第4話 浩和と英俊

「新しい企画ってどういうものなんですか?」

 祥順は首を傾げた。浩和はディスプレイの角度を祥順の見やすいように変える。

「社内で営業同士を競争させる企画だよ」

「へぇ」

 画面にはマッピングが表示されていた。マインドマッピングのようなもので、様々な単語が枝を伸ばして繋がっている。


「彼がこのマッピングをしたんだ」

「連想ゲームとかなら得意そうですね」

 連想ゲームと言われてしまえば分かる気がした。浩和は今後寛茂に考えさせたりする時には利用しようと心に決める。祥順は熱心な様子でディスプレイを見ていた。一見乱雑に分布しているそれらは、思いの外しっかりとまとまっている。

 これを分かりやすく整理しようと浩和は考えていたのである。ぱっと見で分からなければ会議の前に行われるチームミーティングでは使えない。

 一対一で説明する機会を与えられる企画書は何とか上を通過したものの、これをチームミーティングに使うには厳しいものがあった。


 資料は簡潔で分かりやすいもの。これが鉄則である。日本語の使い方や書類形式の正しさは最低限で、人へ理解を求めるならば分かりやすくなければならない。

「マッピングはイメージとしてみんなに見てもらおうと思ってる。

 だから、資料に使う為にマッピングを少し整えて、その内容をまとめた箇条書きに添えようと考えているんだ」

「なるほど」


 浩和の手によって書類のベースが完成していた。それには箇条書きと図を入れる空間がある。文書作成ソフトで作られている資料は、浩和の几帳面さがしっかりと出ていた。

 完成まではもう少しかかりそうだが、それでもこの資料が配布される時はとても分かりやすい資料になるだろう。祥順はこれ以上邪魔にならないように、という配慮か、早々に話を切り上げてデスクへ戻っていった。


 集中して作業を続けていると、少しずつ人が増えてきた。フレックスの人間以外の社員が続々と出社し始めたのだ。ざわつき始めた空間で、ディスプレイを見つめて淡々と作業を行う彼に挨拶をする者はいなかった。

 朝礼の直前になって、ようやく周りから挨拶される。

「おはよう」

「よっ精が出るな」

「準備をしっかりとした状態でミーティングがしたいからね」

「あー、まあ今度の企画を提案した営業はヒロだもんなー」

 長身の英俊ひでとしが上から覗き込んできた。浩和の上に大きな影が落ちる。マリン系の香水が浩和の鼻孔をくすぐった。爽やかでほんの少しだけ甘い香りが彼の持つワイルドさを和らげている。


「ヒロコンビ、頑張れよ。

 あいつをシバくなら代わりにやってやらぁ」

「さすがにそれはやばい」

「はっはは」


 姿勢を戻して浩和の背中をばんっと叩き、隣の席に座る。そんな時携帯端末がメールの着信を告げた。紗彩だった。ちらりとそれを確認しただけで、浩和は視線を戻す。今メールを読む気はなかった。

「あれ? さーやじゃん。見ないの?

 別れてからもそうやってやり取りできるなんてすげぇよな」

 画面に少しの間表示されるメールの送信者名だけしか確認せず、端末を手に取ろうとすらしない浩和に興味を持ったのだろう。

 茶化すような、どこか羨望を含んでいるような声色を出しながら肩を寄せてきた。

「昨日彼女と飲んでたし、その件だと思う。絶対急用じゃないから後で確認するよ」

 英俊が何か言おうとしたが朝礼が始まった為、彼は口を開いただけで声が出る事はなかった。




 昼休みに入った途端、英俊が浩和の肩を抱いてきた。気になっていて仕方ない事を質問する時の癖である。彼がホールドしてしまえば、相手は逃げられないという簡単な理由だと笑っていたのを思い出す。

 朝礼前の出来事だな、と浩和は察して苦笑した。


「はいはい、それは昼でも食べながら話すよ」

「物分かりがいい男は嫌いじゃないぜ」


 頷いた彼は確かめるように肩を軽く叩いて立ち上がった。最近は何人かの上司がこのフロアをうろついている。丁度、一人やってきていた。昼に出る事を告げながら会釈してコートを羽織る。

 フロアを巡回しているのはこの季節だけだ。もうすぐバレンタインという時期もあり、旧体制を引きずっている一部の男性上司はやたら女性陣に媚びを売っているのである。


 もらえるものは受け取っておく精神のある女性が多いせいか、彼らの行動が非難されているという話は聞いた事がない。半ば風物詩となっている。

 ランチタイムに差し入れをしたり、残業中の女性陣への差し入れをしたりといった、バレンタインのお菓子──という名の、家族へのできる社会人アピール品──を受け取る為の涙ぐましい努力である。

 浩和からすれば、そんな事をしなくてもまともな上司なら義理チョコを受け取る事が十分可能だろうとも思う。だが、そういった贈り物を省く人間が増えてきている現在、習慣づいてしまっている人間は少しでも受け取れる確率を増やそうと必死なのだろう。


 今日もそんな光景がちらほらと見受けられる中、浩和は英俊と一緒に会社を出た。二人ともコートを羽織っていたが、やはり寒い。近場で済まそうと頷きあって、近くのチェーン店に入る。

 和風定食を扱っているこの店は、健康に気を使う浩和がよく寄る店の一つであった。

「何でさーやと夜に飯食ってんだよ」

 焼き鯖定食を頼んだ英俊は味噌汁へと手を伸ばしながら口を開いた。いつも直球だなと思いながらも浩和は答える。


「誘われたら食べるだろ?」

「かーっ!

 いい男は言う事違うねぇ!」


 やや古くさい反応を示し、わざとらしく下世話な視線をよこした彼に、浩和は溜息を吐いた。

 祥順だったらこんな反応はしないだろう。むしろ少しだけ心配そうな視線をし、できる限りの笑みを作って「久々に会ったんですよね。楽しかったですか?」とか言いそうだ。

「勘違いするなよ、ただ食事しただけだ。

 紗彩の恋人も一緒だったんだし、何もやましい事はない」

 きっぱりと英俊の揶揄じみた言葉に蓋をした。もちろん英俊の方だって本気だったわけではないだろう。その証拠に彼は笑っていた。

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