第一章 MEMORYS

 時には、昔話しでもしてみようか。

僕は、はなから自分語りなんて為たこともない。だから、なるべく短く話すよ。

多くのことを語ることなんて、僕には出来ないのだから。

 あれは昭和44年の1月末、彼女と僕はいつも、毀れ陽の注ぐ16時のホームに立っていた。今日で、彼女の傍らにいられるのも最後なのか。当分は会えない。僕は溶け残った雪を眺めた。彼女とは中学2年生の頃に、いつの間にか、俗に言う以上以下という文脈から外れていた。ごく自然な流れで惹かれていった。あの頃は、それが普通だったのかも知れない。

その年に距離が遠くなって仕舞うなんて。2人の無言だけが世界なんだと言うことだけが、身に染みていた。


2番線に電車が来た。

そいつの車輪は、まるで運命の紡ぎ車の様に、僕らの前に立ちはだかった。


「新潟は寒いから…」

僕はそれ以上、何も言えなかった。

目を程々に泳がせても何も浮かばなかった。

「又、逢えるわ…きっとあう」

彼女はそう言い残し、列車に乗った。

毀れ陽の当たる横顔は、何処までも美しかった。

一瞬の出来事の筈なのに、何処までも満たされているのは、何故だろう。彼女を乗せた列車は、遠くへ行く事に夢中だった。僕は、歩いて駅を後にした。

しばらくの間、道草を眺める事しか出来ないでいた。

   

       昭和46年 夏


 僕は都内の高校の2年生になっていた。先輩たちの代は、何か壮大な目標が頓挫したかの様だった。実際、頓挫していたのだが。僕は帰宅後、ポストに入っていた封筒を取り出した。僕宛だった。

僕は相変わらず無愛想な会釈を棚引かせ階段を登りはじめた。

部屋に入ると、直ぐに封筒を開けると瞳からだった。あの冬の日以来、一切のやりとりをしていなかった。

僕は手紙をこの世のどんな文章よりも徹底して読み込んだ。


「拝見 坂口圭吾様 

福島瞳です。

先ずは暑中見舞い申し上げます。

このような間接的な遣り取りではありますが、最後に交わしたのは2年半前の1月…。新潟は圭吾くんの言う通り、寒かったです。今は、新潟から鎌倉に移っております。もし、機械があれば又お会いしましょう。  敬具 」


僕は読み終わった手紙をそっとしまい、ベッドに倒れ天井を目でなぞった。


 僕は翌日、鎌倉に向かった。

列車に揺られている内に、予感していた不安が僕を襲った。僕の座る席の真向かいには、キャンパスを持った青年が妙に平生を保とうとしているのが伺える。

静まりかえった裡に、窓の隙間から這入りこむ風の音が充満した。

駅に着くと、あの真向かいの青年も降りた。彼もまた扇ヶ谷の方を目指していた。太陽は選択の余地もなく、 ただ何らの新しいところのないもののうえに輝いていた。

 僕はバス停を探した。5分ほど歩いた先に、緑で覆われたバス停があった。

中に1人の女性が座っている。彼女はサミュエル・ベケットの名付けられぬものの邦訳を読んでいた。その瞬間は、目の前にいる女性が瞳だとは気付かなかった。そう簡単に逢うことが出来るとは思ってもいなかった。しかし、諸々を考慮すると、別段ふしぎな事ではなかった。

僕はバス停には座らず、外に立っていた。しばらくして、僕はバス停の中に這入った。夏の熱気が突然僕を包んだ。


「圭吾くん…?」

囁くような声が聞こえた気がした。


「えっ…?」


「圭吾くん…だよね」


「瞳…」


「鎌倉にいるってことは、あの手紙、届いたんだよね…良かった」

彼女のやさしい息遣いが瑞々しさの縁を巡っていた。


「鎌倉にはいつ来たの」

僕は訊いた。


「3ヶ月前」


「じゃあ当分は…」


「違うの…また新潟に戻らないといけないの…準備の為に…」


「準備…?」


「お父さんとイギリスへ行くのよ…長期の取材だし、せっかくだから私もって…だから、最後にどうしても圭吾くんに会いたかった…」


「それで、手紙を…」


「うん…」


「バス停にいるってことは、何処かへ行くの?」


「いいえ、圭吾くんを待ってた」


「僕を…」


「圭吾くんは、とにかく行動し始めるじゃない…新潟は寒いからって言ってくれた時みたいに…」


「あれは…その…」


 僕らはしばらく会話をし、鎌倉でもあまり知られていない、坂の上の大樹を目指して歩いた。足に出来たタコがサンダルの底に空いた穴から直接、灼熱に接し続けていた。僕はふと、訳の分からない風が吹くのを感じた。また2人は無言だった。少し先で、ある子連れが韮崎駅から見た八ヶ岳を描いた水彩画について、会話をしているのが聞こえてきた。

 僕らは頂きに着き、ベンチに座った。

僕は家にあった、安いマドレーヌを彼女と食べた。彼女と僕は先月リリースされた許りのジョニー・ミッチェルのBLUEについて話した。2人で此だけの間、ゆっくりと話したのは、多分、初めてなのかも知れなかった。僕らは時間を忘れていた。どれ程の時間が経過したのかも分からなかった。ただ時計の針は、15時28分を指していた。僕らは坂道を下り、駅に向かった。途中で数匹の猫を見かけた。2人は無言でホームに降りた。

2番線に列車が来た。


「逢えて良かったわ」


「うん…次はいつになるのか…」

毀れ陽が彼女を照らしていた。


「イギリスは寒いから、あとポールにあったら宜しくと伝えといて…」


「ふふっ…あったらね」


「また、逢おう」


「又、逢えるわ…きっとあう…」


あの日から、52年…僕はまだ彼女の所在を知らない。それで良かったのかも知れない。僕はまた生きる為に死のう。

本当に死ぬ訳じゃ無い。また生きる為に。






















      


 

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