第5話 オーバーワークな祥順と最終兵器な浩和

一難去ってまた一難。祥順は天井を見上げて溜息を吐いた。今度は納期の繰り上がりである。先ほどの遅延というタイミングでの入庫となるから、まだ胃にも脳にも優しい方だったが。

 入庫のダブルブッキングというものは恐ろしい。倉庫の規模や人員数にもよるが、倉庫から溢れてしまったり、入庫作業に人員を割かれて顧客への出荷が滞ってしまったりといった重大な事態に陥ったりする。


 特に顧客への出荷が滞ってしまえば会社の信用問題に関わる。会社内ですべて完結できる案件であっただけマシだと言える。

 今回は遅延しているものの代わりにこちらの入庫作業をしてもらうだけで良い。遅延する資材の方は、絶対とは言えないが入庫まで在庫はもつだろう。まったくもって心臓に悪い。祥順は倉庫方へこの件を伝えるべく受話器を上げたのだった。


 倉庫担当者は不満そうな声を上げたものの、ダブルブッキングにはならないと知るや否や声色は明るくなった。それはそうだろう。出荷作業も多く、かなり厳しい時期である。入庫する、しないといった案件で頭を悩ませたくはないはずだ。

 本来は祥順の仕事ではないが、資材在庫の担当者へ根回しと調整をし、余計な世話を焼いてこの件を終了させた。


 別に「そこまでしなくとも」と思わないわけではないが、状況を把握している自分がやってしまった方が早い。担当者へ説明し、それから打ち合わせをすると倍の時間がかかる。大きな決定権は持っていないが、これくらいならば越権ではないだろう。

 他にも並列して行っている仕事もある。というのも、この件を調整している時に割り込み仕事がやってきたのだ。


 更に言えば、こちらの割り込み仕事は恐らく現時点では祥順だけにしかできないものだ。 営業の「お願い」で前に作ってあげたVBAを誰かが加工しようとして失敗したらしい。

 しかも、軽く目を通したところ、中身はめちゃくちゃになっていた。作った本人以外、よほど暇で時間に余裕のある人間でなければ、これの修正は無理だ。VBAを全く知らない人間が表計算ソフトの式と同じようなイメージで変更しようとしたのだろう。


 変数もおかしな事になっているし、条件や定義付けも連動していない。一体どうやったらここまでおかしな事になるのだろうか。

 ――まあ、良い。祥順は目を閉じて深呼吸した。どうしてこうなったのか、よりも今はこれを何とか使えるレベルまで戻さなければ。


「梶くぅーん!」

「……はい?」

 作業の手を取め、振り返ると営業部の上役がいた。彼は穏和な表情とは裏腹に無茶な事ばかりを要求してくる事で有名だ。

「いやぁ、悪いね。

 仕事が多いのは重々承知だが、こちらもそのデータが壊れたままだと困ってしまうんだ」

「分かっています。

 だからこそ今最優先で進めているんです」

 祥順はぱっと体を動かして、今自分が作業していた画面を彼に見せる。


「ふむ」


 これは全く理解できていないパターンだな、と諦め半分に説明し始めた。

「簡単に言えば、数学でいう公式を間違えたまま計算を進めるような感じになっています。

 間違えている箇所が多すぎるのと、何を意図して改造に失敗したのかが全く見えないので少しお時間を頂きたい、と思っています」

「うちの奴がやってしまった事だが、できる限り早く直してくれ」

 祥順は黙って頷きデスクへと体の向きを変えた。会話している時間だって惜しいくらいだった。


 メモ帳を片手に睨めっこを続けている。こうして修正作業をしている祥順は、本格的にVBAを学んだわけではない。使えたら便利だな、といった軽い気持ちからの独学である。本職の人間からしたらズブの素人だった。

 ぱっと見で読み取れるわけもなく、こうして自分の記憶を頼りにおかしなところと、何を変えたかったのかを探っていく。


「カジくん、ここ教えてくれない?」

「えっ?」

 振り向けば困った顔の営業が、年末調整用の用紙を手に立っていた。今どき調べればいくらでも答えは出てくるだろうに、と言いたい気持ちを抑え、質問に答えていく。

 保険の金額計算に至っては、説明書きを読めよ、とも思ったが、しっかりと説明した。


 忙しい時にこそ、なぜか次から次へと横槍が入る。祥順は無表情になりながらもできる限り丁寧な対応を心がけた。

 VBAに集中したい。早くこれを終わらせなければ何を言われるか分かったものじゃない。祥順は段々と話しかけられる頻度が減ってきた事を、これ幸いにと作業に没頭し始めた。




 総務のカジくんが怖い、という話が本社の中に蔓延する頃、浩和は動き始めた。単純に手が離せなかっただけだが、さすがに社内で注目され始めた祥順を放っておくわけにはいかない。

 総務の何人かが、空気が凍っていると助けを求めてきたのも記憶に新しい。こんなに怖がられるのは初めてなのではないか、と不思議に思いながら浩和はココアを買いに走った。


 総務のフロアへと上がれば、彼らが助けを求めてきたのも分かるような気がした。空気がピリピリとしている。気がつかれないように、静かに背後へ忍び寄ってディスプレイを覗き込んだ。

 画面上にはぐちゃぐちゃのVBAが見え、祥順がパズルのようにそれを組み立て直している事が分かる。

 彼の手元には細かく書き込まれたメモ帳がある。これは厄介そうだった。

「カジくん、お疲れ様。少し休憩挟まないと」

「あ……すみません」

 浩和が声をかければ、祥順はいつもとあまり変わらぬ声色で返事をした。買いに走ったココア渡すと、光が差すかのような笑みが見えた。


「これ、手伝うよ。今見れてないところでもプリントアウトしてくれれば、チェックするから」

「いや、そんなわる――」

「営業部の誰かさんだろ、こうしたの。一応俺も営業部だし、手伝わせて」


 しっかりやや強めに言えば、祥順は観念したらしく、素直にデータの印刷を始めるのだった。

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