さーやの恋人
第1話 紗彩とご飯
思いがけない人物からのメールに
{久しぶり!
年末に元気そうな姿を見かけたけど、あれからどうしてるのかなって気になって。
お互いの近況報告がてらにご飯食べない?}
{本当に久しぶり。
もう半年か。あっという間だったなぁ……
君の恋人がOKしてくれるなら、俺の方はかまわないよ}
普通の友人とのやり取りと寸分違わぬ内容に、浩和は苦笑する。
{大丈夫。
浩和君は信頼度高いから}
浩和は溜息を吐いた。信頼度が高いとは、微妙な言葉である。確かに、未練はもうないし、普通に接する事ができる自信もある。
それでも、元恋人だ。男女の仲にはならないと言い切られてしまうと、自分の男としての魅力を全否定されたような気になる。
彼女の言葉をありがたいものだと自分に何度も言い聞かせ、浩和は会社を後にした。
「あ、きたきた!」
「よ」
紗彩は相変わらず可愛らしかった。だが、彼女を目の前にして冷静さが失われていくという感覚はなく、ただ懐かしいという気持ちだけが浩和の心を満たす。
紗彩の髪色はアッシュから少しだけ紅茶のような、赤みを帯びたブラウンに変わっていた。前からかけていたパーマはそのまま同じウェーブを描いている。前よりも少しだけ雰囲気が丸くなった気がした。
「相変わらずかっこいいね」
「紗彩の方こそ、周りが放っておかないだろ」
「そーなの、困っちゃう」
うふふ、と笑う紗彩は前よりも生き生きして見えた。別れて正解だったな、と浩和は笑う。自分では彼女の魅力を引き出せなかったのだ。恋人同士だった頃の紗彩より、今の紗彩の方が魅力的だった。よほど今の恋人は彼女とうまくやっているのだろう。
「ずっとクリスマスの時から気になっちゃってたんだけど、年あけてすぐだと忙しいかなと我慢してたのよ」
「はは、君に声をかけられたらいつでも行くよ。
大事な友人だからね」
「わぁーお」
紗彩はくふ、と笑った。彼女は嬉しいと、歯をきゅっと合わせながら小さく笑う。相変わらずだった。
「でさ、クリスマスの時の彼は誰?」
「え?」
きらきらと好奇心で染まった紗彩の瞳が浩和を射る。聞かれてはいけない事ではない。だけど、聞かれる理由もよく分からない。
「同僚だけど」
「ただの同僚を、私と別れちゃったからってあんな高級レストランに誘う?」
「紗彩がきっかけで仲良くなった人だから、ちょうど良かったんだ」
「ふぅん」
紗彩は運ばれてきた生ハムのサラダを口に運んだ。今夜は紗彩の雰囲気に合わせてこじゃれたイタリアン料理の店を選んでいた。
「俺がちょっとだけ落ち込んでたら、慰めてくれてさ。
おかげさまですぐに吹っ切れたよ」
「落ち込んだんだ」
「去年の、同僚と入ったレストランでプロポーズしようとしてたくらいだから、俺だって落ち込むさ」
おいしそうにサラダを咀嚼していく紗彩をほほえましく見つめながら、浩和はワインを一口含む。
「……悪かったわね」
「いや、むしろ彼という人間を知る良い機会になったから、礼を言いたかったくらいだ。
気にしないで」
紗彩の前髪が揺れた。彼女は少し視線をさまよわせ、ワインを飲んだ。液体を流し込む為に喉が波打つ。以前であれば扇状的に感じたであろう彼女のそんな姿を見ても、古くからの友人を見ているような気持ちは変わらなかった。
「――別に、元々浮気ってほどじゃなかったのよ。
でもあなたに勘違いされて。あまりにも心に余裕がないっていう姿を見せられて、怖くなった」
「……」
紗彩がまっすぐに見つめる。浩和はそれを冷静に受け止めていた。動揺するどころか、彼女の思いを理解する機会を与えられて喜ばしいとさえ思っていた。
静かな水面のような瞳は、遠い昔を思い起こしているような雰囲気を持ち、その瞳に映り込む男は穏やかは表情をしていた。
「それで、あの人のところに逃げたわけなんだけど、すごく冷静に諭してくれて。
前々から冗談混じりに口説かれたりしてたから、よけいぐっときちゃったの」
「そうか」
紗彩は浮気なんてしていなかった。ただ単に友人として一緒に出かけたりしていただけだった。本気で言っているのは分かる。
信じたくなる主張であったが、浩和は紗彩の腕が彼の腕にしっかりと絡みついているのを目撃してしまっていた。それを確認しなければ、当時の自分があまりにも可哀想だった。
「腕を組んで出かけて、友人としてしか見ていなかったと言われても当時の俺だって納得いかないよ。
俺が勘違いしても仕方ないと思わないか?
あっ。別に、今更紗彩とよりを戻したいから聞いているわけじゃない。
ただの疑問だけど」
「え。あ。もしかして気づいてない……?」
パスタが運ばれてきた。浩和はボンゴレ・ビアンコにしていた。紗彩の反応が気になったものの、先に一口味わってしまってからにしようと口に含んだ。あさりの風味とニンニクの香りが一気に口の中に広がっていく。
塩加減もちょうど良く、パスタの食感もなかなかだ。つまり、おいしい。
「あの、浩和君は偏見とかないと信じるから言うけど。私の恋人、女性なんだよね。
だから、女友達としてお出かけしてたから、腕組む事だって普通だもん」
「ぐふっ」
浩和は想定外の発言に口を押さえた。危なく口の中のものが飛び出してしまうところだった。あの、自分の敗北を思い知らされるような凛々しい背中が、女性のものだったとは浩和には思いもつかなかった。
「男性だとずっと思っていた」
「クリスマスの日だって、私彼女と一緒にいたでしょ?
何で気づかないかなー」
「あ、あれはただの友人だとばかり……!」
口を尖らせて不満そうに言う紗彩だが、普通は相手が同性だとは思わないだろう。そう言い返せば、紗彩はサーモンとほうれん草のクリームパスタを口に運んでは不満そうな視線だけを浩和によこした。
「一般常識って言われている大多数の声に惑わされすぎよ」
「悪かったな……」
「良いのよ。それが“普通”なんだもの。
それに、あなたが勘違いしてくれたから今の私があるんだし。
ふふ……さっき浩和君が言った言葉と同じね。感謝してるわ」
紗彩はフォークで浩和を指し示して笑った。
「私、幸せよ。
浩和君は?」
「俺か……幸せだと思う。
毎日充実してるよ。君と別れてから親友もできたしね」
「本当に親友ー?」
身を乗り出した紗彩に、浩和は顎を引いた。どこか疑いを持っているような視線に、眉をひそめる。
「少なくとも俺は親友だと思ってる。年末年始も一緒に過ごしたよ」
「ええ?」
興味津々な彼女の様子に、浩和は自慢げに年末年始の出来事を語り始めたのだった。
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