第9話 無事に出来上がった晩餐

 道具の片付けが終わると、セットしていたタイマーには余裕があった。が、祥順は蓋を開けた。弱火にしてあったものの、焦げたりしていないか不安だったのである。

 スープはどうだか分からないが、少なくとも祥順はシチューを焦がした事がある。あれは小麦粉が入っているから焦げただけなのだろうか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。そういう細かいところは詳しくない。


 恐らく浩和に聞けば教えてくれるだろう。しかし、何となく恥ずかしくて聞けないでいる。

 数字を扱う部署にいて希にサーバ等の不具合対応をしたりするが、祥順は完全に文系である。料理は科学だと言われたりするし、もしかしたら焦げる焦げないの件については理系の人間にならば簡単に分かる問題なのかもしれない。


 ――とりあえず焦げてはいなかった。


 料理は緊張する。すぐに失敗が頭に浮かぶし、その都度そうなっていやしないかと確認したくなってしまう。まだ作った事はないが、米を炊きながら作るものなどは一度開けるだけで台無しというものもあるらしい。

 そういう料理はきっと浩和が一緒にいてくれなければ永遠に完成しないと思う。

 とにかく今はこのスープを完成させるのが最優先である。まずは味見。ほんのりと塩気、コンソメとソーセージの香り、野菜の風味。祥順が一人で作ったにしては上々なのではないだろうか。

 祥順はひとりほくほくとした表情で頷くと、米を研ぎ始めるのだった。


 準備が整った祥順は、帰宅の連絡がくるまでゆっくりと荷物の片付けを続けた。収納棚が必要そうなものは、段ボールにしまい直す。棚は後日買えば良いだろう。もしかしたら浩和の家から持ってきたものでなにか譲ってもらえるかもしれないし。

 さすがに勝手に使うほど図々しい性格はしていない。

 不要だと思って持ってこなかったが、本類を入れるラックくらいは持ってきた方が良かったか。……まあ、何とかなるだろう。

 そんな事を考えながら、適当に本を平積みにした。

 食器類は後で並べ替えし直せば良い。ひとまず自分の持ち込み分は収納してしまう。

 祥順はそこまでしてから、ようやくメールが届いている事に気が付いた。


{多分十時くらいには帰れると思う}

 連絡が届いていたのは三十分ほど前だった。

{夕飯はこっちで食べられる?}

 もしかしたら飛行機の中かもしれないと思いながら、返事を送る。


{寄り道しなければ、もう少し早く帰れるよ。

 もしかして夕食作ってくれたの? なんて期待してしまうんだけど}


 すぐに返事が来た。このやりとり、すごく恋人っぽい。何だかむず痒い気持ちになる。


{期待するほどじゃないけど、俺なりに料理してみた。

 早く帰ってゆっくりしよう}

{うわ、楽しみだ。早く帰るよ!

 じゃあ、もう搭乗だからまた後で}

{気をつけて}


 そっか。自分は本当に浩和と恋人になって、今日から一緒に住むんだ。引っ越す事ばかりに気持ちが行っていてつき合っているという実感があまりなかったのに気が付いた。

 浩和が帰ってくるのが待ち遠しかった。




「ただいま」

「おかえり。お疲れさま」


 九時半頃。宣言通り、浩和は最初の予定より早く帰ってきた。


「カジくんも引っ越しありがとう。これ、お土産」


 浩和が渡してきた袋の中にはカステラのパッケージ。確か老舗のカステラ屋だったはず。


「わ。ありがとう。食後のデザートだな」


 浩和の選んだ食べ物に、はずれは滅多にない。それに、祥順にも何となく分かるくらいには有名だと思われる店のものである。嬉しいやら楽しみやら、複雑な気持ちであった。

 温めていたスープをよそる。ご飯を盛れば、夕食の準備は完了である。スープにご飯だけとは味気ない気もするが、祥順の今の実力ではこれが限界であった。

 それに、今日は時間も遅い。たくさん食べても、というところである。


「今日は遅いから少しだけ」


 ネクタイをはずして少しばかりラフな姿になった浩和へと告げれば、彼はにこやかに笑った。


「初日にカジくんが作ってくれたご飯なんて、量は関係なくご褒美でしかないよ」

「そんな事言ったところで、味は変わらないぞ……」


 今日は何だか浩和の発言が甘ったるい。


「さっそく食べて良いかな」

「もちろん」


 祥順がそう言うなり、浩和は「いただきます」と言ってスプーンを入れた。大きな一口にポトフっぽいスープがどんどん吸い込まれていく。

 浩和が頬を膨らませて咀嚼する様子をじっと見つめた。

 見ているだけで清々しい食べっぷりに嬉しくなる。


「うん。おいしいよ。でも見つめられてるとちょっと恥ずかしいよ」

「ごめん。ちょっと出来が不安だったから」

「いや、本当においしいよ。これ凄く煮込んだだろ。大変だったんじゃないか?」

「えっと、結果的に煮込んだというか……」


 祥順は視線を逸らした。

 仕上がりが不安だったから、早めに仕込んだだけである。気合いが入っていないと言えば嘘になる。かなり早い時間から始め、普通よりも時間をかけて食材を切り、その結果として早くスープの仕込みに入れたというわけだった。

 自分も食べてみる。煮込み続けた玉葱はとろとろ、人参とジャガイモはやわらかほくほく。ウインナーは切らずに入れたから皮の食感が残っている。ぷりぷりとした歯ごたえが柔らかな野菜達とは真逆で楽しませてくれる。

 祥順は自分が作ったにしては上出来なのではないだろうか。


「思ったより上手く作れてほっとしてる」

「はは、俺と一緒に料理していたくせに何言ってるんだ」


 浩和の爽やかな笑みがとろけそうな笑みに変わった。うわあ、何かそういう表情が恥ずかしい。祥順は思わず無表情になった。


「……照れてる?」


 ぼっと顔が熱くなる。

「悪いか」

「いや、可愛いなって。前はそういう事、言えなかったから」

 何なんだ、このイケメンは。祥順は浩和を睨みつけたが、浩和はむしろ嬉しそうに笑うのだった。

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