第12話 優しい上司の無駄な心配
浩和の工夫を凝らした夕食はすばらしかった。彼は材料さえあれば何でも作れる――そんな気さえする。それは祥順の勝手な想像だったが、あながち外れてはいないだろう。
今日の夕食は昨日祥順が作ったスープを利用した鶏肉のトマト煮、ビシソワーズ、アサリを使ったボンゴレビアンコ。つまみ代わりのテーブルパン。オリーブオイルに塩を振って食べるのも、バターをつけても、どちらでもおいしい。
スライスして生ハムとクリームチーズをトッピングすると、味にバリエーションが増えて更に良い。
月曜日からこんなメニューで良いのかと思えるほどに豪華なそれらは、全て浩和の手作りである。
パンまで手作りだとは信じられない。ホテルの料理に添えられる事の多いテーブルパンだと言われたら納得してしまうクオリティだった。この手ごねパンは浩和曰く、比較的簡単に作れるらしい。だが、祥順はそう思わなかった。とは言え、休日になったら教えてもらう予定である。楽しみだ。
「ワイン、おかわりする?」
「ああ、ありがとう」
今日はイタリアの白ワインでさっぱりとしたアルコールを楽しんでいる。辛口で香りの高いものを選んでくれたらしい。どの料理にも負けず、口の中をさっぱりとさせてくれる。
一緒に住んだらエンゲル係数が上がりそうだな、という現実的な感想が浮かんできたが、これだけおいしいのなら外食よりは良いだろう。もしかしたら、今までは二人で食事する為に、平日夜とかにはわざわざ外食していたわけなのだから、結局のところは今までと変わらないかもしれない。むしろ減るかもしれない。
それにしても、浩和が通っていた料理教室とやらは、よほど高度な技術を教えてくれたのだろう。凝った料理を作ってもその本人がけろっとしていられるくらいなのである。
祥順が料理の難易度を聞くと、だいたいの返事は「そんなに難しい料理じゃないよ」だったり「見た目の割には、結構簡単なんだ」だったりする。
それを教えてもらうと、確かにやっている事一つ一つは単純なのだが、全てを自分一人で完結させるとなるとかなりの工程になるのである。
「うなってるけど、どうした?」
目の前にいる恋人が不思議そうに見つめてくるが、祥順の方こそ聞きたいくらいだった。だって同じ人間として悔しいだろう。経験値の差だとは分かっていても、祥順が作ったのはただの野菜スープ。
相手が作ったのは、その残り物を大いに活用して作ったフルコース張りの料理。
差がありすぎである。
「いや、簡単そうにいつも言うけど、この料理ぜったい手間だろう」
「そんな事はないけど……」
ビシソワーズとか、もう聞いただけで手間がかかっている感じがする。ポタージュを作る時点で気が遠くなりそうである。
「鶏肉のトマト煮はカジくんが作ってくれた野菜スープにトマト缶を追加して煮込んだだけだし、ビシソワーズは電子レンジとブレンダーを駆使したら割と簡単に作れるし。
ボンゴレビアンコは普通のパスタと同じくらいの手間だし、パンは色んな事の合間にちょこちょこっとやってたら完成するしね。
手間のかかる食べ物って言ったら、クロワッサンとかがあるよ。今度作ってみようか」
――負けた。
何だかよく分からないが、負けた気分になった。浩和がすらすらと答えて見せたいかに簡単な料理なのか、という話は恐らく事細やかな注意事項が隠れているのだろう。
その注意事項は彼の中では祥順が経理の仕事をする時のように、前提条件、あるいはルール付けされたものとして料理の中に勝手に組み込まれていく。
「俺にも作れるか?」
「もちろん」
「パンだけじゃなくて他のも教えてくれ」
「了解」
そう言った浩和は、心なしか嬉しそうに見えた。悔しいが、そういうところも含めて完敗である。祥順にとって、浩和は一歩前を進んでいく人間である。いつか、真横について一緒に歩けるようになりたい。
そう、改めて強く思うのであった。
「ルームシェアはどうですか?」
その声は突然降ってきた。見上げれば、いつもと変わらぬ上司がいる。その穏やかそうな相貌には、少しだけ好奇心が覗いていた。
「ふふ、おやつ、私のところでどうですか?」
珍しいお誘いである。祥順はその珍しさもあり、静かに頷いたのだった。
千誠の用意した菓子は、ドーナツだった。それも、手作りドーナツでちょっとした有名な店のオールドファッションである。確か、その店ではドーナツだけではなく、ハンバーガーも取り扱っていたような気がする。
材料、作り方にこだわりのあるその店は気になっていたが店舗数が少ない事、営業時間との兼ね合いもあってまだ行った事がなかった。
「さて」
途中で手に入れたコーヒーを片手に彼がそっと口を開いた。
「タキくんとカジくんが、ルームシェアをすると聞いて驚きましたよ。そんなに仲が良かったなんて、とは思いませんでしたが」
それはそうだろう。ほとんど毎日のようにおやつ休憩をしていたのだ。誰もが仲の良い二人だと知っているはずである。
「それで、少しだけ心配していたんですよ」
「え?」
「タイミングが重なってしまったから」
「ああ……」
祥順は納得した。
引っ越しをすると、住所が変わる。つまり、住所変更をしなければならない。事前に住所変更をする予定を総務に伝えなければならない上、手続きをする為に半休を取るしかない。そうして引っ越しする日というものは大体総務の人間や上司には知られてしまうものである。
その住所変更予定日の直前に、浩和の休日出勤が決まる。それは心配にもなるだろう。
「特別、二人には普段から頑張ってもらっているし、何か手伝える事でもあればと思ったんですよ。あとは、ちょっとした好奇心です。
見知った友人、それも会社の同僚とのルームシェアってどんなものなのかと言う……ね」
心配半分、好奇心半分、というのを隠そうともせずに話す千誠は、どことなく楽しそうだった。
「ルームシェアと言っても、そんなに変わったイメージはないですよ。私と滝川さんはよく週末を一緒に過ごすので、それが毎日になっただけですね」
「なるほど」
「それに滝川さんがとてもよく気が利くので、むしろ日常生活は助かっています」
千誠が微妙に変な顔をしたのを祥順は見逃した。
「……日常生活が豊かになるのは良い事です」
「はい」
彼は意味深にそう言ってコーヒーを口に含んだのだった。
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