第5話 ミーティングと旅費精算と寛茂流の挨拶

「だろうよ。しっかし、元恋人と現恋人って組み合わせで、よく会えるな。

 俺なら絶対無理」

「はは、紗彩とはある意味家族みたいなもんだから。

 恋人とか夫婦とか、そういう形は一生取らないだろうっていうだけだ」


 浩和は焼き鮭に箸を運ぶ。浩和の選んだのは焼き鮭定食だった。向かい側の席に座っている英俊の皿からはどんどんと料理が減っていく。どう見ても浩和よりも減っていくスピードが速い。

「どんな関係でも血の繋がっていない人間と一生の関係だと言えるのがすげぇ」


 がつがつと食べている割に、食べ方は綺麗だ。英俊は意外に器用だと、浩和は彼と一緒に食事をする時はいつも感心してしまう。育ちが良いのだろう。

 そんな彼からの言葉に浩和は笑う。

「ありがとう」

「素直に礼言ってんじゃねぇよ。ったく。

 俺もそういう相手が欲しいぜ」

 ここ数年、彼から長く続いている相手がいるという話を聞いた事のない浩和は、英俊のぼやき声は聞かなかった事にしたのだった。




 春先に始まる予定の英俊がメインになって進んでいる企画のミーティングがあり、そこで本会議に向けて最後の詰めが行われた。その次に控えているのがヒロコンビ企画――もとい、寛茂の発案に浩和がサポートとして巻き込まれただけ――のミーティングだ。

 午前中に資料をとりまとめ終えていた浩和は、ミーティング開始直前に現れた寛茂と打ち合わせをする。


 気合いの入った表情は頼もしさすらにじみ出しているが、実際口を開けばつっこみどころが多い。発案者が寛茂であるからには、このミーティングのメインも彼でなければならない。浩和はその裏方なのだ。

 何があってもサポートできるように、とは考えているが、実際に何が起きるかは予測がつかないのも寛茂である。社内企画という事もあり、今回は彼の事をよく知るメンバーしかいない。

 何とかなるだろうと浩和は楽観的に考える事にした。


 多少説明がおぼつかなくとも、それを補えるだけの資料を作ったのだ。浩和が抜けている点があれば、このミーティングでみんなが指摘してくれるだろう。

 案の定、主観的に見続けている寛茂や流れを理解している浩和には問題ないように感じても、情報を一から説明される側には意図が通じていなかったり、浩和達にとって想定外な問題点が浮き上がってきたりと、改善点がいくつも出てくる事となった。

 指摘されてみれば、何で気がつかなかったのかと不思議に思うものまであった。二人はそれを真摯に受け止め、改善点をミーティング中に話し合ったのだった。


「滝川さん、ありがとうございました」

「いや、コレを煮詰めて本会議に通さないといけないからまだまだこれからだよ」

 ミーティングが終了するなり、数歩の距離を詰め寄るようにして近づいてきた寛茂が頭を下げた。感謝されるにはまだ早い。浩和は笑いながら寛茂の肩を叩いた。

 ミーティング中に出てきたアイディアや修正点を反映させた修正資料を作らなければならない。浩和は寛茂に一点一点説明しながら資料を改めるように指示した。

「仕上がったら持ってきて。推敲は俺も一緒にやるから」

「はい!」


 威勢の良い声で返事をすると、寛茂はしっかりとした足取りでミーティングスペースを出ていった。一人きりになった浩和は、結局昼休み中にも確認し忘れてしまった紗彩のメールを思い出した。

 メールを開いてみれば昨日のお礼や、遅い時間になったけどちゃんと帰れたかといった浩和を案じる様子、明寧は浩和から見てどうだったかという疑問が並べ立ててあった。全てに一つずつ返事をするのも面倒だ。

 浩和は仕事が終わった頃にでも電話をかけようと頭の片隅にメモを残した。


 終業時間まで、あと一時間半。休憩を挟んで二連続のミーティングは、思ったよりも時間を費やしてしまっていた。時間を確認した浩和は天井を見た。特に何の変哲もない白いカンバスを見つめたまま予定を組み直す。

 寛茂がミーティング内容を反映させた資料を持ってくるのは明日になるだろう。業務メールの確認と旅費精算の準備、他に残っているはずの細々としたタスクをこなすだけで時間になる計算だった。


 デスクに戻ろうと視線を戻すと、ちょうど目の前に祥順の姿が現れた。

「あ、滝川さん! お疲れさまです」

「お疲れさまです。どうしました?」


 数センチほどの分厚さのある書類を抱えた祥順は、ミーティングスペース内に他の人間がいないかを確認している。

「伊高さんを探していまして……。

 彼の旅費精算が、まあ、例のごとくで」

「ああ。なるほど。でもミーティングはさっき終わったところだからもうデスクに戻っているはずだよ」

 祥順は残念そうに肩を落とした。


「重要なミーティングがあるから、旅費精算も気合いを入れました! って言って提出されたんですよ。

 でも、その、ご想像の通りだったものですから……ミーティング後、一緒に旅費精算所を作ろうと思ったんです」


 一足遅かったか、と溜息をつく祥順の肩に浩和が手をかける。そのまま向きを反対に変え、一緒にミーティングスペースを出る。ミーティングスペースの入り口に祥順を置いて、近くにあるデスクの受話器を上げて内線番号を押した。

 数回と鳴らぬ内に元気な声が聞こえてきた。

「ああ、ヒロ。デスクに戻ったところで悪いんだが、筆記用具と計算機、ノートPCを持ってミーティングスペースに来てくれ」

「分かりました、すぐ行きます!」


 少し慌てた様子で電話が切られた。浩和は祥順へ笑みを送った。彼はきょとんとしてから、寛茂を呼んでくれたのだと察して小さく頭を下げる。頭を上げた彼の口角はきゅっと上がっていた。

「すぐ来るってさ。ミーティングスペースに座って待とう」

「すみません」

「良いんだ。今、彼は俺の相棒みたいなもんだから」

 祥順を席に座らせると浩和はミーティングスペースから出ていき、同じフロアにある自分のデスクから必要なものを持ち込んだ。


「俺も旅費精算をやろうと思ってたから、丁度良いね」

「気を使わせてしまってすみません」


 浩和が自分の作業場を作り終える頃、寛茂が戻ってきた。ミーティングスペース内に頭だけを入れ、浩和だけではなく祥順までいると気がついた途端に顔色が変わった。

「あっ! ごめんなさい!」

 思わず浩和は祥順の顔を見る。彼は苦笑して答えた。

「いつもなんです……」

 祥順を含む総務部の人間に対する寛茂流の挨拶であった。

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