第6話 咲いていない桜の前で

 紫苑の館に行く日が決まったのは、まだ春と呼ぶには早い時期で、桜をもう一度と思っていた私の希望は叶いそうになかった。それでも、もう一度紫苑の館に行けることはこの上ないことでもあった。

「媛様、衣はどれになさいますか?」

 小夏が準備のために、候補となりえる衣を何枚か並べる。

「小夏、桜の色の衣は?」

 並べられた中に、思った衣がないのに気づく。

「桜の衣は少し早すぎませんか?」

 衣は季節を先取りするのが基本だが、早すぎるのは無粋と言われる。

「いいから、桜の衣で」

 

 残り二回あった講義の一回は、御所で行われる行事と重なってなくなった。あと一回と限られたことに寂しさを隠せないけれど、それを惜しむ時間すらもったいなく思う自分がいる。

「小夏、お願いしてたもの届いた?」

「はい、でもあんなにたくさん何に使われるのですか?」

「いいの、これから作るんだから、二人共喜んでくれるといいけど」

 小夏に頼んであった草花を煮詰めて、思う色に布を染める。小夏にも手伝ってもらって何度も作って失敗して、やっと出来がった日、紫苑の館に向かう日を二日後に控えていた。

 

「それでは今日の講義はこれで」

 父上の話がやっと終わり、いつもなら父も一緒だが、気をきかせたのか先に帰るといって部屋を出ていった。

 

 最後と言われると、何をしていいのかわからず三人で黙ってると、貴仁様が話しだした。

「明日香媛と三人で会うのは恐らくこれが最後になるからと隼人と二人で何か贈ろうと決めたのだ」

 二人がそれぞれ後ろ手に何かを持っているのがわかる。

「どちらから渡そうか」

 顔を見合わせていた二人だったが、埒が明かないと思ったのか貴仁様が先に隠していたものを差し出した。

「何にしようか迷って、明日香媛に似たものと思ってな…一番に思い浮かんだのが桜で細工師に頼んで桜の髪飾りを作ってもらった…使ってくれるか?」

「はい、ありがとうございます」

「次は隼人だぞ」

 後ろ手にあるものをなかなか前に出そうとしない隼人様の脇を貴仁様が肘でつついて、無理矢理にでも出さそうとする。

「わかったから、出すから、貴仁!」

 おずおずと出したのは小さな木彫りの仏だった。

「明日香媛に似せて掘ったのだが…あまりうまく作れなくて…」

「…もったいないぐらい、とても綺麗な仏様です…ありがとうございます」

 それぞれに思いのこもった贈り物が嬉しくて涙が溢れる。

「泣くな、そなたの泣き顔を覚えておきたくない」

「貴仁、そういう時は笑えと言わないと」

「そうだな、笑ってくれ明日香媛」

 二人に見つめられ、笑った顔をしてみたがうまく笑うことができない。

「私もお二人に贈り物が」

 綺麗に畳んである紫の布地を貴仁様に深い青の布地を隼人様にそれぞれ渡す。

「お二人に似合う色をと思い、私が染めました」

「綺麗な色だな、隼人」

「ああ、とても」

 大事そうに布地を持つ二人から礼を言われ、心から嬉しいと思う反面、寂しさがこみ上げてくる。

 

 

 館で用意された食事を三人で取り、桜の木の前に三人で立つ。

「桜はまだだな」

「その代わりに明日香媛の衣に桜が咲いている」

「ああ本当だ」

 固い蕾が数えるほどしかついていない桜は寂しく見える。

「あの日、桜の精と見間違わなければ話すこともなかったかもな」

「そうだな、まあ人間で安心したけどな貴仁」

「お前も怖がってただろ隼人」

「どちらにしろ、桜が三人を結びつけてくれたのだから感謝しないと…」

「会えなくなるのですね」

「次にそなたに会う時は御簾越しでしか会えぬ」

「会うとしたら…」

 貴仁様が言いかけてやめた言葉、隼人様もわかっているようだった。

「会えるのですか?」

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 歯切れの悪い貴仁様の言葉の後、三人でお別れの握手をし、館を後にした。

 

 

 


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