第8話 おせち作り戦争十二月三十日午後 ――祥順専属、料理の先生――
浩和に言われるまま黙々とおせちを作り続ける。
黒豆を煮ながら昆布巻き、たたき牛蒡、酢レンコン、菊花かぶを作り上げた。たたき牛蒡の水気が飛ぶ間に酢レンコンを下準備し、さっと火を通して保存容器に移動する。
菊花かぶの方は、昆布巻きを煮直している間に用意した。祥順が忘れかけていた数の子の具合は、浩和がしっかりと見ていてくれて、丁度いい塩梅になっている。
菊花かぶは二人とも飾り切りは初めてだった為、一つずつ試しにやってみた。だが、あまりにも祥順がたどたどしく包丁を扱うせいで、結局残りの菊花かぶは浩和が切る事になってしまう。
飾り切りの中でも簡単な部類に入るとは言え、やはり経験値がものを言う事に変わりはないようだ。
彼がかぶを切っている間、祥順は調味料を計る係になった為、結果としては丁度良い具合の役割分担になった、とうまく飾り切りができなかった自分を励ます。
調味料を計り終えた祥順は、いつの間にか正午になっている事に気が付いた。
「滝川さん、お昼になりました」
「お、良いペースで作れているな」
包丁を置いて飾り切りを終えたかぶを見ながら浩和は言った。切ったかぶを祥順の作った調味液へと入れ込み容器ごと冷蔵庫へしまう。
彼の言う通り、今日の予定は田作り、ローストビーフ、筑前煮の三種類を残すばかりとなっている。そう考えてみると、今日の任務は順調に進んでいるように感じられた。
「朝の内におにぎりを作っておいたから、お湯を沸かしてお味噌汁を用意して簡単だけどお昼にしよう」
浩和はそう言いながら冷凍庫を開ける。そしてラップで包んだ茶色いものを取り出した。
「お湯を注いだら味噌汁になるんだよ」
「ええ?」
祥順はその茶色いものをまじまじと見つめる。渡されたそれは当然の事ながら、かちこちに凍っていて冷たい。よく見てみれば、わかめのようなものや、他にも味噌汁の具材と思われるものが混ざっている。
電気ケトルのスイッチを入れた浩和が、自分の分を味噌汁用のお椀にことりと入れた。祥順もそれに習ってお椀に入れる。そうしている内にお湯は沸き始める。
カチッとケトルのスイッチが切れる音を聞いた浩和はお椀にお湯を注いでいく。
凍っていた味噌汁の固まりはお湯であっという間に溶け広がった。味噌の香りがふんわりと漂ってきた。
お椀の中を菜箸でくるくるとかき混ぜれば、どこから見ても普通の味噌汁である。出来合いのインスタントならば見た事もあるが、インスタントを自作できるとは知らなかった。
「すごいですね!」
「作ってから冷凍庫に入れれば一ヶ月くらいもちますよ。ほら、一人とか二人だと少量になるし、ちょっとずつお味噌汁を作るのは手間で面倒だから」
「なるほど」
二人はおにぎりと味噌汁をテーブルまで持っていき、椅子に腰を下ろした。ずっと料理をしていて立ちっぱなしだったからか、少しだけ体が軋む。
普段、仕事ではデスクワーク中心で、立ちっぱなしになる機会も少ない。祥順は少しばかり情けなさを感じながら味噌汁をすすった。
「ん」
冷凍した味噌に湯を注いだけであるこの味噌汁は、祥順の想像を超えたおいしさであった。自分で作ると、だしがあまりきいていない、うすっぺらいものだったり、逆に濃すぎて味噌を一すくい舐めてみたようなしょっぱさだったりとおいしく作れた試しがない。
ところが、この浩和が用意した味噌汁はおいしい定食屋が出しているような、だしがしっかりときいた味噌汁になっている。
今回のこれはかつおがメインになっているようだが、味噌の風味と相まってまろやかな味を出していた。
「シンプルだけど、おいしいでしょ」
「こんなにおいしいインスタント味噌汁が自作だとは思えません」
わかめと油揚げだけの味噌汁だが、祥順は表情が緩んでしまうのを止められなかった。おにぎりの方は、鮭が入っていて塩加減もちょうど良く、これがまた味噌汁に良く合うのだ。
「今度、作り方を教えてあげるよ」
「ぜひお願いします」
祥順の返事に、浩和は満面の笑みで頷いた。
おにぎりと味噌汁という絶妙なおいしい昼食をとった二人は、お節料理へと気分を切り替えた。残るは時間のかかる煮物である。午前中に作っていたものとは異なり、一つの料理に複数の食材を使う筑前煮が待ち構えていた。
筑前煮は難しいだけで祥順にも何となく想像はできるのだが、それ以上にローストビーフが良く分からなかった。
そもそもローストビーフが家で作れるものだという認識もなく、外食でもあまり食べない事もあり、祥順にとってみれば全く正体不明の料理である。
祥順の困惑を見越してか、午後の料理は筑前煮を作る段階で包丁の使い方や素材の切り方、その呼び方などを説明しながら一緒に準備をするところから始まった。
筑前煮を作る過程で簡単な事を学びながら料理への負の意識を減らしていき、おそらく今日作っている料理の中で一番簡単であろう田作りを作っている間に、ローストビーフの説明は済んでしまった。
気持ち的にも、知識的にもローストビーフを調理する準備が整っている。祥順は浩和とローストビーフの仕込みを楽しむ事ができた。
あらかじめ常温にしておいた牛肉に祥順が塩胡椒を刷り込む。その間に浩和はソース用の玉ねぎやにんにくを切ったりし始めた。スパイスが刷り込まれた牛肉は、加熱した鍋で表面を軽く焼き付ける。
火を通した肉を取り出し、切り終えた野菜を炒める。しんなりとしてきたら調味料を加えて少しばかり煮込む。この時点で既に食欲をそそるような香りがキッチンに充満していた。
そんな中、二人は美味しそうになっていくソースから目を逸らしたのだった。
我慢して美味しそうな香りを漂わせるソースに肉塊を放り込み、今度は中火で煮ていく。十分ほど煮詰めたら肉をアルミホイルで包んで寝かせる。
余熱がしっかりと回るように三重に包み、更にタオルを巻く。それらを手際良く浩和はこなしていった。
もちろん祥順にソースの仕上げを指示し、説明をするのも忘れない。
ローストビーフに身構えていた祥順も、軽口を言いながらソースの裏漉しをしている。
祥順にとって、浩和はとても素晴らしい料理の先生であった。
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