第6話 二人でサクサク、スイーツは柔らかく
温かいココアを受け取って飲み始めた祥順は、浩和がこのフロアに入った時に比べると穏やかな雰囲気を纏っていた。心なしかこのフロアの温度も上がったかのように感じる。
浩和は、プリントアウトされたプログラムに蛍光ペンでチェックを入れながら祥順の様子を見ていた。周りの人間が言うだけあって、本当に最初は凍りついた空気が流れていた。今は落ち着いているが、浩和は心底驚いたものだ。
浩和は祥順の事を、どんな時でも冷静でテンションの変わらない人間だと思っていた。こういった空気も出せるのだな、と驚きだけではなく関心してしまった。
いやしかし、この中身を見ていたらそうなるのも頷ける。
浩和は蛍光ペンで鮮やかになった紙を見て苦笑した。ピンクの蛍光ペンで着色した部分は、意味のない定義である。コピー&ペーストの弊害だろう。動作に大きな影響はないが、見直すときに邪魔だし、小さなプログラムだから今回は関係ないが、大きなものになれば動作速度に影響してくるだろう。
水色の蛍光ペンはコード自体が間違っている、あるいはコードの使い方が間違っているものになる。ここは致命的だ。一体これを改造しようとした人間は何を考えていたのだろうか。
その他の色で、意味の繋がらない不明なコードなどをマークしていく。
白と黒だけの世界だったはずのそれは、いつの間にか繁殖期を迎えた鳥のようになっていた。
「カジくん、これって何をしようとしてたのか分かりました?」
ちら、と浩和の方に視線を寄越した祥順は小さく頷いた。
「顧客情報を入力するフォームから、一定の条件での顧客リストみたいなものを別ファイルとして取り出せるようにもしたかったらしいですよ。
私が初めてこれを見た時は、顧客情報の入力すらできないようになってましたけどね」
「何も知らないくせに、いきなり上級者向けの事をしようとした感じか。
別個で作ったら少しは敷居も下がるのになぁ」
これは修正するよりも、元データをもらって作り直した方が早いのではないか、そんな考えさえ湧いてくる。
「作り直した方が早いって言ったんですが、元データは残していないそうですよ。
本当に何を考えているのか……」
すでに提案済みの案件だったらしい。やはり考える事は同じのようだ。
「とにかく、元データと同等のものに戻して作業が出来るように復旧させる事が要求されています」
「そうだろうね」
「なので、余分な奴はどんどん消していく方向で、と思ったんですが」
言い淀む祥順に、浩和が続けた。
「ぐちゃぐちゃに癒着してんだよな……ほら、色分けしたから少しはマシになったんじゃない?」
こっちからやりなよ、と色分けされた紙を渡せば、祥順は残りを手早く印刷し始めた。印刷の指示を出し終え、色分けを参考に不必要なものをどんどん消していく。
「残りのモジュールはフォームの中身か。こっちは丸ごと消しちゃって良い気もしますけど……」
「いつ続きを組み立てろと言われるか分からないから、消さない方が得策ですよ。
前、それで大幅にタイムロスしたんです」
そう言い終えると、彼は深い溜息を吐いた。祥順の溜息には、その時の大変だった記憶が込められているかのようだ。
「ああ、そこら辺は全部コメントに変えてあるのか」
よく見てみれば、今渡されたモジュールの中身の頭には全てアポストロフィがついていた。これならばプログラムを走らせた時にここが動く事もないし、動かなければエラーの原因になる事もない。
こちらは見る必要もなさそうだなと思いながらも、いつ使うか分からないと言われた以上は、と浩和は蛍光ペンで線を引き始めた。
複雑なコードとにらめっこをしてから一時間。二人はようやく余分な部分の削除を終えた。あとは動作確認をしながら元々の挙動に近付ける微調整だけだ。
「これ、元は誰が作ったか知ってます?」
「あー……」
ここにデータがある以上、作った人間もいるはずだ。祥順の疑問に浩和は首を傾げた。
誰だったか、聞いた事がある気がした。浩和は記憶力には自信があった。頭の中に広がるマップから、その場所を探す。結構古い記憶だったはずだ。入社したての頃の記憶を漁り始め、すぐにそれを見つけ出した。
「俺と入れ違いに退職した、小松さんですね」
「おお、良く覚えてますね」
脳筋系な見た目とは裏腹に、プログラミングは得意だったと記憶している。一度だけ彼と話をする機会があった。
ころころと表情が変わる明るい人間で、周りから親しまれていた。几帳面な性格だったらしいが、一度の機会では全く分からなかった。
「余分なのを消していったら、綺麗で分かりやすいから、ふと気になったんですよ」
「……読みやすいな。他の人がメンテナンスする事も考慮されてる」
確かにこれは几帳面な性格だったのだろう。浩和が合点がいった。別の人間が見ても分かるよう、順序立てで作られているのだ。
それにしても、こんなに分かりやすいものをあそこまで台無しにできるとは、これを弄った奴はよほどVBAを知らないのだろう。自分が参加したVBA講座に是非とも通ってもらいたい。
「でしょう。私もこんな風に作れるようになりたいですね」
こじんまりとして読みにくいって言われるんですよ。自己流だからかな、と祥順は首をさすった。浩和は自己流でここまでできる方がすごいと心の中で舌を巻いた。
多少の雑談ができる程度には心に余裕が戻ってきた二人は、プログラムを眺めながら復旧作業に勤しんだのだった。
何とか二度目の催促の前に部長へとデータを提出すると、彼はにこやかに礼を言った。
「いやぁ助かるよ。
今度からはちゃんとバックアップするように注意しておく」
「はは、気をつけていただけるとこちらも助かります」
二人はは苦笑しつつ、本来の業務へと戻るべく踵を返した。
デスクへと戻ってきた祥順が仕事に戻ろうとした時、浩和はぽんと彼の肩をたたいた。コンビニスイーツを手にした浩和を見て、祥順の顔つきが穏やかになる。
「お疲れ様、ご褒美がてら少し休憩しましょ」
「手伝ってもらった上に何だか……ありがとう」
何だか申し訳ない、と言いそうになったようだが、浩和は気にせず菓子を広げた。広げた、といってもたいした量ではないが、今回は変わっているものにしてみたのだ。
もちもちとした食感が人気だという大福のようなスイーツで、持ち上げようとつまめば、ぐにゃりと形を変えた。
「わ、これ面白い……っ」
柔らかすぎて不安定な形のそれを、祥順は楽しそうにいじっていた。すこぶる機嫌は良さそうだ。
殺伐とした空気を醸し出していた時とのギャップも相まって、可愛らしさすら感じてくるほどだ。浩和は良いものを見たというように頬を緩ませた。
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