第4話 穏やかに仕事がしたい祥順と束の間の休憩

 祥順が書類とにらめっこしていると、突然肩をたたかれた。集中していた為、驚きのあまりに肩をびくつかせる。

「すみません、驚かせちゃいましたね」

 久しぶりに聞くその声に慌てて振り返れば、浩和が立っていた。彼は相変わらず爽やかで人好きのしそうな表情で笑っている。思わず祥順も顔を綻ばせた。


「いえ、そちらも随分忙しそうですね」

「先週くらいから営業周りの手伝いも行ってたから」

「そんな事までしてたんですか!」


 純粋に驚きの声をあげる。浩和は誤魔化すように小さく笑った。自分もそうだが、浩和の方が随分と疲れたような雰囲気を出している。そんな時に、自分の差し入れはどうだったか、など聞けるわけがなかった。

 咄嗟に自分のデスクを漁り、今日持って行こうと思っていた菓子を渡す。


「これ、よければ食べてください」

「あ、じゃあ俺も差し入れ持ってきてたから、カジ君どうぞ」

 一瞬きょとんとして菓子を見ていた浩和だが、すぐに小さい個包装の菓子を渡してくる。


「交換っこみたいだ」


 そう言って浩和は表情を綻ばせた。つられて祥順も顔を緩ませる。早速、といった風に浩和は祥順から渡された菓子を食べてしまった。一瞬の内になくなった菓子をよほど物欲しそうに見ていたのか、浩和は小さく笑っていた。

「折角だから今食べてくださいよ」

 そこまで言われてしまえばすぐに食べるしかない。中身を取り出せば、それはチョコレートだった。丸くてころころとした、周りにココアパウダーを纏わせたタイプのトリュフである。

 口の中に含むと、ミントの爽やかな香りが広がった。


 冬の今、ミント味のものを選ぶなんて面白い。そんな風に思いながら爽やかな甘みとすっきりとした後味を堪能する。

「おいしいって顔してますね」

「ん、本当においしいもん……あ」

 思わず敬語が抜けてしまったのに気が付き、慌てて口を塞ぐ。祥順のそんな様子を見ていた浩和が笑い出す。周りに気を使っているのか、くつくつとした笑い声になっている。


「くく……っカジ君……顔、赤いっ……」

「っ!」


 指摘されれば余計、顔も赤くなるというものである。祥順は自分の頬が熱いのをどうにかしようと、手のひらで押さえつけた。相当頬に熱が集中しているのか、自分の手が少しだけひんやりと感じる。

「ごめ、でも言葉遣いなんか気にしないでくださいよ。俺だって、結構適当だし」

 そう言いながら、浩和は先ほどと同じパッケージの個包装を渡してくる。我ながら現金だと思いつつも素直に受け取り、その個包装からトリュフを取り出して口に入れた。


「それにしても……カジ君だったんだね。あの差し入れ」

「?」


 もぐもぐと口の中でミントチョコレート味を楽しんでいると、浩和が照れくさそうに口にした。そういう反応をされるような事をしただろうか。

 祥順は心当たりを探すが、何も見つからない。

「あれ、周りから片思い中の可愛い子ちゃんからじゃないかとか、からかわれちゃって」

「ぐっごほっ」

 お菓子の差し入れする事だったようだ。思わずタイミング悪く飲み込んだチョコレートが気管支に入りそうになった。


「でも、嬉しかったし。すごくあれに励まされた」

 ふざけているわけでもなく、至極真面目な様子である。

「……お、女の子じゃなくてすみませんでしたね」

 むせていた祥順であったが、すぐに持ち直して何となく謝ってしまう。浩和は不思議そうに首を傾げた。


「励まされたんだけど、あまり知らない子とかだったら困るなって思ってたんで、カジ君で本当に良かったです」

 なぜ、と問いかける前に浩和が続ける。

「変な気とか持たせちゃってたら申し訳ないし。

 俺にはそういうつもりは全くないのに、ね」

 モテる男はそういう考えを持っているのか、と祥順は羨む前に関心してしまった。

 とは言え、フリーである今、別に言い寄ってくる女性がいても、それに浩和が目を向けても、問題はない。

 単純に、今はそういう余裕がないだけなのだろうか。しばらくそういうものから遠ざかりたい気分なのかもしれないが、何とも言えない違和感のようなものを感じた。


「あ、でもカジ君なら大歓迎ですよ」

「……期待される程のものなんて置いてないんで」


 冗談だと分かっていても、むず痒い気持ちになった。

 祥順が用意していたのは、どこにでも売っているようなものばかりである。そんなもので喜んでもらえるならば、いつでも用意しよう。そうは考えたものの、正直に言うのは照れくさくて、つっけんどんな返事になった。

 しまった、と祥順は浩和の顔を見たが、つれない返事を気にした様子もなく、楽しそうに笑う彼に心を撫で下ろしたのだった。




 その後二、三言葉を交わしたら浩和は自分の仕事へ戻っていった。祥順はそのまま途中にしていた作業を再開し――あっと声を上げた。

「これ、納期が間違ってる……!」

 手にしていたのは、提出された資材の管理表である。この前資材が少なくなってきたからと、購入の申請が来ていた。この承認処理をしたのは祥順だったのだ。

 日程をよく見れば、なんとか変更が間に合いそうである。祥順は早速担当者へ連絡を取る事にしたのだった。


 祥順の電話に出た担当者である斎藤則幸さいとうのりゆきは、声を聞くなり「すみません!」と謝った。

「……何の話か分かります?」

「分かってません! 心当たりが多すぎて」

 祥順はこっそりと溜息を吐いた。もう少ししっかりとしてもらいたい、とは思うものの、現実そうはいかないのも分かっている。


「今回は、資材の納期の件で――」

「あぁ!」


 向こうも見当がついたようである。早口に、彼は元々申請した日程で進めるはずだったが、先方の都合で変更になっていたと説明してきた。

「変更になった場合、こちらにも連絡頂けないと倉庫の皆が困る事になるんです。

 報連相、お願いしますね。斎藤さん」

 祥順がそう言えば、申し訳なさそうにもう一度謝り、申請書の再提出が必要か聞いてくる。

 今回はこちらで訂正しておく旨を伝え、斎藤には倉庫の方へ事情を説明しておいて欲しいと念を押した。


 資材入庫の延長という連絡が倉庫につけば、倉庫担当のメンバーは荒れるだろう。

 ただでさえ忙しい時期である。自分だってなるべく心穏やかに仕事をしたい。祥順は斎藤が倉庫のメンバーへしっかりと説明してくれる事を祈りながら書類を訂正した。

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