第12話 おせち作り戦争十二月三十一日夜 ――決着――

 祥順と浩和は打ったそばを安全な場所へ移動し、仲良く片付けを始めた。そば粉があちこちに飛び散り、カウンターのあたりはひどい事になっている。ハンディタイプの掃除機を持ってきた浩和がその粉を吸っていくと、それだけでだいぶ良くなった。

 祥順はカウンターに置いてあった調味料のボトルやその他雑貨などに降りかかったそば粉を丁寧に拭っていく。長い間留守にしていた家のようにつもっていたそれを、濡らした布巾で拭いてから乾いた布巾で水気をとる。

 拭き残しがないように、念入りに隙間を拭いていく。二人とも真剣な様子で淡々と掃除をしていった。


 後始末を終え、祥順が重たい息を吐く。

「突っかかるほどの事じゃなかったのにすみませんでした」

「面白かったから良いよ。

 それに俺もちょっと偉そうな言い方してたし、ごめん」

 謝りあい、苦笑する。浩和はおもむろに長芋をシンクで洗い始めた。それを合図に祥順は水を張った鍋に火をつける。

 隣のコンロではかけ汁を温める為の片手鍋が置かれている。白だしと水、醤油などを混ぜ合わせて温め始めた。


「それにしても高校生かって展開だったなぁ。

 この年になってこんな粉まみれになるとは思ってなかったよ」

「本当ですよ。良い年した大人が二人して……ふふ」

「俺より年上だって、ちょっと信じられないよ」


 長芋を洗っていた水がばしゃばしゃと音を立てながら落ちていく。クッキングペーパーを取り出した祥順が長芋を受け取った。

「俺だって信じられませんよ、俺があなたより三つも年が上だなんて!

 いつも諭されて、アドバイスもしてもらって、自分が年上だという感じがしません」

 と祥順は楽しそうに笑う。浩和はそれに苦笑しながら下ろし金と小さめのボウルを用意した。


「俺、オフの時はほとんど敬語じゃないしね。

 年上を敬っていないんじゃなくて、カジくんを友人だと思っているからなんだけど」

 祥順は下ろし金の上に手にしていた長芋を置き、軽く前後に動かす。じょりじょりと芋が削れ始めると円を描くように動かしていく。


「言葉遣いっていう話なら、俺こそいつまでも敬語で。

 俺も滝川さんの事を友人だと思ってます。

 けど、なんだか敬語をやめる機会を失ったと言いますか……逃したと言いますか」

「今からそうすればいいよ」

「えっ」


 浩和の提案に祥順の手が止まる。芋をボウルごと祥順から奪って作業を再開する。

「俺は既にタメ語にしちゃってるし、敬語をやめるタイミング逃しただけなら今でも良いよね」

「ああ、いえ……今更敬語をやめるのは恥ずかしいです」

 口を尖らせながらぶつぶつと呟く祥順はかゆくなる前に、と手を洗っている。この後敬語がなくなるのかどうかを楽しみに思いながら、浩和は力を入れて長芋を摩り下ろしていく。

 浩和の持っている長芋が順調に小さくなっていくのを見た祥順は、既に沸騰していた鍋の中にそばをゆっくりと入れた。

 手打ちそばは生麺である為、茹で時間が短い上に、茹でている最中にぶちぶちとちぎれてしまう事もあり、難しい。祥順は腕時計を見ながら必死に秒読みしていた。


 祥順が作ったものと浩和が作ったものを混ぜないように、そばは別々に茹でる。それぞれ一分強で茹であがるはずだと浩和は計算しながらそばに添える為のとろろ作りを急いだ。

 そんな浩和の隣では、祥順が鍋の中をかき混ぜようかどうか迷って菜箸の先だけを湯につけていた。力の入れ具合でそばがちぎれてしまうっと聞いていた祥順は、鍋底に沈んでくっついてしまわないかと心配だったのである。三十秒程経った頃、覚悟を決めて祥順は菜箸を使ってそばを揺らした。


 少し揺らした祥順は息を吐いた。大丈夫だった、という安堵の息である。

「そろそろそばの様子見てみたら?」

「あ、はい」

 浩和の声かけに祥順は一本だけそばを口に運ぶ。ふぅふぅと息を吹きかけてから口に入れた彼はそばを穴の空いたお玉ですくい上げ、用意してあった小さなザルに移した。そして次のそばを鍋に入れる。

 浩和はそのそばを軽く水で洗い、中ぶりのどんぶりに分けた。そばに汁をかけ、更にその上からとろろをかける。


 後から茹でたそばも、同じようにとろろそばにする。中ぶりのどんぶり二つずつが彼らの年越しそば、という事だ。

「先に茹でたのが滝川さんの打ったそばです」

「了解」

 分からなくならないように浩和が用心深くテーブルへと運んでいく。その間に祥順は電気ケトルのスイッチを入れ、お茶の用意をする。すぐに湧いた湯をティーポットに注げばあっという間にほうじ茶のできあがりである。

 ポットごと持って行くと、湯飲みを用意して浩和が待っていた。


「すみません、どっちがどっちでしたっけ」

「カジくんから見て右が俺」

「ありがとう」

 浩和の言葉に頷いてどんぶりを覗き込む。とろろが乗ってしまっているからか、見た目はどちらも変わらない。

「一年、お疲れさまでした」

「仲良くなれて良かったよ」


 思い思いに言葉をかけ、笑い合う。こんな楽しい年末を過ごすのはいつぶりだろうか。祥順の頭の中ではそんな言葉が浮かんでいた。

 最初に口にするのは相手の作ったそば。そう取り決めた訳ではないが、二人ともはじめの一口に選んだのは自分が作ったそばではなかった。

「ん、おいしい」

「全然不揃いだとか感じない」

 祥順が「え」という表情で顔を上げると、浩和はにやにやと笑っていた。なかなか見る事のない珍しい表情だ。すうっと目が細められ、にやついた笑みから優しい笑みに変わる。


「茹で加減最高でおいしいよ」

「あ、ええ……よかった」


 理解不能な表情の変化と、突然の褒め言葉にリズムを崩される。どもりながらただ「よかった」とだけ言う祥順を見て満足そうに頷き、浩和は自分のそばを一口食べた。

「……確かにカジくんが言う通り、ちょっと細いかも。

 でも、茹で加減は抜群だからおいしいね」

 料理の事で褒められ続けるのは慣れていない。浩和から受け取るのは、そのだいたいが祥順へのダメ出しやアドバイスだったからである。

 祥順は精一杯、混乱している頭を使って浩和の麺を褒めた。


「お、思ったより細いような気はしないし、自然な太さかもしれません。

 俺が切った、ばらばらなそばよりも、ずっとそばらしいです!」

「何それ、面白い褒め言葉だね?

 ありがとう」


 二人は笑顔のまま完食したのだった。

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