第7話 スマートな男の一日

 十二月も半ばを過ぎ、あと数日で年末休業といった頃。年末年始の駆け込み受注が爆発的なものとなる。この時期ばかりはどの商品を多く出荷するか全く読めなくなり、受注を担当している営業事務と打ち合わせを重ねて商品を準備しても、当たりにくい天気予報の様相だ。


「やばいな。この商品は出ない見込みだったじゃないか?」

「いや、それが……この前ブロガーが呟いたらしい」

「そういう依頼、こっちからは今止めてたろ?

 宣伝してくれた人には悪いが集計期間外だから報酬はやるなよ」


 祥順が旅費精算について確認しにフロアを降りると、そんな話題で盛り上がっていた。販促活動もタイミングを間違えれば欠品商品の嵐である。

 特に中規模の会社が所有する倉庫など、たかが知れている。ちょっとでも売れすぎれば、あっという間に在庫切れだ。

 納期の問い合わせが集中した結果、仕事が妨害されて効率も悪くなり、良い事なしなので、インターネットの上で契約ブロガーが話題に上げるかどうかはできるかぎりコントロールを心がけていた。

 そんな中、想定外の宣伝で売れ行きの波が変わってしまう。恐らく、この商品は今日の受注分で完売してしまうのだろう。そうでなければ焦るほどの事ではないはずだ。


 また生産スケジュールの見直しが要求されるな、と祥順は心の中で計算する。

 午後にはきっと臨時ミーティングに呼ばれ、作業は中止になるだろう。臨時ミーティングは、たいていが事前連絡なしに、突発的に始まる。事前に情報を得られただけ今回はましだろう。

 祥順はそう自分に言い聞かせ、これからのスケジュールを組立て直すのだった。


 案の定、午後の二時に臨時ミーティングは突然始まった。「カジくん、来て」から始まったミーティングの議題は、午前中にあった話題からの生産予定の手直しについてだった。

 旅費精算の計算を急ぎで仕上げ、決済を他の人に頼んでおいて正解だったと心の中でほっと息を吐いた。これで今日中に仕上げなければならない案件は片付いた事になる。今日の仕事が全て終わったわけではないが、精神的には余裕ができる。


 落ち着いた気持ちで臨んだミーティングは、思ったよりも早く終わった。祥順は気分よくデスクへと戻り、そこで今更な事に気がついた。

 ――今日はクリスマスイブだ。特別なイベントとして認知されているわけだが、恋人などの特別な人間はいない。もちろん家族と離れて生活している今、わざわざ実家に帰ってまで過ごすほどの事でもないというのが祥順の考えだった。


 そんな日に限って、意外にも仕事は順調に進んでいく。イレギュラーなミーティングがあったにも関わらず、である。


 時間にも余裕のある祥順は辺りを見回した。もちろん仕事量が多い人を探す為だ。見回していると、一人だけ慌ただしく動いている人物がいた。比奈子である。

 どうしたのかと彼女の背後に回ってみると、代理店向けの企画景品のチェックをしているようだった。

 対象商品を購入している金額によって、希望の商品サンプルが受け取れる企画だ。対象商品の幅も、商品サンプルの品種も多く、申請をチェックするだけでもかなりの仕事量だった。


 どうやらそれを一人でこなそうとしているらしい。


 すでにチェックが終わっている分もあるが、どう見ても未処理の書類が五センチくらいはありそうな分厚さである。一人でどうこうできるものではない。

「手伝いますよ。今日のノルマは終わってますから」

「えっ」

 彼女は一瞬表情を輝かせた。


「あ、でも悪いですよ、こういう日くらいは!」

「残念ながら、一緒に過ごしたい相手がいないんで。

 ほら、こういう日だからこそ、独身の私よりも新婚の綾瀬さんが早く帰った方が良いのでは?」

「もう、カジくんったら」


 遠慮する彼女に、冗談じみた軽口を言いながら祥順は書類の三分の二を受け取る。書類のチェックが終わったら持ってくるように伝え、自分のデスクへと戻った。

 早速データと向き合う。対象商品の一覧を参考に、どんどん計算していく。年末での企画の為か、冗談抜きで数が多い。

 この申請書を確認するだけで、簡単に一日が終ってしまうだろう。よく彼女は一人でやろうと思ったな、と感心しながらデータを入力する。


 途中、自分用のついでに比奈子にもコーヒーを買って差し入れてやる。何故かとても喜ばれ、むず痒い気持ちになりつつ、作業を続けた。

「カジくん、私の分終わったからやります」

 そんな風に声をかけられたのは、終業時間の20分前だった。時間を確認した祥順は頭を横に振った。


「今日は定時で帰ってください。私は大丈夫ですから」

「でも――」

「こういう日は恋人すらいないフリーな人間に押し付ければ良いんです!」


 にこやかに祥順が言い切れば、比奈子は吹き出した。

「あは、何だかタキくんみたい」

「えっ」

 予想外の言葉に祥順は目を見開いた。比奈子はまだ笑っている。

「タキくんも、そうやって甘やかしてくれるんです。最近仲良くしてるみたいだし、似ちゃったのかなー?」

 さっきの差し入れとか、そういう気遣いもね。と付け足され、むず痒い気持ちが再燃する。悪い事はしてないのに、何となくこの場に居ずらかった。


「ありがとう、遠慮なく今日は帰らせてもらいますね」

「どうぞどうぞ」


 彼女はぺこり、と可愛らしくお辞儀をして席に戻っていった。これで独身だったら気になる女の子リストに入っていただろうな、とそこまで考えてから無意味な事に気がつき、虚しい気持ちに変わる。

 せっかく浩和のようなスマートな優しさを彼女にできたのだ、折角だから良い男のままで今日を終えたいところである。

 緩んでいた気を引き締め直し、祥順は作業へと戻った。




 誰しも今日はさすがに早く帰りたいらしく、定時上がりの人間が目立っている。明日が土曜日で休みの日だというのも大きいだろう。その中で祥順は順調に仕事を進めていた。

 ちらほらと、まだ仕事をしている人間がいる。その中には千誠もいる。その横では平謝りしていると思われる営業が一人。寛茂ひろしげである。

 また何かをやらかしたのだろう。ちらりと視線を彼らに向けた祥順であったが、すぐに仕事へと集中する。


 それからすぐに集計作業は終わった。人のヘルプをした割に終業時間から一時間も経っていなかった。

 自分もいつもより早く帰れそうだと分かり、気分も上がる。集計結果を報告する為にフロアを下がれば、閑散とした営業部があった。

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