第4話 初めての朝ごはん
「俺は気にしてないから。
むしろ、気を許してもらえてるって嬉しいくらい」
「……そ、そうですか」
「うん」
浩和の一言に、祥順はやや困ったような笑みをしてから俯いた。まるで先ほどまでしっぽを逆立てて興奮していた猫が、急におとなしくなったかのようだ。
「また羽目を外して飲んでも、俺が最後まで面倒見るから安心して」
「そう言われると恥ずかしいです」
いつの間にか、距離が離れていた。特に意味もなく自分の部屋の物を移動させて遊んでいる。
子供の頃に飼っていた、うろうろと歩き回りながら遠巻きに様子を見てきた猫を思い出す。
あれは構ってほしいのではなく、安全かどうかを見ていたらしい。膝の上に乗ってくれるようになった時の幸福感は比べものにならないほどだった。
「大した物はないんですが、朝ご飯食べていきますか?」
猫の事を思い出してぼうっとしていた浩和は反射的に頷いた。祥順が近づいてきたのに気づき視線を動かすと、彼は衣類を手にしている。
「準備していないのでシャワーだけですが。今の内にお風呂どうぞ。
これ、着替えです。
下着はちゃんと新品ですから」
「――じゃあ遠慮なく。ありがとうございます」
昨晩は遠慮して使わなかった浩和であるが、片付けという目的を達成させた彼は充分に働いたと言えるだろう。報酬として受け入れる事はやぶさかではない。それに汗を流すだけではなく、疲労からくる眠気を飛ばすにも丁度良いと思ったのだ。
動いている間は良かったが、徹夜はきつい。さすがにうっすらと眠りたい、という気持ちがあった。
さっと熱めのシャワーを浴びれば、頭がすっきりしてくる。眠っていない事など忘れそうなくらいに壮快な気分になってきた。
置いてあったボディーソープを手に取り身体を洗う。首筋がべたついていて不快だったが、これでさっぱりするだろう。
祥順はシャンプーとボディーソープを同じブランドで揃えていた。几帳面なのか、と思ったが敏感肌用のものだった。どうやら肌に優しいものを選んだらこうなったようだ。
香料がほとんど入っていないものだった。微かに原料の臭いを紛らわせる為に精油を使っているくらいだ。洗い流してしまえばこの程度の香りであればすぐに吹き飛んでしまうだろう。
そういえば会社での祥順からは香水の香りも何も、感じた事がない。清潔感のある雰囲気は、何も身に纏わない事が鍵になっていたのかもしれない。
また新しい発見に、首を突っ込んでみるものだなと一人笑う。浩和の小さな笑い声はシャワーの水音に紛れ、消えていった。
さっぱりして戻ると、シンプルな朝食が並んでいた。ただベーコンエッグがあるのに、その隣にソーセージが乗っているのがちょっとよく分からない。コーヒーがあるのはありがたい。
そして、なぜか食パンではなくフランスパンが置いてある。焼きたての香ばしさが鼻をくすぐった。
微妙に外してくる彼のセンスが面白い。浩和はにやつく口元を押さえながら礼を言った。
「適当に用意したんですけど、食べられないものってありますか?」
「ないです。ありがたくいただきます」
祥順ははにかんだ笑みを見せながら席に着く。彼が箸を手に取ったのを合図に、浩和も箸を取る。
互いに顔を見合わせ、いただきますと言って笑う。変な感じだった。
特別何かが良い、とかそういったものではない。だが、祥順の家で朝食をごちそうになる未来があるとは全く思ってもいなかった浩和からすれば、新鮮で何もかもが面白い。
ベーコンエッグの目玉焼きは一応半熟だった。ギリギリ固まっていないといった具合だ。外側はまだ柔らかいものの固まっており、半熟と呼ぶにはあと一息だった。
浩和はもう少し焼く時間を短くすれば完璧だったのにな、と心の中で評価する。卵の黄身がやり過ぎだった代わりに、ベーコンはカリカリだった。
なかなか面白い。ソーセージはしっかり焦げ目がつくくらい焼いている。一緒に焼いたのだろうか。適当なのか、時短を目的にしたのかは分からない。完璧ではないが、彼らしい気もした。
コーヒーは薄目だが悪くはない。淹れ方がうまいのか、香りは良く立っていた。
食パンではなく、フランスパンであった理由はすぐに分かった。フランスパンの方が日持ちするからだ。一人で生活するには食パンを一斤買うよりも一本のフランスパンを買って食べた方が楽なのだという。
食べながらの会話で分かった事だが、祥順は仕事にエネルギーを費やして実生活はかなり放っているらしい。
部屋を見られてしまったからか、部屋まで片付けられてしまったからか、仕事と実生活の差について浩和に教えてくれたのだ。
ワーカホリックじゃないか、と一瞬思ったが仕事に関連する事しかしていない自分も人の事を言えたもんじゃないなと思い直す。
空き時間を自己啓発に使っている自分である。まあ、家での事は元カノと分担して行っているだけ、仕事ばかりではないかもしれないが。
いや、正確には分担していた――か。浩和は頭の中で去っていった彼女を思う。吹っ切れはしたが、納得はいっていない。仕方がないとは思っている。
まだ彼女と住んでいるかのように考えてしまうのは、もはや未練と言うよりは癖なのかもしれない。
「口に合いました?」
「塩加減とか俺好みで良かったです。
欲を言えばもう少し卵の黄身が生の方が好きですけど」
コーヒーを飲みながら、そんなとりとめのない事を考えていると、祥順がそわそわしながら話しかけてきた。人に料理を振る舞う事など滅多にないのだろう。
あの部屋のままずっと生活してきたのならば、恐らく人を招待する事自体がなかったに違いない。
自分しか知らない事が増えていくのは快感だ。誰しもが持っている承認欲求が満たされる感じがする。
やはり、誰かにとって特別であるというのは心地良い。そんな風に浩和が思うのは久々であった。
皿洗いは自分がやると言って浩和がさっさと食器を下げる。手持ち無沙汰になった祥順は、その間にシャワーを浴びてくると風呂場に篭った。
さっきとは逆だな、と浩和は思いながら機嫌よく皿を洗い始めたのだった。
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