第14話 順調でご機嫌な上司様

「――という事で、一週間伊高くんが私の家に来ています」

「ええっ」


 休憩時間に誘われて洋食店へと足を運んだ祥順は、にこやかに話す千誠に驚いた。


「数日経ったところなのですが、彼、本当におもしろいです」

「いや、何でそうなったんですか!」


 意外にも千誠は祥順のつっこみに反応せず、そのまま話を勝手に進めていく。


「バランスが取れていないんです。生活力はあるし、気も利くんです。でも、どうしてもミスをしてしまう。私たちと、彼とは違う世界を見ているのではないかと思ってしまうくらい」

「はあ……」

「悪くはない。でも、ストーリー立てて、つまり物事の順番をしっかりと認識して動けないからうまく物事が進まない。点と点が繋がらないんです。だから、単発単発で、全く関連のないものならばできる。後は意外にも家事が上手……とても興味深いです」


 洋食店で頼んだのは、ハヤシライス。千誠はデミグラスソースのかかったオムライスである。どちらも洋食店ではおなじみのメニューである。千誠はデミグラスソースをすくってはオムレツ部分にかけ、すくってはかけ、食べるそぶりはない。

 そのオムライス、すごく美味しいのに。


「私はこの一週間で、可能な限り彼を理解したいと思っています。いや、理解ではなく、把握――と言った方が正しいかもしれません。

 私は職場での彼しか知りません。だから、誰も知らない普段の彼知りたいと思ったのです」


 千誠がこんなにも生き生きと、そして楽しそうに語り続けるのを見た事がない。彼には申し訳ないが、祥順は異常事態だと思った。


「料理はまだ、させてないのですが……試しに洗濯物を干してもらったらとても綺麗にやってくれたんです。きちんと広げて皺になりにくいように干していたんですよ。

 ついでにワイシャツのアイロン掛けもお願いしてみたら、これまた上手なんです」


 千誠の話は終わらない。終わる気配がない。祥順は仕方なくハヤシライスを相槌を打ちながら淡々と食べるしかなかった。


「ルームシェアの話を聞いてこの事を思いついたから、そのきっかけになったカジくんには話したかったんです。ふふ、少しはしゃいでしまいました」

「なるほど……」


 あの、冷静沈着な千誠もはしゃぐ事があるのか。いや、彼だってすばらしい上司ではあるが、同じ人間なのである。そういう事があっても不思議ではない。

 祥順は千誠の新しい面に、どんな感想を抱けば良いのか分からなかった。幻滅はしないが、意外すぎて何とも言えない気持ちになる。そんな複雑な気持ちを同居して一週間と少しの恋人に報告するのだった。


「まあ、栗原さんが楽しんでいるなら良いんじゃないか?」

「そ、そうだけど」


 浩和の感想はあっさりとしたものだった。


「俺としては、ヒロが変な事をしでかしてなくてほっとしてるくらいだしな」

「あー……確かに」


 仕事中の彼を考えれば、何か一騒動あっても不思議ではない。それが、楽しく生活できているとなれば、確かに安心である。


「ヒロの奴、栗原さんの事が大好きだからなー」

「えっ、そうなのかっ?」

「もう飼い主にベタぼれの駄犬みたいに」


 驚いてソファーから浮いた腰がすとんと落ちる。何だ、飼い主とペットか。確かにそうかもしれない。

 そうは思えど、千誠に可愛がられている祥順は何となく寛茂の気持ちが分かるような気がした。


「俺ですら、栗原さんの家に行った事ないのになぁ」

「おい」

「ちょっと羨ましい」

「おいっ」


 焼き餅だろうか。微笑ましい。


「憧れの人のオフとかを誰よりも先に見たい気持ち、ないのか?」

「……ないとは、言い切れない」

「だろう?」


 ふふん、と鼻で笑う。むっとしたのか、浩和の眉間に力が入る。

 浩和とは逆に祥順は口元を緩める。むっとした表情は好きである。

 こんな表情をしてくれるのは、自分が彼の中で特別な枠に収まっているからである。そう実感できるから。


「栗原さん、本当に楽しそうだった」

「俺たちだって楽しく過ごしてるだろ」

「まあね」

「ヒロが悔しがるくらいに楽しく過ごそう!」

 がばりと横から抱きついてきた浩和は、そのままぐりぐりと頭を押しつけてきた。

「はあ? 何それ??」


 戸惑いながら、両手で頭を遠ざける。首もとがちくちくするからであって、決して恥ずかしいとか、緊張するとか、そういうわけではない。

「あの二人が楽しく生活しているんだ。俺たちならもっと楽しく生活できるはずだ。何せ、恋人同士だしね」

 再び抱きしめてきた男に、祥順は仕方なく抱きしめ返してやる。あったかい。


「まずはあの二人が羨む生活をしよう」

「そう簡単にできるかな」

「できるさ」


 ぎゅっと抱きしめて左右に揺らされる。いや、そういうのは小っ恥ずかしい。

 何だか高校生のカップルがやるような、そんなスキンシップに赤面する。


「うー……」

「はは、もう既に絶対羨ましがられるぞ」


 恥ずかしいのを誤魔化すように祥順は両腕にぐぐっと力を込めた。密着すればするほど、互いの心音を感じる。

「ヒロに自慢してやりたくなるな」

「……するなよ」

「分かってるって」

 幸せそうな吐息が感じられた。祥順だって幸せである。ちょっと恥ずかしくて、正直になれないだけで。互いの熱を与えあい、心音を共有する。贅沢な時間であった。




 ここ数日の昼食は、千誠による新しい生活の報告の時間に変わった。タイミングが合えばそこに浩和も加わる。何だか変な感じがする。


「ヒロくんに、とうとう料理を頼んでしまいました」

「おお……」

「栗原さん、勇気ありますね」


 この時間はいったい何なのだろうか。新生活ののろけにも似た何か。寛茂がいつの間にか「伊高くん」から「ヒロくん」になっているし、気になる部分が多すぎる。

 寛茂が小学生の子供であれば、成長日記を聞かされている気持ちにでもなるのだろう。が、これは立派な青年男性の話である。そんな気持ちになれるはずがない。


「ヒロくんってば、包丁がちゃんと使えるんですよ。包丁さばきはなかなかのものでした。びっくりするでしょう?」

「驚きです」


 浩和が何ともないようにうまく相槌を打つ。子煩悩な親の子供自慢をしているようにしか見えない千誠は、嬉しそうである。彼にもこんな一面があったのか。

 実際彼は面倒見の良い先輩だしな、と半ば諦めた眼差しで祥順は寛茂の良いところを見つけて喜んでいる上司を見つめるのだった。

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