第3話 差し入れ男になった祥順
十二月に入り、年末のハードな盛り上がりを見せる仕事が襲いかかってきていた。祥順だけでなく、自分のところが手薄だからとあちこちを手伝いに回っている浩和の方まで忙しい。
時間が合えば夕食を共にし、あまりにも遅い時間である場合は祥順の家に泊まる事もあった。
浩和は、甘えてしまって申し訳ないと言っていたが、祥順からすれば遠い家に帰るのは大変だろうという気持ちが強い。遠慮なく頼ればいいのだ。それに、彼がいれば部屋が綺麗なままで助かる。
つまりは迷惑というより、自分が得なだけだった。
差し入れする余裕もなくなってきたのか、頻度も減ってきた。それこそ逆に、祥順の方が差し入れしなければならいのではないかと感じるくらいだ。しかし祥順には何を差し入れればいいのか、彼の行動を見てはいたが見当がつかない。
いや、だいたいこういうの、という大まかなものは分かるのだ。そのお菓子をいざ厳選するのだと考えると、思い浮かばない。そう簡単にはぽんぽん思いつくようなものではないのだろうか。
祥順は休憩時間中、女性社員の持っているお菓子を注視していた。彼女はこの前チェックミスをしていた比奈子だ。
「あ、お菓子食べますか?」
「いやっ、違うんですっ」
物欲しそうに見えたのだろうか。祥順は慌てて両手を振って遠慮する。別に食べたかったわけじゃない。そのお菓子は差し入れ用なのか、考えていただけなのだ。
「差し入れとか、いつもしてもらってたから俺もしようかなと……」
何を言っているんだ、と段々と恥ずかしくなり、声が小さくなる。別に悪い事をしているわけではないが、ばつが悪い。
「うんうん、それ良いと思います!」
「え?」
「お礼されたら誰だって嬉しいじゃないですか。
で、何を差し入れにするんです?」
「あ、いや……それは……」
主語を抜かしたのに、対象の人物が誰だか分かったようだ。まだ決まってないのだと、それこそ小声で白状した。綾瀬はにやにやとしだし、とてつもなく良い案を出してきた。
彼女の反応は自分の羞恥心を煽るように見えてしまい、あまり楽しいものではなかったが、これならば自分にもできる、という案で早速翌日から実行に移す事に決めたのだった。
まず祥順が出社してすぐに始めたのは浩和の行動予定のチェックだった。今日は一日中本社だという。本社にいる場合、会議や来客といったスケジュール以外は分からない。
浩和は会議も来客もないようだった。
最初から難しい日に当たってしまったなと、祥順は内心では溜息を吐いたが、今日からやると決めたのである。それにこのような事以上に困難なものはたくさんあるのだ。これくらいで気持ちが左右されるような事があってはいけない。
祥順の今日の仕事は買掛金のチェックがメインである。ひたすら請求書と経理ソフトに入力された数値が間違っていないかを確認していく作業である。経理ソフトに入力したのは別の人間である。
量はそこまで多くはないが、金額はそこそこ大きい。失敗は許されず、しっかりと集中しなれけばならない。
午前中に集中して行い、キリの良いところまで仕上げた祥順はふらっと浩和のデスクに向かった。
タイミングが良いのか悪いのか、離席中であった。ちょうど良かったとこそこそと彼のデスクに差し入れを置いた。彼が置いたのは、どこにでも売っている個包装のお菓子である。
これならば、仰々しくもないし、すぐに食べれなくても問題は無い。場所を選ばずにひと口で食べられるものにした為、突然の出張にも持っていける。
比奈子の案は、とても素晴らしい。日頃から主婦の知恵は馬鹿にできないとはよく思う祥順であったが、特に今回は名案だったと思う。
しばらくはこうして時間を見つけてはこっそり置いていこうと祥順は微笑んだのだった。
その後も祥順はふらっと浩和のデスクへとやってきては差し入れに個包装のお菓子を置いていく。置きに行くと、前に差し入れたお菓子はデスクの上から消えている。
ちゃんと受け取ってもらえているようだと、変な手応えを感じながら、息抜きがてらの行為を続けていた。
たまたまなのだろうか、祥順が差し入れを始めた頃から浩和がかなり忙しくなったらしく、会って話す機会が全くなくなっていた。
だからこそ、この行為がある意味二人を繋げている唯一のものであるような気がしていた。
「タキくん、差し入れ喜んでくれてます?」
差し入れ生活を始めてから10日が経とうとしていた時、比奈子からこっそりと声をかけられた。
「実は彼と全然会えてなくて」
「うそ、本当?」
身を乗り出してきた彼女に、祥順は顎を引いた。どこに食いついてくる要素があったのだろうか。
彼女の食いつき具合に恐る恐る事情を話す。
「私はたまに見かけるんですけどねぇ」
どうやらタイミングが合わないのは祥順だけらしい。もやもやとしそうになる気持ちを抑えて比奈子の話を聞いていると、自分の動きが浩和の動きと全く噛み合っていない事が分かった。
つい半年前くらいまでは、合わない時間が長くとも何も感じていなかった。全く意識していなかったのだ。だから、浩和の立ち回り方と自分の立ち回るリズムが全く違うものだったと気がつかなかった。
ここ数ヶ月、浩和がわざわざ祥順に合わせて動いていたのだ。比較的余裕があったのだろう。そうでなければ、中途半端な仕事を嫌う浩和らしくない。
申し訳ない気持ちに襲われ始めた祥順に、比奈子は笑いかけた。
「もう少ししたらヘルプに入ってる仕事が一段落しそうって言ってましたよ」
祥順は動きを止めた。彼女は一体何なのだ。その話を先にすればよかったのに、と思う祥順をよそに、比奈子は話し続けている。
「また差し入れに来てくれるようになりますね、あれは!」
比奈子は美味しいスイーツを思い出したのか、幸せそうに頬へ手をあてている。どうやら彼女は単純に浩和のお菓子が目当てだったようである。
ここに全く立ち寄っていないにも関わらず、相変わらず女性陣の心を掴んだままの浩和に、祥順は複雑な気持ちだった。
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