第3話 真面目な彼の部屋は汚部屋
タクシーを降りると、祥順は浩和に寄りかかるようにしないと立っていられなかった。へろへろな祥順の案内で彼の家へと向かう。祥順の了承を得て鞄を漁って鍵を取り出し開けると、そこは思いもよらない世界が広がっていた。
「……汚部屋」
「んー……お帰りおれー」
浩和の呟きは祥順には届かなかったようだ。彼は壁伝いに中へ進んでいく。壁際に細い道が現れた。
よくよく見れば荷物が散らかっているだけで、ゴミはきちんと捨てているようである。
浩和は覚悟を決めて靴を脱いだ。
祥順はリビングのソファに倒れ込んで気持ちよさそうにしている。
「カジくん、悪いんだけど泊まらせてくれますか?
流石にあなたの家からタクシーで帰るのに旅費精算はできないんで」
「おー……どうぞどうぞ」
浩和のほろ酔い気分など、とうに失せていた。
泊まるとは言ったが、勝手に色々拝借するわけにもいかない――むしろ拝借したくない――かといってコンビニまで着替えを買いに行っても風呂を借りるのも悪い。
こうなった原因は祥順にあるが、しかし責任能力のない酔っぱらい相手に怒るのも疲れるだけである。
「カジくんはおとなしく寝ててください。
風呂は明日の朝は入れば良いし」
「悪いなー……おれ、ここで寝るー
たきがわさんはベッドぉ」
「は?」
近くに放り投げてあったジャケットを自分にかけ、眠る体勢を取る祥順に浩和は眉を寄せた。
「カジくん、家主の代わりにベッドなんて使えないよ」
「んー……ふふ」
「……」
返事になっていなかった。浩和は二人分の荷物を持ったまま、足下を見つめた。
溜息を吐く浩和に、むにゃむにゃと言葉にならない寝言を言う祥順。夜がふけるにはまだまだ時間があった。
浩和が絶望的な部屋を見渡している内に、祥順は完全に眠ってしまったようだ。ソファに鞄を寄りかからせて、その上にネクタイを放り投げる。
行儀悪いとは自覚しつつスーツを脱いで下着姿になる。
「よし」
真剣な表情で小さく気合いを入れると、浩和は足下に散らかる衣類を集め始めたのだった。大掃除の始まりである。
衣類、雑貨、小物などある程度の群に分け終わると、浩和は腕時計に目をやる。小一時間かかったようだ。軽くストレッチをして洗い物を洗濯機に突っ込んだ。
洗濯機に入れられないクリーニング物はハンガーにひっかけ、見やすいようにしておく。
後で本人に確認してクリーニングに出すのである。洗濯機は残念ながら彼の物をすべて納める事はできなかった。もう一度、洗濯機を回さないといけない。
浩和の奮闘で、フローリングの床が見えるようになった。床が見えるだけでもかなり違う。達成感を感じる一方、まだまだ残っている課題に溜息を吐いた。
酩酊すると夜中に目が覚める事がある。祥順は大丈夫だろうか、と一度彼の顔を覗き込む。
祥順は浩和の想像とは裏腹に健やかな寝顔を見せていた。目が覚めないのであれば都合が良い。浩和は彼の様子に笑みを浮かべ、片付けを再開した。
細々とした物や、収納位置の分からない物は片付けようもないが、ある程度は片付けられる。家主から部屋漁りの許可は出ていない。
しかし“祥順には悪いが、片付けない自分が悪い”そう考える事にして、あちこちの引き出しを開いては収納していく。
既に収納されている物に対して、アクションを起こさなければ大丈夫だろうという考えもあった。浩和ルールで勝手に物をしまっていけば、小物を収納し終わる頃にちょうど一度目の洗濯が終わった。
洗い上がったものは普通に干すものと乾燥モードで乾かすものに分け、乾燥モードで洗濯機を回している内に干してしまう。
バスルームの換気乾燥機を使えばすぐに乾くはずだ。お急ぎに設定して時短すれば、すぐに次の洗濯へ移ることができる。
そこまで考えた浩和は手際よく干す準備を整え片付けに戻った。
最初の印象通り、ゴミは少なかった。出たゴミは一カ所にまとめておき、雑貨の片付けに取りかかる。雑貨の片付けは難しい。収納できる場所が限られている上に、本人の好みがあるからだ。使いやすい場所、普段の癖からあると便利な場所、それは本人しか分からない。
祥順の雑貨を完全に片付ける事は不可能である。浩和は見当の付かない物以外をダイニングテーブルに乗せ、できる範囲でしまい始めた。
二度目の洗濯を始めたところで祥順の様子を見に戻る。よく眠っていた。休憩がてらに彼の寝顔を見て、そろそろ乾いてくる頃である一度目の洗濯物を確認する。乾燥モードの方を先にたたむ。途中で洗濯機の残り時間を見ればあと20分といったところであった。
今回している洗濯物は、タオルばかりである。洗濯が終わったらそのまま乾燥モードで放置すれば簡単に乾くだろう。
洗濯が終わるまでの時間、浩和は掃除用具を探し出してフローリングを掃除する。フローリングワイパーを使い、汚れ――主にほこりだった――を取っていく。
すぐにワイプが黒ずむ。何度か交換し、ようやくワイプに汚れが付かないレベルにまで至った。
やや汗ばみながらも満足感に浸る浩和の耳に「ピー」と電子音が届く。束の間の休憩が終了する合図だった。
乾燥機として洗濯機が回っている間、浩和は水回りの掃除をしていた。水回りはそこまで汚れていなかった。普段のきっちりとした正確な仕事っぷりを見ている身としては、こんな家だとは浩和も想像していなかった。
身綺麗さを保つ事だけはしっかりとしていたからだ、という新事実を知り、社員の誰も知らないだろう祥順の一面に心の中で笑う。
しっかりとした人物であると思っていた浩和も、ある意味期待を裏切られた。
目が覚めた祥順は、どんな反応をするか楽しみだと思いながら朝日が昇り始めるまで掃除を続けた。
祥順の第一声は「うわあぁぁ!!」だった。残念な事に、言葉というよりも悲鳴だったのである。
悲鳴を上げながらソファから飛び起きた彼は、きょろきょろと室内を見渡し、浩和を見つけてすさまじい表情のまま固まった。
その慌てぶりに笑いがこみ上げてきた浩和は、我慢せずに吹き出した。
げらげらと笑う浩和を見て我に返った祥順が、おそるおそる話しかけた。
「あの、滝川さん……
えっと、その、すみません」
「あー……俺の方こそ。
勝手に上がっちゃいました。
あと、勝手に片づけしちゃいました」
浩和の言葉に頭を抱える祥順はひたすら自らの失態を悔やんでいるのだろう。普段からは想像もつかない姿を見ている浩和は、その姿さえ面白く感じられる。
笑いがこみ上げ、止まりそうにない。
「色々すみませんでした」
うなだれるようにしてお辞儀をする姿を見て、これ以上笑うのは失礼だと思いながらも笑ってしまう。
「くふ、いや、俺の方こそ勝手に色々したから……あー腹いてぇ」
ただ笑うだけも何なので、一応二日酔いになっていないかだけ問いかける。
「そんな事より、体調はどうですか?
二日酔いとか辛いなら心配だし」
「大丈夫です。
本当にお見苦しいところを見せてしまってすみませんでした」
神妙な顔で謝られると、変な感じがする。浩和は苦笑した。
だが、祥順はこのようにオフの自分を見られた事も、仕事外の事で仕事仲間に失態を見られた事もないのだろう。そう思えばこの反応も頷ける。
だが、いつまでもこのような態度を取られているのは辛い。
今しっかりフォローをして元の状態に戻れなければ、会社でもこういう態度になってしまうかもしれない。何より、折角飲み友達になれたのだ。こんな事で無駄にはしたくなかった。
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