敗しないから。
いや、別にわざととか、そういうわけじゃないけど、仕事ではよくヘマをする。それがトントンになるのではないかというレベルで失敗しない。というか超絶品になる。今から食べるのが楽しみだ。
千誠の手によって寛茂が帰ってくる直前に切られていたらしいタマネギが鍋で炒め始められ、そこに寛茂の切ったジャガイモが順次加わっていく。追加されるのがニンジンになると、トマト缶をリクエストされた。
「開けて待ってて」
「はい」
待ってる間、じっと千誠を見ていた。何て言うか、整っている。浩和のような爽やかイケメンというのとは違うし、最近穏やかになってきたクール系の祥順とも違う。どちらかといえば、男性的で落ち着いた雰囲気でまとめられてて。
そう、姉さんが好きな小説に出てきそうな騎士団長みたいな感じ。奥二重で、なのに割とぱっちりとした目。眉はいつも平行で動じない。百戦錬磨で、いつも余裕を感じさせる、物腰の柔らかい人。なのに、実際はとてつもない熱を内に含んでいる情熱家。
「ぼーっとしていない。トマト缶の中身全部鍋に入れて」
跳ねないように気をつけながらぼとぼととトマトを落とす。
トマトの青い香りが広がる。熱が加わって甘みが香り始める瞬間が好きだ。これからおいしくなりますよって言われてるみたいで。
「はぁ……好き」
「え?」
「この、おいしくなっていく匂い……俺大好きなんですよ」
「……あ、あぁ……そういう……ヒロくんは食いしん坊だな」
ははは、と笑う千誠に寛茂も笑う。仕事の時はほとんど穏やかな笑みを浮かべていて、笑っている姿なんて見た記憶がない。だから「何か俺、栗原さんの事めちゃくちゃ笑わせてるんじゃない?」という優越感に浸ってしまった。
「栗原さんって料理めちゃ上手じゃないですか。食べるの好きだから嬉しいです。もう、匂いからして最高!」
「ありがとう」
トマトを馴染ませ、鶏肉を投入するとぐつぐつと煮立ってくる。うわぁうまそう。
「じっと見ているのも良いけど、カレーのルーを用意してもらえると助かるな」
「します!」
少しの水を加えながら千誠に言われ、慌ててルーを探す。ルーは近くにあった。しかも、使う分だけパッケージの上に置いてある。
やるべき事が分かっているからこそ、先回りして準備できるのだな、と寛茂は尊敬の眼差しを千誠へと向けるのだった。
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