第85話 精霊、そして里の中へ
「ぐ、うぅ……!」
アイリスの膝蹴りをもろに喰らった男性エルフ。
木の幹に背中を打ち付け、苦しそうに悶絶していた。
「隊長! 大丈夫ですか⁉」
近くに他のエルフの青年が駆け寄る。
手と膝を地面に突きながらも意識を保った男性エルフは、じろりと正面に立ったアイリスを睨みながらも、近づいてきた青年を手で制する。
問題無い、と言わんばかりに。
「よもや、人間ごときに遅れを取るとは……なるほど。神の御子と呼ばれるだけはあるな」
苦悶の表情を崩すことなく、それでもなんとか立ち上がった男性エルフ。
腹を押さえながらアイリスを見つめ続けた。
「わたしのことをご存じだったのですね」
「その瞳を見れば誰でも分かる。人間社会に関しては疎いが、貴様の話くらいには聞こえてくるからな。嫌でも」
「では納得しましたか? いまのわたしですら、帝国との戦争に確実に勝てるわけではありません。神の御子とは万能ではないんです」
「……貴様の実力は認めてやろう。全力ではないとはいえ、俺よりも上だ。しかし、我々エルフ族は——」
「ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、うるせぇなぁ」
二人の会話に俺が介入する。
アイリスがちらりと俺に視線を向けた。
「また問題を起こすつもりですか」と目が語っている。
俺は首を横に振って「任せろ」と訴えた。
アイリスはややあってから口を閉ざす。俺に任せてくれるという証拠だろう。
睨むように俺のことを見ているエルフの男性に、取っておいた切り札を使うことにした。
「アイリス、あれを見せてやれ。それで一発だ」
「あれ? ……って、まさか、精霊のことですか?」
「ああ。めんどくせぇからもう終わらせよう。無駄な時間を過ごすのは好きじゃないんだ」
「結果的にわたし頼りじゃないですか」
「アイリス最高」
「……まあ、悪い気はしませんね」
ふふっと小さく笑い、彼女は俺の提案どおりに精霊シルフィードを召喚する。
周囲の魔力が大量に吸収されると、びくりとエルフたちが身構えた。
巨大な攻撃が飛んでくる、——と勘違いしたらしいが、発生した現象はただ一つ。風が吹き荒れ、一人の女性が現れただけ。
その女性を見た瞬間、エルフたちは顔を真っ青にして膝を突く。
隠れていた周りのエルフたちも同様だ。全員が木から下りて姿を見せる。
「ま、まさか……精霊シルフィード様でしょうか⁉」
顔を下げた状態で隊長と言われていたエルフの男性が口を開いた。
精霊シルフィードは周囲を見渡し、最後にアイリスを見る。
『これは……ピンチというわけではないようですね』
澄んだ女性特有の高い声が聞こえる。
アイリスはぺこりと頭を下げて言った。
「急な呼び出し、まともに申し訳ございません。本日はエルフとの話し合いのためにシルフィード様をお呼びしました」
『争い事ではないのですか?』
「はい。争い事になる可能性はありますが、いまのところは問題ありません」
『ふむ……それで、私は何をすればいいのでしょう、アイリス』
「いまのところは何も。ただ、わたしの力をエルフに見せるために協力していただければと」
『分かりました。——そこのエルフよ』
「は、はい!」
話しかけられたのは隊長エルフ。
びくりと肩を揺らし、顔を上げないままシルフィードの言葉を待つ。
『状況はなんとなく察しました。あなた方エルフのことです、どうせ人間と協力はできない、とアイリスの意見を突っぱねたのでしょうね』
「そ、それは……」
『あなた方が優秀な種族であることは私もよく知っています。まともに戦えば帝国や王国にも負けないということは』
ん? なんだ、シルフィードの奴。この世界の戦争事情とかに詳しいな。
ちゃんとアイリスから話は聞いてるって感じか。
『しかし、アイリスがそうであるように、この世界には多くの強者がいます。中には、あなた方が束になっても敵わない男も』
ちらりとシルフィードの視線が俺に向いた。
俺のことを言ってるらしい。そのとおりだがこっち見んな。
ガンたれておくことにした。あぁん?
「我々が束になっても敵わない存在、ですか?」
『ええ。その男はいまや王国にいます。これは親切心であなた方に伝えますが……帝国には協力せず、孤立もせず、王国に従うほうがいい。エルフ族の未来のためにも』
「シルフィード様……」
『では後は自分たちで決めなさい。私は決して、あなたたちエルフの行く末を縛るような真似はしません』
それ以上のことは自分で考えろと言い、シルフィードは口を閉ざした。
アイリスはこくりと頷き、シルフィードを精霊の世界へ帰す。
周囲には沈黙が生まれた。
しばらくしてから、隊長エルフが立ち上がってアイリスを見る。
その瞳には、覚悟のようなものが宿っていた。
「まさか精霊を呼び出せる人間がいるとはな……いいだろう。俺が結論を出すことはできないが、お前を里の中に案内してやる」
「アイリスだけ? 他は?」
「ダメだ。エルフ族は人間を好かない」
「他種族を、の間違いだろ? 言っとくが、俺はついていくぞ。彼女の護衛だからな」
「なんだと?」
「断るならアイリスを行かせない。どうする? エルフ」
「…………」
ばちばちばち、とお互いの間に火花が散った。
しかし、時間を無駄にしたくないのか、隊長エルフはため息を吐いて答える。
「いいだろう。特別にお前だけは許可してやる。その仮面は外せ」
「断る!」
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