第2話 浩和と紗彩の新しい関係

「ふぅん、楽しそうね」

「よくよく考えてみれば、コンスタントに月数回飲みに行く友人は初めてだよ。

 気が合うんだろうなぁ」

 紗彩はワイングラスを揺らしながら浩和を見つめていた。彼はつまみに頼んだチーズの盛り合わせからブルーチーズを取ろうとしていた。


「きっと紗彩もカジくんの事、気に入るよ」

「……気に入っていいの?」

 彼女は軽く頭を傾け、不思議そうに問う。浩和の方は眉尻を下げて笑いだした。紗彩の予想とは異なる反応に、目を丸くする。

「あっ、もちろん手は出しちゃ駄目だよ。

 確かにカジくんは可愛いけど、紗彩には大事な人がいるんだろ?

 君もフリーだったらまぁ……多分問題ないけど……さ」


 自分の知っている浩和は、こんなに笑い上戸だっただろうか。紗彩は心の中で首を傾げた。約半年で、ずいぶんと変わったようだ。少しだけ物足りない──いや物寂しい感覚が彼女を襲う。

 半年離れていただけだが、こうして面と面を合わせてみれば、長い間一緒に生活をしていた半身を取り戻したような気持ちになってくる。だからこそ、知り尽くしていたはずの相手の見知らぬ一面を発見すればするほど、もう自分と繋がっていた人間とは別の存在なのだと思い知らされる。

 未練とか、そういう事ではない。ただ長年連れ添った相手も、たった半年で見知らぬ他人になってしまうのだという寂しさを覚えただけである。そう紗彩は結論付けた。


「手なんて出さないわよー」


 そう言ってグラスを空ければ、浩和がボトルを手にして待っていた。前からこういう所は変わっていないな、と、変わらぬ点を見つけてどこかほっとする自分がいた。

 紗彩は今感じている思いが寂しいだけではなく、懐かしいという感覚もあるのだと気付き、甘く懐古しそうになる気持ちを封じようとした。

 目を細めて笑いながらグラスを差し出すと、浩和がとぽとぽと音を立てながらワインを注ぐ。これは、去年のクリスマスに訪れていたかもしれない“未来”の再現だ。紗彩はふふ、と笑いをこぼした。


「変わらないな」

「変わらないね」


 ふと、浩和が柔らかな笑みに変わる。それは何年も前に、紗彩が見た事のある笑みだった。何があった時だっただろうか。紗彩は記憶をまさぐった。そして思い出す。

 あれは、一緒に暮らそうと浩和に言われた時だ。

「お互いが一番ではなくなったけど、何年も一緒に生活していたんだ。

 俺にとって、紗彩は家族みたいな感じだよ。

 だから、女性だけの生活で男手が必要になったり、困った事があったりしたら声をかけて。

 出来る限り力になるからさ」


 あの時もそうだった。心の隙間にストンと彼の言葉が落ちてくる。ふとした瞬間、こうして甘い言葉を吐くのだ。

 紗彩は細かく瞬きを繰り返した。その瞳にはゆっくりと水分が集まってくる。過去の愛しい記憶がリフレインする。

 私は、こんないい男を振ったのだ。待ち続ける事ができなかったから。俯きがちになる顔に反し、視線を浩和へと向ける。彼は微笑んでいた。

「困ったらすぐ呼ばせてもらおうかな……。

 絶対来てよね?」

「もちろん。人手が足りないっていうならカジくんも呼ぶよ」

「やぁだ、そこは勝手に決めちゃだめよ」

 浩和は関係ない人間の名前を出す事で茶化し、紗彩の瞳に集まり始めていた水分を止めた。彼は優しい人だ。

 紗彩の今までの人生の中で、一番すてきな男性だった。




「お楽しみ中失礼」

「あ」


 紗彩と浩和はほぼ同時に頭を上げた。二人の視線の先には、モデルのようにすらりとした体躯の女性がいた。彼女はアーモンド型の瞳にショートカットの黒髪で、中性的な雰囲気を持っている。

 営業に回っている関係で、かっちりとしたパンツスーツスタイルだ。フェミニンな雰囲気を持つ紗彩とはまるで正反対だった。

「そろそろお開きの時間かと思って来たんだけど、まだちょっと早かったね。

 初めまして、私が紗彩のパートナーです」

 浩和はすっと立ち上がり、店員に彼女用の席を用意させた。彼女の分のグラスにワインを注ぎ、追加でトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼを頼む。


 熟れた立ち回り方に彼女は笑みを深めて頷いた。

「へぇ、確かにスパダリ系ね。

 私は橘明寧たちばなあかね

「そう言われるほどできた人間じゃないよ。

 初めまして、滝川浩和です」

 二人は挨拶代わりにグラスを傾け合った。一瞬、何ともいえない雰囲気が横切る。だが、それも気のせいであったかのように会話が進んでいく。

「紗彩のセンスが良いね」

「そう言うあなたこそ。紗彩はすばらしい人間だ。

 元恋人の俺が言うんだから間違いない」

「ちょっとぉ……」


 困ったように割り込む紗彩を見ながら、明寧はトマトを口に入れた。咀嚼しながら下がってきた前髪をかき上げる彼女の視線は、まだ紗彩をとらえている。紗彩はそこで浩和と明寧の違いに気づく。紗彩は相手を褒めるように見せかけて自分の恋人を自慢した。

 それに対し、浩和は紗彩の人柄を褒めながら自分が振られたという立場を明確にする事で、明寧を自分よりも格上だと伝えたのだ。

 自分は一線引いた存在だから警戒しなくても良い。そういったアピールをしたいという意図も見える。更に、あえて“女性”や“元彼”とは言わずに“人間”や“元恋人”と言う事で、差別的思考を持たないと主張する。二人の関係に対して否定的ではない、むしろ理解しているのだという事を示したわけである。


 どこまでも浩和は物事を客観的に捉える男だ。紗彩は感心した。

 自分の立ち位置を把握し、それに見合った動きをする。そうすれば公平にも見えるし、誠実さを相手に感じさせるだろう。信頼感を得るのにも一役買っている。

 その一方で、常に一歩引いた見方をするからこそ、贔屓をしないからこそ、彼自身が淡白に見えてしまう事もある。


 明寧はその逆で、ひたすら相手を愛でるタイプだ。贔屓して当然と言い放っているかのような言動も多い。事実、紗彩が惹かれたのもそこにある。根負けしたと言っても良いほど、当時はアピールされていた記憶が残っている。

 そう考えれば、紗彩が求め、物足りなく感じていたのは、浩和の公平さに独占欲が抑え込まれてしまったからだったのだと分かる。


 久々の食事は、紗彩に浩和との過去の清算と、そこから新しい関係を始める良い機会となったのだった。

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